古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

神武が 奈良(橿原)を選んだ理由

2016-10-15 19:36:37 | 歴史
神武東征が、何故 奈良(橿原)なのか?
多くの識者が議論しているが、私を満足させてくれる回答がみつかりません。

卑弥呼の時代
九州北部
・朝鮮半島との交易で栄える。
・鉄器の生産が最大の武器
・朝鮮半島を武力で制覇
出雲
・朝鮮半島より青銅、鉄を輸入、加工することで繁栄する。
・九州朝廷VS出雲朝廷のやり取りは、出雲朝廷の無血開城で統合する。
瀬戸内海
・安芸、吉備の国が栄える。
日向
・天孫降臨後、都とされる
・ニニギから三代目 神武天皇が日向より近畿へ東征
・日向の都は、2代 約3~40年ほどしかなかった。
伊勢、名古屋
・魚介類など海の幸に恵まれ、ホタテ貝から真珠を採取
奈良
・海に面していない。
・朝鮮、大陸との交易が出来ない
・魚介類など海の幸は入手不能
・大きな河川(淀川、筑紫川など)がない
・周囲が山に囲まれている(いわゆる盆地)

交易、生活と云う面では圧倒的に不利なのが奈良盆地
しかし、神武天皇以後も、平城京(奈良)、平安京(京都)等と盆地を転々とします。
この時代は、天皇家の跡継ぎ問題や疫病の流行など理由は多数ありますが
決して、盆地から出ません。
近くには、大阪湾や若狭湾、伊勢湾など既に経済的には進んだ地域があったはずです。
九州から近畿への遷都は歴史上では江戸時代に匹敵する位の離れた地域への遷都です。
九州北部から日向への遷都も同様で、文化、経済的に大国であったはずの博多湾を捨てて
未開の地、日向への移動です。
一体、この一族はどの様な一族だったのでしょうか。
4世紀後半(300年代後半)には、氏姓制度を立案、全国へ伝えます。
つまり、全国の豪族に名前と位を与えるのです。

・九州朝廷の様な武力は持たない
・交易にする外交もない
・魚介類など海洋の産物無し
・船など渡航に関する技術無しです。

一族の発展に要因は、卑弥呼の親魏倭王の金印でしょう。
それも最小の貢物の品です。
魏が大国であった時代は、この金印は重宝したはずですが・・・
魏の崩壊、卑弥呼の死後が厄介です。
続きは、次の投稿にしますね。
長くなりすぎましたね。
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