四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

反町遺跡とその周辺の遺跡・古墳

2024年04月24日 | 史跡・遺跡・文化財

この施設は、平成22年(2010)3月19日に開業した埼玉県東松山市高坂(現在の地名は「あずま町」)に
所在する大型のショッピングモール『ピオニウォーク東松山』です。
開業以来何度も利用しているところでありますが、実は、ここは「反町遺跡」があった場所なのです。
反町遺跡は、高坂台地の東側に広がる低地に位置し、 標高は18mほどで、都幾川のほとりに広がってい
ます。
この遺跡は、現在の地表面から1mほど掘り下げて発見されたもので、古墳時代前期(約1,700年前)に
大規模な集落が 造られました。その後、古墳時代中・後期(約1,500~1,400年前)には墓域として利用
され、数多くの古墳が造られた跡です。
この写真は、開業の翌日である平成22年3月20日に訪問して撮ったものですが、現在も外観は変わってい
ません。



この『ピオニウォーク東松山』がある場所がかつての「反町遺跡」と知る人は、遺跡や古墳などに興味あ
る人以外は少ないと思います。
こうしたことに興味のない人や来客者に向けて、ここが反町遺跡であったことを知ってもらう目的のため
でしょうか、ごくごく小さな展示コーナーが設けられています。
場所は、1Fの東側通路です。たい焼き屋さんの左角を曲がったところのあります。
このミニミニ展示を知ったのは5年前でそのとき1回見に行っただけでしたので、その後、展示に変更があ
ったかどうか確かめる意味も含めて2日前に再度行ってみましたが、何ら変更はありませんでした。



反町遺跡説明文


出土品の土器


出土品の埴輪 人物(男)埴輪と動物(馬)埴輪
※ここの展示は触り程度ですが、東松山市埋蔵文化財センター(東松山市下野本528-1 土・日・祝日・年末年始休館)
ではたくさんの出土品が展示されていますので興味ある方はどうぞ



反町遺跡の空撮写真
反町遺跡とあるところに現在のピオニウォーク東松山(アピタ東松山)がありますが、その周囲はホームセンター、書店、
衣料品店、家電量販店などが囲み、更にその外周は住宅街として整備されています。
このエリア一体の地名も「大字高坂」から「あずま町〇丁目」に変わりました。



「反町遺跡と周辺の主な遺跡」  これも大変参考になる情報です。
この写真の図の赤丸黄丸が遺跡、古墳マークが古墳の場所と名称を表していますが、遺跡・古墳名を判読
できませんので下に列記しました。
古墳については一部畑等に転用され全容がわからなくなっているものもあるようですし、遺跡については
そのほとんどが道路や商業施設、住宅地などになっており現在は遺跡の姿を見ることはできません。
所在地及び指定・選定については図には表示されておりませんが付け足しておきました。ここに紹介され
ているエリア内だけでも、これ以外の古墳等がまだまだ存在しています。

 反町遺跡     (東松山市あずま町)
 山の根古墳    (吉見町久保田)    埼玉県選定重要遺跡
 三ノ耕地遺跡   (吉見町久米田)
 五領遺跡     (東松山市若松町・柏崎)東松山市指定史跡・埼玉県選定重要遺跡
 野本将軍塚古墳  (東松山市下野本)   埼玉県指定史跡
 天神山古墳    (東松山市柏崎)
 下道添2号墳   (東松山市古凍)
 根岸稲荷神社古墳 (東松山市古凍)
 諏訪山29号墳   (東松山市西本宿)   埼玉県選定重要遺跡
 諏訪山古墳    (東松山市西本宿)   東松山市指定史跡・埼玉県選定重要遺跡
 銭塚遺跡     (東松山市高坂)
 城敷遺跡     (東松山市高坂)
 高坂三番町遺跡  (東松山市高坂三番町)
 代正寺遺跡    (東松山市宮鼻)
 大西遺跡     (東松山市高坂)
 正直遺跡     (川島町正直)
 平沼一丁田遺跡  (川島町平沼)
 白井沼遺跡    (川島町白井沼)
 富田後遺跡    (川島町三保谷宿)
 元宿遺跡     (川島町三保谷宿)
 堂地遺跡     (川島町上井草)
 前原遺跡     (桶川市川田谷)
 熊野神社古墳   (桶川市川田谷)    埼玉県指定史跡


見学日:令和6年(2024)4月22日(月)

