語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
読書
大岡昇平+社会問題・社会保障

【メディア】や高市発言にみる安倍政権の「表現の自由」軽視

2016年03月03日 | 社会
 (1)高市早苗・総務大臣の、国会における「テレビ局が政治的公平に反する番組は停波が可能」発言が波紋を広げている。
 菅義偉・官房長官、安倍晋三・首相も、「従来どおりの見解」と擁護したが、2月15日には、個別番組内容まで踏み込んだ新たな「政府統一見解」まで出された。

 (2)安倍政権の露骨なテレビ規制だ。
   2014年の総選挙前の公平公正要請
   2015年4月の自民党へのテレビ朝日・NHKの呼びつけ
   同年6月の自民党「文化芸術懇話会」での“妄言”
   特定の新聞・テレビにしか出演しない安倍首相のメディア対応
   同年11月のBPO(放送倫理・番組向上機構)への批判
と続く流れだ。

 (3)今回の高市発言でも「報道ステーション」や「NEWS23」では「表現の自由」との関係で、政府への言論への関与を戒める取り上げ方をしていた。
 しかし、情報番組では「相次ぐ女性閣僚の問題発言」の一つとするなど、全体として取り組みは弱かった。安倍チャンネルといわれるNHKはいわずもがなだ。
 毅然たる対応を今こそ取らなければ、ますます安倍政権はメディアに踏み込んでくる。

 (4)今回問題となっている「政治的公平」を含む放送法第4条の「番組編集準則」が「倫理規範」にすぎないことは、1950年の放送法制定時から長年の議論で明白だ。
 したがって、放送法には直接的な罰則がない。
 1993年のテレビ朝日報道局長発言で、当時の放送行政局長が「最終的には郵政省(現・総務省)が判断する」と発言して以来、今回のような「4条違反は電波法76条による免許停止が可能」との見解が出てきたが、適用例はない。
 「倫理規範」とかんしゃくされてきたのは、放送法が憲法21条「表現の自由」を具体化されて生まれた経緯があるからだ。戦前の大本営発表によって国民が冷静な判断を行うことができず、敗戦にいたった反省を踏まえ、放送法は制定された。
 憲法の「表現の自由」は国民一人一人に与えられているものだ。
 国家権力と国民の間に立って、「権力の監視」を行うメディアの「表現の自由」が規制を受けると、多様な情報が流れなくなり、国民の「表現の自由」も失われる。とくに政治情報はそうだ。
 したがって、4条を根拠にメディア規制を行えば、放送法自体が憲法違反になる。

 (5)放送法を「規制」の観点から捉える安倍政権は、「表現の自由」の大切さを軽視している。
 「安倍政権こそ表現の自由を重視している」といった安倍首相の発言の“軽さ”に、その問題が如実に表れている。
 
 (6)このような国家とメディアと国民の関係について、メディアはもっと取り上げ、解説すべきではないか。
 折しも、2月21日に放送されたNHK「新・映像の世紀」では、20世紀後半の社会改革で「映像」が果たした役割をはっきりと示していた。
 NHKも含め、テレビ界に「表現の自由」の重要性を示す番組を期待したい。このままでは戦前回帰が現実のものとなる。

□砂川浩慶(立教大学准教授)「高市発言にみる安倍政権やメディアの「表現の自由」軽視」(「週刊金曜日」2016年2月26日号)
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