古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古事記 上巻「日本神話」は誰が創ったのか。

2017-06-10 18:49:25 | 歴史
古事記について、やはり知っておこう。
古事記 中巻は、聖徳太子の「天皇記」「国記」を引用
に続いて、古事記の上巻「日本神話」は誰が作ったのでしょうか。
全国の神話を集めたと云われていますが、実際は
天空の神様が住む高天原 と 天孫降臨した高千穂、日向 、スサノオの出雲地方の話です。
神武東征で瀬戸内海側の吉備、安芸から近畿の話となります。ここからは中巻に書かれています。

イザナギ・イザナミの国生みなど、矛先から日本列島が出来るのですから、壮大なスケールです。
この時代に、天空に高天原があり、地上の人間が住む世界である葦原中国や、地中にあるとされる根の国・黄泉が紹介されます。

そこの次の世代が、アマテラス、スサノオ、ツキヨミの三貴神
先に国造りにでるのがスサノオです。
スサノオの子孫の様に天孫降臨以前に忌まれた神を国津神(くにつかみ)
天照大神などがいる高天原の神を天津神(あまつかみ)と神様を二種類に分けています。
天津神の主宰神である天照大神に対し、スサノオの六世の孫 大国主(おおくにぬし)が国津神の主宰神です。
天照大御神ら高天原にいた神々(天津神)は、「葦原中国を統治すべきは、天津神、とりわけ天照大御神の子孫だ」と主張
大国主神も自身の宮殿建設と引き換えに国を譲る。と云う国譲りの神話が登場します。


アマテラスの孫が、ニニギで天孫降臨する。その子が海幸彦、山幸彦
その孫に、後の神武天皇、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)で東征に出発したのが
『日本書紀』では 神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコ)は45歳(数え)の時、天祖ニニギが天降って179万2470余年になるが、遠くの地では争い事が多く、塩土老翁(シオツツノオジ)によれば東に美しい国があるそうだから、そこへ行って都を作りたいと言って、東征に出た。
つまり、ニニギの天孫降臨から179万2470余年後 ?
神武天皇(カムヤマトイワレビコ)は、ニニギの子孫(アマテラスの子孫)ですが、神ではありませんので127歳の人生で亡くなります。
それでも長寿すぎる程長生きです。

これらの神話で場所が特定できるのが、
スサノオの子孫、大国主神が国譲りしたのが出雲
ニニギが天孫降臨した土地が高千穂で、神武東征の出発が日向で、瀬戸内海を通って大阪へ到着、和歌山側から奈良へ到着
この位置関係は間違いないようです。
位置を特定できないのか、アマテラスなど天津神が住む高天原(天空の世界です)
神様の住む場所なのですから、そう簡単に場所を特定できるような記載はしていません。
架空の世界の話にしてあります。



世界の実際の歴史感を通り越していますよね。
イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、ニニギ達は神様ですので、死ぬことはありません。
イザナミは、火の神を産んだ際にやけどして死んでしまい、黄泉の国で暮らしていますが。
天照大神(アマテラス)は、伊勢神宮に鎮座されておいて、私たちの国 日本を見守っていただいています。
スサノオは、出雲大社に祀られています。
古事記の上巻は、神社制度の元となる伊勢神宮、出雲大社の設立に必要な内容にしたのです。
当初、天照大神は奈良の宮中に祀られていたようですが
崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移し
垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座していただいた様です。
百済からの仏教伝来が聖徳太子の時代にあり、神仏習合を神仏分離して、現在の神道制度を確立すらために
この日本神話の上巻が必須だったのです。

しかし、中巻の冒頭に登場する神武天皇の名前が 神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)
他にも、倭タケル、倭姫など、倭と云う漢字を使った名前が幾度も登場
自国を倭国(ヤマト国)と記載しています。
古事記の作者は、魏志倭人伝など中国の史記を読んでいるのです。
しかし、上巻の日本神話では使われていない様です。最後は、神社でこの日本神話が菩提となりますが??
日本書紀では、至る所で 史曰く と中国の史記の表現と無理やり関連づけしていますが、先に書かれた古事記にはそれがありません。
古事記の著者は、魏志倭人伝登場する人物を全て無視したのでしょうか。
この辺りを次に考えてみます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