直木賞作家・乙川優三郎の小説「さざなみ情話」の舞台となった平潟河岸は、江戸時代は水運の中継地として栄え旅籠も三十数軒もあり、飯盛り女も多かったところです。
明治には平潟遊郭となった。関東大震災の後は、贅を尽くした建物が軒を並べていたが、現在は完全に姿を消した。
僅かに名残を留めているのが、広場の大柳だけ。この電柱もその一つかもしれない。
紹介済の六幢地蔵塔がある「来迎寺」や「千壇屋」が近くにある。
(松戸2200)
明治には平潟遊郭となった。関東大震災の後は、贅を尽くした建物が軒を並べていたが、現在は完全に姿を消した。
僅かに名残を留めているのが、広場の大柳だけ。この電柱もその一つかもしれない。
紹介済の六幢地蔵塔がある「来迎寺」や「千壇屋」が近くにある。
(松戸2200)