「和紙の里ひがしちちぶ」の八重桜

2024年04月20日 | 花・鳥・風景

埼玉県唯一の村・東秩父村の和紙の里へ八重桜を観に行ってきました。丁度一週間に行った時には、ソメ
イヨシノが満開でしたが、八重桜は蕾でしたので、もう満開を迎えているかも知れないと・・
予想通り満開でした。



左の大きな桜の木がソメイヨシノ  すっかり葉桜に変わっています。








文化財収蔵庫の前にはちょっとしたシャガの群生地があり、花をつけていました。






この真紅のツツジは村の功労者の顕彰碑の傍らに咲いていました。

散策日:令和6年(2024)4月20日(土)

矢岸歩道橋と桜 そして腰越城跡

2024年04月14日 | 花・鳥・風景


「矢岸歩道橋」・・・小川町腰越地内を流れる槻川に架かるトラス橋。この橋の前身は吊り橋で、橋の名
も「東矢岸橋」でしたが、昭和25年のヘリーン台風で消失したため、同じ町内下里の柳町橋を移築したも
のです。
言わばお古の橋梁ですが、古いがゆえに「日本の近代土木遺産ー現存する重要な土木構造物2800選ー」に
選定されています。トラス橋に変わった今も、吊り橋時代のものが幾つか残っています。
この投稿の主題は「矢岸歩道橋」の歴史ではなく、矢岸歩道橋の傍に咲く桜でしたね。今年も綺麗に咲き
ましたので何枚かアップしておきましょう。
 《昨年の投稿での説明文の一部をコぺピしました・・手抜き》


幟の脇に四角のコンクリート柱が見えますが、これは吊橋の主塔の名残りです。以前は Πの字型の主塔が
橋の両側に残され、上部に「矢岸歩道橋」の看板(金網に括られて入りるもの)があったのですが、危険
防止のためか写真のように約1mほどを残して撤去されました。
「日本の近代土木遺産」とは、社団法人土木学会が幕末以降、西洋の近代土木技術が導入されてから第二
次世界大戦以前までに造られた土木施設のうち、現存しているものを近代土木遺産と定義し、全国調査の
結果重要と認められる約2800件を選定したものです。
これらはA,B,Cの3ランクに区分され、Aは国指定文化財クラス、Bは県指定文化財クラス、Cは市区町村
指定文化財、あるいは、国の有形登録文化財クラスを意味していようです。無論、これらの近代土木遺産
の中には文化庁主幹の国指定文化財や自治体指定の文化財指定を受けているものもあるわけです。
この「矢岸歩道橋」はCにランク付けされています。



槻川下流から見た矢岸歩道橋  桜の枝が被っている山が「笠山」




水際には菜の花も




桜の幹のそばに咲くタンポポ  風に舞った花びらが散っています  


矢岸歩道橋の上から槻川左岸の桜を


同上


矢岸歩道橋の上から槻川上流方向


矢岸歩道橋の上からすぐの上流右岸の堤の桜並木


右岸上流の堤から矢岸歩道橋と桜を


同上


同上


同上


右岸から左岸の桜を  手前は右岸にある八重の桜


右岸の八重の桜


矢岸歩道橋の下流左岸の遊歩道から


矢岸歩道橋の下流に架かっている矢岸橋の上から矢岸歩道橋方向を


タイトルに入れたにも関わらずしんがりとなった「腰越城跡」(埼玉県指定史跡)
腰越城 中世後期の天文年間(1532~1555)に築かれた山城 標高188m・比高100m


散策日:令和6年(2024)4月13日(土)

「和紙の里ひがしちちぶ」のさくら

2024年04月13日 | 花・鳥・風景

埼玉県唯一の村・東秩父村の和紙の里へ桜を観に行ってきました。今年も・・・
元々ここは東秩父村立大河原中学校の旧校舎があった跡地でしたが、昭和60年(1985)度に開始された
和紙の里整備事業により、細川紙に関する施設として「東秩父村和紙の里」が開設され、その後の平成
28年(2016)10月に埼玉県20番目の道の駅「道の駅和紙の里ひがしちちぶ」として登録されました。
敷地内には、細川紙の見学・紙すき体験などを行っている中央の和紙センターのほか、ふるさと文化伝
習館、細川紙紙漉家屋(江戸末期の紙すき農家を移築)、研修会館、ギャラリー、和紙の里特産品直売
所などからがあります。


3月24日に訪ねた時には1本の桜しか開花しておりませんでした。
今回はメインの桜の木(先の1本の桜とは別種?)が若干葉桜になりかけてりましたが満開状態。
文化伝承館のそばにある八重の桜はまだ蕾でした。














散策日:令和6年(2024)4月13日(土)

