古事記に的を絞って、古事記・日本書紀の成り立ち(前書き)より色々と知っておきましょう。
古事記
・第40代 天武天皇(673年~686年)が編集をはじめさせた。
・712年に太安万侶が編纂し、第43代 元明天皇に献上された。
編集の始まりの年はよくわかりませんが、天皇家で4台、30年くらいかかっています。
現在残っているのは、信瑜の弟子の賢瑜による写本ですので、当時の筆使いを知ることは出来ません。
歴史の背景として
・671年 天智天皇が病死、子供の大友皇子が弘文天皇として即位
・672年 壬申の乱で、天智天皇の弟 大海人皇子が(第40代)天武天皇となる。
・690年 持統天皇(天智天皇の娘、弘文天皇と兄弟)女帝が誕生
(当時、天武天皇の息子 草壁皇子が病死、軽皇子は当時7才と若かった)
・697年 天武天皇の孫(草壁皇子の子供)文武天皇即位
・707年 元明天皇(天智天皇の娘、弘文天皇と兄弟)またもや女帝が誕生
・715年 天武天皇の孫(草壁皇子の子供)元正天皇即位 またもや女帝
39代弘文天皇(大友皇子)から44代元正天皇まで、天智天皇家と天武天皇家の家系が交互に即位。
在位年数も10年未満と短く、女帝が、3人もいます。
この当時に伊勢神宮も出来ていますので、天照大神を神とする天皇家の神社制度も確立されています。
天照大神と云う女性の神様をトップにしたのは、元明天皇が女性であったためでしょう。
古事記は
序
古伝承とその意義
天武天皇と古事記の企画
太安万侶の古事記撰録
上巻(日本神話)
天地開闢 天地(あめつち)の創成、天地の初め
伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照大神と須佐之男命(すさのおのみこと)
邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨 から 海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)など
中巻
神武天皇の 神武東征 から仲哀天皇の皇后 神功皇后の神がかり、応神天皇 まで
下巻
仁徳天皇 から 推古天皇(593年1月15日 - 628年4月15日 やはり女帝)
舒明天皇(推古天皇以降)から持統天皇 までは「日本書紀」に記載されています。
この上巻、中巻、下巻の意味を続けて考えてみます。
古事記
・第40代 天武天皇(673年~686年)が編集をはじめさせた。
・712年に太安万侶が編纂し、第43代 元明天皇に献上された。
編集の始まりの年はよくわかりませんが、天皇家で4台、30年くらいかかっています。
現在残っているのは、信瑜の弟子の賢瑜による写本ですので、当時の筆使いを知ることは出来ません。
歴史の背景として
・671年 天智天皇が病死、子供の大友皇子が弘文天皇として即位
・672年 壬申の乱で、天智天皇の弟 大海人皇子が(第40代)天武天皇となる。
・690年 持統天皇(天智天皇の娘、弘文天皇と兄弟)女帝が誕生
(当時、天武天皇の息子 草壁皇子が病死、軽皇子は当時7才と若かった)
・697年 天武天皇の孫(草壁皇子の子供)文武天皇即位
・707年 元明天皇(天智天皇の娘、弘文天皇と兄弟)またもや女帝が誕生
・715年 天武天皇の孫(草壁皇子の子供)元正天皇即位 またもや女帝
39代弘文天皇(大友皇子)から44代元正天皇まで、天智天皇家と天武天皇家の家系が交互に即位。
在位年数も10年未満と短く、女帝が、3人もいます。
この当時に伊勢神宮も出来ていますので、天照大神を神とする天皇家の神社制度も確立されています。
天照大神と云う女性の神様をトップにしたのは、元明天皇が女性であったためでしょう。
古事記は
序
古伝承とその意義
天武天皇と古事記の企画
太安万侶の古事記撰録
上巻(日本神話)
天地開闢 天地(あめつち)の創成、天地の初め
伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照大神と須佐之男命(すさのおのみこと)
邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨 から 海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)など
中巻
神武天皇の 神武東征 から仲哀天皇の皇后 神功皇后の神がかり、応神天皇 まで
下巻
仁徳天皇 から 推古天皇(593年1月15日 - 628年4月15日 やはり女帝)
舒明天皇(推古天皇以降)から持統天皇 までは「日本書紀」に記載されています。
この上巻、中巻、下巻の意味を続けて考えてみます。