古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古事記 中巻は、聖徳太子の「天皇記」「国記」を引用

2017-06-10 16:29:47 | 歴史
古事記について、やはり知っておこう。に続いてです。
古事記の
中巻は、神武天皇から仲哀天皇と皇后の神功皇后
下巻が、仁徳天皇 から推古天皇(女帝)と聖徳太子 のお話です。
そして、聖徳太子と蘇我馬子で 天皇記・国記の編集を行います。
神武天皇即位を紀元前660年に設定して、西暦600年までの1260年を周期とする中国の信仰 辛酉の年 を取り入れています。
辛酉は天命が改まる年とされています。
紀元前660年を皇記元年として、
600年頃の歴史ですが
507年 武烈天皇(25代)に子供がおらず、6代遡る応神天皇の子孫 継体天皇が即位
531年 安閑天皇(27代)
536年 宣化天皇(28代)
539年12月~571年 欽明天皇(29代) 3人とも継体天皇の子供
この頃、仏教が伝来し、蘇我稲目ら一族が大臣など権力の座に就く
592年 蘇我馬子は崇峻天皇を暗殺させ,蘇我稲目の孫にあたる推古天皇を即位させ。
      聖徳太子が摂政となる。
601年は、推古9年目にあたります。
蘇我馬子と聖徳太子が作成した「天皇記」「国記」は、601年に天皇家に蘇我稲目が加わり、新しい政治を行うストーリーだったでしょう。

しかし、歴史は 643年
6月12日 暗殺が実行され、入鹿死亡(乙巳の変)
6月13日 蝦夷は舘に火を放ち『天皇記』、『国記』を焼いて自殺し、蘇我本宗家は滅びます。
天皇記も上巻があり、600年までを一区切りにして、601年からは、蘇我氏による政治を記述した次の巻を書き続けていたのではないでしょうか。
古事記の中巻は、神功皇后の三韓征伐で朝鮮半島を支配し応神天皇まです。

古事記が編集される時代に、「天皇記」の写本があったのか、その内容を知る人がいたのでしょうか。
古事記も辛酉の年信仰を取り入れ、初代神武天皇即位を紀元前660年、1260年後の600年は何もなかったかの様に
推古天皇の長期政権で乗り切るストーリーにして古事記を締めくくります。
神功皇后の三韓征伐で朝鮮半島を支配し応神天皇まです。

下巻では、最大の前方後円墳を作った仁徳天皇から朝鮮半島で支配を失う武烈天皇まで、家系が一度切れて
応神天皇の子孫である継体天皇の歴史に変わります。
継体天皇の即位は、507年とWikiに記載されていますが、それ以前の天皇については、即位の年が不明です。
それぞれの天皇に年齢が詐称(長生き)されている為でしょう。
仁徳天皇陵が5世紀前半とされていますので、仁徳天皇が400年位の方です。
中巻に紹介される最後の天皇 応神天皇がその前に当たります。
初代神武天皇が紀元前660年、15代応神天皇が西暦400年頃とすれば、15代で1000年程になりますので
一代の在籍期間も平均約70年と非常に長いです。
実際は、神武天皇即位が300年中頃で、応神天皇が5~6代目(一代10年位)と考えると辻褄が合います。 

もちろん、これらは古事記ではゆるされませんので、下巻からは新たに作成されます。
そして、天皇記を作成した聖徳太子、推古天皇で古事記が終了します。
後の平安時代に編集される古事記においても、神武天皇即位は辛酉の年(紀元前660年)は有名だったのでしょう。
絶対に譲れない歴史の年でした。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 古事記について、やはり知っ... | トップ | 古事記 上巻「日本神話」は... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。