聖地巡礼 旧「下里分校」

2024年04月10日 | 花・鳥・風景

アニメ「のんのんびより」における架空の分校「旭丘分校」のモデルとなった
『小川町立小川小学校旧下里分校
を、散る前にと一昨日桜見物を兼ねて巡礼してきました。
アニメの舞台となった場所を【聖地】と呼び、そこを訪ねることを【巡礼】と言うそうな。
この「のんのんびより」が最初に放映されたのはかれこれ10年ほど前のようですが、「旭丘分校」こと
旧「下里分校」を探し当て、今も巡礼者があとを絶たないようです。







「埼玉県比企郡小川町立小川小学校 下里分校」と書かれた表札


教室内の黒板(深緑色だけど黒板です)に描かれたイラスト
教室内には入れませんので渡り廊下から そのためガラス戸に映り込みが・・・














過去記事「聖地巡礼 下里分校」  《本投稿より写真が少し多いだけですが》

巡礼日:令和6年(2024)4月8日(月)

深谷グリーンパークのチューリップ&さくら 2024

2024年04月09日 | 花・鳥・風景

今年も深谷グリーンパークのチューリップとさくらを観に行ってきました。
チューリップとさくらの見事なコラボ。沢山の方が訪れていて、皆さん写真を・・・
























散策日:令和6年(2024)4月7日(日)

さきたま史跡の博物館「古墳群ガイドツアー」に参加してきました。

2024年04月08日 | 史跡・文化財めぐり〈団体〉

埼玉県立さきたま史跡の博物館のリニューアル記念イベントが 4 月 6 日(土)に開催されましたので、
そのうちのひとつ「古墳群ガイドツアー」に参加してきました。
今回の古墳群ガイドツアーは、埼玉古墳群の古墳のうち、築造時期の古い順に3基の古墳(稲荷山古墳・
丸墓山古墳・二子山古墳)を、さきたま史跡の博物館の学芸員の案内で回ったもので、上掲の「国指定特
別史跡埼玉古墳群」図のA~G~Aのコースでした。



午前の部と午後の部のうち自身は午後の部(午後2時~3時15分)に参加
事前予約の必要はなく当日申込で各回先着30名程度ということで、さきたま史跡の博物館前で受付が行われ
ました。午後の部の参加者は約20名程だったようです。



博物館前から愛宕山古墳、忍城城主であった奥平松平家9代・11代・12代の墓がある天祥寺の脇を通り丸
墓山古墳方向に



丸墓山古墳の手前まで来ました。コンクリートポールの先の道は、石田三成が忍城を水攻めにするために
築いた石田堤の跡の一部
ここを右折して稲荷山古墳へと向かいます



稲荷山古墳前方部の階段を登って
この稲荷山古墳の前方部は田畑に転用するために土取りが行われてしまったため消失していたものを復元
したもの



稲荷山古墳前方部から丸墓山古墳を


前方部から後円部へ


国宝「金錯銘鉄剣」等が出土した場所について説明する学芸員
この稲荷山古墳の築造時期は5世紀後半、墳長全長120.2m



稲荷山古墳後円部から下って丸墓山古墳へ


丸墓山古墳へは北側から登ります


丸墓山古墳周囲の桜と菜の花も満開です


丸墓山の築造時期は6世紀初頭、直径105.0m
数年前までは日本で1番大きな円墳とされていたが、奈良市の某円墳がこれを上回るとされ、一番ではな
くなったが日本最大級クラスの円墳であることに変わりはありません
墳頂にて、丸墓山古墳は台地の端の方に築造されたと説明する学芸員
学芸員の左側に少しだけ見えるのが将軍山古墳



墳頂から石田堤跡の桜


やはり墳頂から


これも墳頂から


南側の階段から降りて今度は二子山古墳に向かいます


二子山古墳  築造時期 6世紀前半、墳丘全長132.2m 
埼玉古墳群の中では一番大きな遠方後円墳

この後、愛宕山古墳の脇に出て博物館まで戻って解散 予定よりちょっと早く、ちょうど一時間のツアー
でした。


催行日:令和6年(2024)4月6日(土)

スペシャルテーマ展「埼玉古墳群と日本遺産―和装文化の足元を支え続ける足袋藏のまち行田―」

2024年04月07日 | 企画展・見学会


改修工事中であった「埼玉県立さきたま史跡の博物館」が改修工事を終えて令和6年4月2日(火)から
再オープンしました。再オープンと同時に始まった
スペシャルテーマ展
 埼玉古墳群と日本遺産―和装文化の足元を支え続ける足袋藏のまち行田―
を観覧してきました。
会期:令和令和6年4月2日(火)より5月26日(日)まで
場所:埼玉県立さきたま史跡の博物館 企画展示室 (行田市埼玉4834)

