<いまの時代は既成のアカデミズム、特に大学がポストモダン的な作業に没頭してしまい、近代実証主義の枠から外れたことを扱うことが苦手になっていますね。人間の体験知のごく一部だけが守備範囲なので、超越的なものである見えない世界を扱えなくなってしまっている。この章のテーマは宗教ですが、超越的なものに接するところには、必ず宗教が出てきます。
たとえば、われわれ人類は、ほかの動物を殺して、その命を得ることで生きています。菜食主義者も生態系に影響を与えているわけですから、何も殺さずに人間が生きていくことはできないのですが、ふだんは無自覚なまま生活をしています。恋愛をするにしても、相手にDVされることがあるかもしれないし、ストーカーに殺されることがあるかもしれない。いい意味でも悪い意味でもそういう超越的なものに遭遇する可能性があるにもかかわらず、意識することなく暮らしている。
これは、現代のわれわれが悪のリアリティに鈍感になっているからではないかと思います。西洋の正統的な学問は、アウグスティヌスの強い影響下にあります。アウグスティヌスは、悪を「善の欠如(privatio boni)」ととらえ、スイスチーズの穴のように、善が入っていない部分が悪だというふうに考えていました。これでは、悪自体が見えなくなってしまう。人間には当然ながら悪の部分があるので、アウグスティヌスの考え方でいくと、人間も見えなくなってしまいます。>
□高橋巖×佐藤優『なぜ私たちは生きているのか シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話』(平凡社新書、2017)の「Ⅲ宗教--善と悪のはざまで」の「現代人は悪に鈍感」から一部引用
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【参考】
「【佐藤優】見えるお金が見えない心を縛る ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】生活のなかに植え付けられた資本主義 ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】プロテスタンティズムと資本主義は関係ない ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】個別主義・全体主義・普遍主義 ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】ルター派教会とナチズム ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】キリスト教は「絶対他力」の宗教 ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】『なぜ私たちは生きているのか シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話』目次」
たとえば、われわれ人類は、ほかの動物を殺して、その命を得ることで生きています。菜食主義者も生態系に影響を与えているわけですから、何も殺さずに人間が生きていくことはできないのですが、ふだんは無自覚なまま生活をしています。恋愛をするにしても、相手にDVされることがあるかもしれないし、ストーカーに殺されることがあるかもしれない。いい意味でも悪い意味でもそういう超越的なものに遭遇する可能性があるにもかかわらず、意識することなく暮らしている。
これは、現代のわれわれが悪のリアリティに鈍感になっているからではないかと思います。西洋の正統的な学問は、アウグスティヌスの強い影響下にあります。アウグスティヌスは、悪を「善の欠如(privatio boni)」ととらえ、スイスチーズの穴のように、善が入っていない部分が悪だというふうに考えていました。これでは、悪自体が見えなくなってしまう。人間には当然ながら悪の部分があるので、アウグスティヌスの考え方でいくと、人間も見えなくなってしまいます。>
□高橋巖×佐藤優『なぜ私たちは生きているのか シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話』(平凡社新書、2017)の「Ⅲ宗教--善と悪のはざまで」の「現代人は悪に鈍感」から一部引用
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【参考】
「【佐藤優】見えるお金が見えない心を縛る ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】生活のなかに植え付けられた資本主義 ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】プロテスタンティズムと資本主義は関係ない ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】個別主義・全体主義・普遍主義 ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】ルター派教会とナチズム ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】キリスト教は「絶対他力」の宗教 ~『なぜ私たちは生きているのか』~」
「【佐藤優】『なぜ私たちは生きているのか シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話』目次」