古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

魏志倭人伝に紹介される倭人(倭種)とは

2017-11-13 16:53:01 | 歴史
先の投稿で、日本人のDNA(Y染色体)について書いてみましたが
改めて、魏志倭人伝に紹介されている倭人(倭種)とはどんな感じだったのでしょうか。

既に、弥生時代の九州、玄界灘湾岸地方の紹介です。
・秦の始皇帝に、徐福の一団が到着して移住している(紀元前4世紀頃、弥生時代の始まり)
・漢との交易が行われている(漢委奴国王金印、1世紀頃)
・魏の国へ卑弥呼が朝貢(親魏倭王の金印が贈られる、239年、3世紀頃)

Y染色体で日本人のルーツを探ると
・石器時代、日本列島が大陸とつながっていた氷河期に大陸から移住したC系統(数万年前)
・縄文時代に琉球とアイヌから移住したD系統が縄文人(1万年前)
・弥生人、徐福など大陸から船で移住してきた漢民族O系統(紀元前400年頃)

縄文時代が弥生時代と比べて、とても長いです。
但し、縄文時代には農耕など食料の文化も劣っているので人口は少なかったでしょう。
その様な時代に、徐福など黄河下流から大陸人が移住して農耕や高倉式建物など文化を伝えます。
秦の始皇帝は満州人でO系統と思われていますが、徐福は黄河下流の国 斉の国(山東省付近)の出生です。
たぶん、O系統の漢族でしょう。
始皇帝は武力で大陸を統治しますので、多くの民族が移住した事は間違いないでしょう。
黄河下流の民族は朝鮮半島、日本列島へ、揚子江流域の民族は南(タイ、マレーシアなど)と考えるのが普通です。
始皇帝の時代に、日本列島へ漢族が移住した事が弥生時代の始まりに間違いないでしょう。
徐福を含む漢族は、道教の呪術的な文化の土地柄です。徐福は道教の方士です。

魏志倭人伝に紹介されている倭国は、0世紀~3世紀の弥生時代です。
情報元は
・漢の時代の情報
・一大卒など伊都国から
・使難升米・(都市)牛利と同行した人々の身なりなど
です。
そして、D系統の縄文人とO系統の弥生人では、それぞれ特徴があり、現代よりはっきりしていたはずです。
縄文人 弥生人 の特徴
多分に、縄文系の人と弥生系の人で身分や仕事も分かれていました。
吉野ケ里の環濠集落に見られるように、
環濠内では、縄文系の国王一族と弥生系の占いを仕事とする弥生系が住みます。
紀元前に、始皇帝により国を追われた漢民族(O系統)は、縄文人の王家に雇われ
その仕事により役職を得る事ができますが、縄文人との混血はあまり進まなかったのではないでしょうか。

移住した弥生系一族の仕事
・祈祷、建物、道具の管理
・食料の管理
・農耕具など器具の管理
・織物など女性の仕事
原住民の縄文系の仕事
・王族、先祖供養
・農業、狩猟、漁業など食料の取得
・防衛、つまり武人
魏志倭人伝に倭国を紹介したのは弥生系の渡来人で、その内容は縄文系の原住民族の生活です。
漢、魏の国から見た倭人(倭種)は明らかに自分達と違う民族です。
倭人(倭種)は縄文系のD系統の一族の事です。
女王国から東へ船で千里の国は倭種(縄文人)
南にある、小人国、裸国、黒歯国は倭人ではありません。
漢の時代に移住した役人が初めて伊都国を作ります。

魏志倭人伝に紹介される邪馬台国と女王 卑弥呼はどうでしょう。
卑弥呼は、呪術士です。多分、弥生系です。同時に、邪馬台国にも国王(縄文人)がいます。
つまり、弥生系女性を女王に推薦して、魏の皇帝の許可を得ます。
この弥生系女性に反対したのが、狗奴国の男王 卑弥弓呼 
結果は、卑弥呼の死(248年)をもって終焉、
国の代表は、男王は邪馬台国の国王(縄文系)に移ります。

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