行田市の日本遺産(名称「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」平成29年〔2017〕4月28日認
定)は埼玉県初のものであり、やはり行田市にある埼玉古墳群は埼玉県で唯一の国指定特別史跡(令和2
年〔2020〕3月10日、国指定史跡から特別史跡に昇格)であり、忍城跡らとともに行田市の日本遺産を構
成遺産のひとつです。



ロビーにある「特別史跡 ようこそ埼玉古墳群へ」のボード 右方が国宝展示室 左方が企画展示室


スペシャルテーマ展 埼玉古墳群と日本遺産―和装文化の足元を支え続ける足袋藏のまち行田―の看板


企画展示室入口   写真撮影はOKです  但し条件付き


日本遺産とは
 日本遺産は文化庁が平成 27 年度に創設した文化財制度で、地域の歴史的魅力や特色を通して我が国の
文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」に認定し、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無
形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援する制度です。
 日本遺産には複数の市町村にまたがってストーリーを展開する「シリアル型」と本市のように単一の市
町村でストーリーを完結する「地域型」があります。
 日本遺産は、地域に点在する文化財を把握してストーリーによるパッケージ化を図り、地域主体で面的
・総合的に整備・活用し、せかいに戦略的に発信することにより、ちいきの活性化を図ることを目的とし
ています。

行田市の日本遺産ストーリーの概要
忍城の城下町行田の裏通りを歩くと、時折ミシンの音が響き、土蔵、石蔵、モルタル蔵など多彩な足袋の
倉庫「足袋蔵」が姿を現す。行田足袋の始まりは約 300 年前。武士の妻たちの内職であった足袋は、やが
て名産品として広く知れ渡り、最盛期には全国の約 8 割の足袋を生産するまでに発達した。それと共に明
治時代後半から足袋蔵が次々と建てられていった。今も日本一の足袋生産地として和装文化の足元を支え
続ける行田には、多くの足袋蔵等歴史的建築物が残り、趣きある景観を形づくっている。



埼玉古墳群からの出土品


埼玉古墳群


忍城絵図と忍城出土遺物


書状など


行田の足袋製造用道具及び関係資料
ミシン 足袋金型 足袋型紙 足袋ラベル等



「和装文化の足元を支え続ける足袋藏のまち行田」構成文化財一覧


行田市の日本遺産ストーリー


「和装文化の足元を支え続ける足袋藏のまち行田」構成文化財の写真と説明文


構成文化財の写真と解説文の一例

数が多く個々の紹介はできませんので・・・



享保年間行田町絵図  (江戸時代)


企画展示室内の状況(一部)


「日本遺産 和装文化の足元を支え続ける 足袋藏のまち行田」パンフレット  
                              行田市教育委員会文化財保護課発行
行田市の日本遺産ストーリー ~行田足袋と足袋蔵の物語~
行田市のストーリーの構成文化財の写真と説明文が掲載されています


観覧日:令和6年(2024)4月6日(土)

忍城のさくらと花手水

2024年04月06日 | 花・鳥・風景

続日本100名城の一つ行田市の忍城の桜を愛でてきました。あいにくの花曇りでしたが沢山の方が
桜を見に来ていました。そして、すっかりお馴染みとなった花手水も・・・
そう言えば忍城が続日本100名城に選定されたと発表されたのは7年前の4月6日の「城の日」で
した。



































散策日:令和6年(2004)4月6日(土)

夢の壁

2024年04月04日 | エトセトラ

ネットでニュースを追っていたところ、芥川賞作家の加藤 幸子(かとう ゆきこ)さんが、去る3月30日、
心不全のため死去されたとの記事を目にしました。
「夢の壁」で1982年(昭和57年)下半期の芥川賞を受賞しており、翌1983年(昭和58年)2月5日に上掲
写真の単行本が発行されました。
多分、この発行直後に購入して読んだ記憶があります。ただし、41年も前ことですから内容は覚えており
ませんし、単行本そのものも断捨離で段ボール箱に入ってしまいましたが、写真だけは残っていました。
この頃、夢中で小説を読み漁っていましたが、加藤 幸子さん作品はこの1冊だけでした。
加藤 幸子の経歴等については触れませんが、1936年(昭和11年)生まれで享年87歳。ご冥福をお祈りい
たします。合掌