語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【政治】露骨な安倍政権へのすり寄り ~経団連が献金再開~

2014年09月17日 | 社会
 経団連が5年ぶりに政党への政治献金の再開を決めた。榊原定征・経団連会長/東レ会長は、記者会見(9月8日)で「社会貢献の一環」と説明したが、求心力を求める安倍晋三・首相へのすり寄りでしかない。

 米倉弘昌・前経団連会長/住友化学会長と安部との関係は最悪だった。
 2年前、安部が野党自民党総裁に就任して「大胆な金融緩和」を訴え衆院選に突入した際、米倉は安部に注文を付けた。「金融緩和だけで需要を喚起できるはずがない」
 さらに米倉は、安部の日本銀行への働きかけを強める考えに「無鉄砲」「無謀に過ぎる」と発言をエスカレートさせた。
 安部も黙っていなかった。「(米倉は)勉強していない。間違った認識は、正しておく必要がある」
 最終的に衆院選の選挙情勢が自民圧勝の流れになると、米倉が膝を屈した。が、安部の怒りは収まらなかった。政府の経済政策の司令塔でもある経済財政諮問会議の民間議員から米倉は外され、経団連は「指定席」を失った。
 のみならず、自民党が政権に復帰して初めて開いた党大会(2013年3月)には、米倉ではなく、渡文明・審議員会長(当時)が経団連を代表して出席した。米倉が会長に座る間は、もはや経団連と安部政権との関係修復は絶望的だった。
 米倉が2期4年の任期を終え(今年6月)、榊原が会長に就くと、関係改善が一気に進んだ。9月5日、榊原を経済財政諮問会議の民間議員とする、と政府は発表した。
 その直後の献金再開だ。あまりにもタイミングが良すぎる。

 財界と自民党との政治献金をめぐる因縁は、長い歴史がある。
 (1)「造船疑獄」(1954年)をきっかけに政治献金を一本化するため、「経済再建懇談会」が設立された(1955年)。これが経団連による自民党への献金あっせんにつながっていった。この資金の流れと自民党政権が密接に絡み合い、55年体制の落とし子=「政官業の鉄の三角形」が形成された。
 (2)自民党の野党転落(1993年)で、(1)の資金の流れがストップした。自民党を離脱した小沢一郎によって非自民の細川護煕・連立内閣が発足すると、平岩外四・経団連会長/東京電力が献金のあっせん中止を発表した。平岩と小沢との関係がそれを可能にした。自民党にとって、献金ストップは野党転落以上にショックだった。
 (3)非自民政権は1年も持たずに崩壊した。自民党は、村山富市・社会党委員長を担いで自社さ政権を樹立、政権復帰を果たした。経団連はシンクタンクとして政治との関わりを模索したが、影響は限定的だった(資金的なつながりがないから)。
 (4)旧経団連から現経団連に移行して最初の会長に就いた奥田碩(トヨタ出身)は、2004年から政策評価をした上で自発的な献金を促す方式で企業献金を復活させた。
 (5)民主党が政権交代を果たし、自民党が野党に転落すると、またまた献金を止めた。

 以上要するに、経団連はご都合主義でしかなかった。
 今回の献金再開も、あまりに露骨だ。
 1994年に成立した政治改革関連法により、国民1当たり250円の政党交付金が税金から支払われる。自民党は昨年1年間で145億円の交付金を受け取った。献金は、政治資金の「二重取り」だ。
 安部はアベノミクスの一環として法人税減税を打ち出している。経団連からの呼びかけであるとはいえ、あまりに行儀が悪すぎる。

 経団連はかつて「財界総本山」と呼ばれた。経団連会長は、「財界総理」だった。歴代会長の石坂泰三(東芝)、土光敏夫(同)、稲山嘉寛(新日本製鐵)らは文字どおり現職総理と比肩するほどの見識と実力を兼ね備えていた。
 政界も財界も余りに小粒になった。
 「カネの切れ目が縁の切れ目」の愚をまたしても繰り返すのか。

□後藤謙次「露骨な安倍政権へのすり寄り 経団連が5年ぶりに献金再開 ~永田町ライブ 209~」(「週刊ダイヤモンド」2014年9月20日号)
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