浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

今日で五月も終わりですね

2023-05-31 20:29:00 | 日記
だんだん、梅干しの樽が増えてきました。
梅を採っていたら、アジサイにぶつかり、花が折れてしまった、もったいないので、水溜に入れておきました
夕方、近所の役員さんのお宅にお邪魔すると、いろいろと花が咲いていたので、写真に撮らせてもらいました。つい、話し込んでしまい、気が付くと、6時半過ぎでした。それでも、今の時期は、明るいから、有り難い。









明日から、僧侶の服装を、冬衣から、夏衣に衣替えだった!梅の作業に追われて忘れてました。


 
 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日も一日中梅もぎでした

2023-05-30 20:49:29 | 日記

今日も、朝から夕方まで、梅もぎをひたすらしてました。何だか、今年は、無茶苦茶な量になる気がします。お参りにいらした方からは、脚立にのって作業している私に、「住職、どうか、気を付けて、作業されて下さいね」と声をかけられます。梅の木は、梅園などのような背丈が低く、収穫しやすい木を連想されるかもしれませんが、お寺の梅の木は、かなり、背が高く、周りに、他の木も生い茂っているため、脚立を立てるだけでも一苦労なのです。お参りの方に、「ご苦労様です」と声を掛けられると、「読経するより、100倍大変ですよ!」と言うと笑っておられましたが、本当に、そうなのです。私は、安全ベルトを装着して作業しますが、だんだん、疲れてくると、それも、面倒になってしまう時があります。昔、地元の消防団に入隊していた際、毎月、地元の街灯の点検をするのです、そして、街灯が切れている箇所があれば、蛍光灯を新しいものに交換するのです。それが、新入りの役目なのですが、私が、安全ベルトをしないで、作業しているのを見て、先輩に、怒鳴られたの覚えています。先輩の本業は、工事関係者だったので、油断の怖さを、身をもって知っておられたからでしょう。いつも、穏やかな先輩だったので、怒鳴られたのには、びっくりしました。もう20年以上前の話ですが、今でも覚えています。住職仲間にお聞きすると、脚立から落ちた経験がある方が多いのです。住職が、境内の手入れを、自分でされる方が多くいらっしゃるからです。私も、植木屋さん、樹木医さんにお願いしますが、それだけでは、間に合わないので、やはり、自分でやらないといけません。作業していると、だんだん、疲れてきたり、仕事が思うようにすすまないとイライラしたり、すると、ふと、気づくと、呼吸が浅くなっています。焦ったり、油断したりしたときが、一番、危ない時です。私は、そんな時、自律神経を整えるために、深呼吸をします。焦って作業しても、はかどることはなく、かえって、マイナスですね。それでは、皆様も脚立での作業は、油断大敵ですよ。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新規墓地のページ新しくいたしました

2023-05-29 11:52:14 | お知らせ

法徳寺の新しい墓地分譲のページを新しくしました。よかったら、ご覧下さい。将来、墓じまいをされることになった場合、残された方に迷惑がかからないように、すべて、無料に致しました。納骨されているお骨は、永代供養墓に無料で納骨し、墓地を墓じまいする費用も無料にしました。

http://houtokuji.info/





  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これからが これまでを決める

2023-05-28 15:00:00 | 法話

浄土真宗本願寺派の本山から各寺院宛てに送られてくる「宗報」というものがございます。住職は、その「宗報」に目を通して、宗派のさまざまな情報を知ることが出来ます。今月5月号の記事の中に、お寺から離れて暮らす門徒さんと、どのように、縁を繋いでいくかという取り組みをされている山陰教区 西楽寺さんが紹介されていました。お寺が門徒さんに出している、おハガキの中の言葉に、

これからが これまでを決める 藤代聡磨(ふじしろさとまろ)師 真宗大谷派僧侶

のお言葉が紹介されていました。名僧と言われる方のお言葉です。「これまで(過去)が、これから(未来)を決める」のではありません。変えることも、消すことも出来ない”これまで”ですが、”これから”の生き方次第で、その意味は大きく変わり(決まり)ます。と、菅原住職の解説がされておりました。

皆さんも、変えられない過去にとらわれ、苦しむ時がないでしょうか?しかし、これからの生き方で、過去の意味が変わってくる。たとえば、大切な方との別れです。「ああすればよかった、こうすればよかった」と別れた悲しみ、寂しさで、生きる力も気力も失ってしまうことでしょう。しかし、亡き方は、残された者が、前を向いて生きて欲しいと願っているはずです。失ったものは大きいですが、亡き方のお陰で、阿弥陀如来に出会うことが出来た、生きている有難みが分かった、家族の絆が生まれたなど。この悲しみは、決して、無駄ではなかったと過去の出来事の意味が変わってくるのです。10年程前、私も母を亡くした時、しばらくは、体調を崩すほどの悲しみが続きましたが、ある先輩僧侶の方が、「あなたにとって、お母さんの死は、無駄ではないですよ、いつか住職として、プラスにはたらいてくれます」と、言って下さいました。確かに、私も、母の死をきっかけに、少し、生き方が変わった気がします。人生には、何一つ無駄はないと言われます。でも、無駄にするかしなかは、自分のこれからの生き方次第だと思いました。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の心は乱高下

2023-05-27 16:39:13 | 日記

今朝は、コーヒーを飲みながら、法事まで、のんびり、過ごそうと思っていたのです。ところが、父が、「来週の天気予報は、雨ばかりだぞ!」の言葉に、私の頭の中は、戦闘モードに入ってしまいました。ビワをとらなくちゃ、梅をとらなくちゃ、そんなことを考え始めると、気が付くと、ツナギを着て、作業開始してました。苦しいときは、誰かに助けてもらうチャンスと、本で読んだばかりだったのに、また、全部、自分でやろうとしている、なぜなら、達成感を味わいたいのです。そのため、どんどん、自分の首を絞めてます。そして、また、視野がせまくなってました。たとえ、雨でも、レインスーツ着てやれるじゃないか、別に、土日の本業が忙しい時に、無理してやらなくてもいいと思いなおし、作業やめました。これから、お通夜へ行って参ります。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする