浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

毎年桜祭り大変だ

2024-03-31 16:52:00 | お知らせ
数日前までは、暖房をいれていたのが、昨日今日、車中は冷房をいれなきゃ暑いくらいです。これだけ気温が上昇すると、いよいよ桜の季節です。今、桜まつりの関係者の方は、ヒヤヒヤしていらっしゃると思います。桜祭りが始まっても、咲いていないのも困りますが、昨年は散ってしまっているのも困ります。なかなか、思い通りには、いかないものでございます。せっかく、咲いても、無常の風が吹けば散ってしまうのであります。私は昨日、三渓園に行ってみたのですが、外国人観光客さんも、もう少し時期をずらして日本に来ればよかったと少し残念な表情でございました。
私たちの人生の花盛りもあっという間に過ぎ去ります。いつもの話ですが、楽しみを先送りにしてはいけません。今を楽しまなきゃいけないのです。暇になったら、お金が貯まったら、と楽しみを老後にとっておいても、それまで生きている保証はなく、健康を保っている保証もありません。きっと、あの時あーすればよかった、こうすればよかったと後悔するのです。だけど、今を楽しめないのが、私たちなのであります。今は我慢だ。もう少しすれば楽になる。と思ってしまうのです。なぜなら、生きているのは、今しかないと、本当に思えないからであります、明日も生きていると、信じているからなのです。長生きをしたとして、お金があっても、時間があっても、体がいうことをきかなくなったら、やりたいこともやれないのであります。今日も午後から強い風が吹いていました、もし、今満開の桜であったら、花吹雪の舞い散る中だったと思います。





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日本人に生まれた有り難み

2024-03-30 22:26:00 | お知らせ
私たちが暮らすこの世界は、娑婆世界であります。思い通りにいかず、耐えて、生きていかねばならない世界であります。私も、楽しい事、嬉しい事もたくさんあったのです。欲しい物も沢山手に入れました、しかし、全部、この世に置いて、独り去るのです。誰も、この世界が、どういう世界であるか、本当の意味でわかっていないから、苦しむのであります。娑婆世界は、楽しい世界ではなく、まるで、修行の世界なのです。私は、思い通りに生きられないとなげくのでなく、当たり前だと思って生きる事にしております。
さて、私たちは、お互い良い行いの結果、日本という素晴らしい世界に生まれ、人間として、この世に誕生したのです。こんな、恵まれたありがたい事は無いのです。それは、親鸞聖人と同じ国に生まれ、阿弥陀如来の救いを聞かせて頂ける、人間に生まれることが出来たからであります。しかしそれには、阿弥陀如来の願いが、この私を、日本人に生まれさせてくださり、親鸞聖人の教えを聞かせていただける、浄土真宗のお寺に生まれさせてくださったのだと思っております。今、世界の人々が、日本に、観光に行きたいと、人気があります。その中でも、京都はナンバーワンです。日本の仏教文化が、数多く残されているからであります。西本願寺のあの巨大な木造建築は、外国人も大変感動されます。そして、あの大きな御堂には、意味があるのです。あれだけ大きな本堂でなければ、多くのお参りの方に対応できなかったからです。日本中から、一生に1度は、西本願寺にお参りさせていただき、阿弥陀如来、親鸞聖人様に御礼をしたいと、日本中からお参りの方が沢山押し寄せたのであります。私も1年に1度は、西本願寺にお参りしたいと願うことであります。お寺は、その空間にいるだけで、癒され心救われるものであります。
どんなに素晴らしい世界であっても、人生を脅かす病気には、逃れることができないのです。世の中で、一度も病気になった事がない方がいるでしょうか?私は、今まで、様々な病院の看板をみていますが、どんな病気でも必ず治すと、そのようにうたう病院に出会った事はありません。私はどこかにそのような看板を出している病院はないかと、いつも探しています。
もし、すべての病気を治すお医者様がいらっしゃったら、これほどありがたい事は無いのです。仏様にも数多くの仏様がいらっしゃる中で、どんな心の病気も治療し、どんな罪深いものも極楽浄土へ救い、仏と成ることのできるご利益を頂けるのは、阿弥陀如来以外にはいらっしゃいません。どんな病気も治す医者のようであります、この思い通りにならぬ、この世において、それは唯一の光明であります。





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新型墓地区画のチラシ作りました

2024-03-29 12:22:00 | お知らせ
新型墓地区画のチラシが出来ました。早速、昨日、一区画契約成立致しました。ありがとうございました。是非、墓地をお探しの方は、宜しくお願いします🙇‍♀️




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最高の現世利益

2024-03-28 20:32:00 | お知らせ
無病息災や交通安全、いわゆる現世利益です。神社にお参りしたり、お寺にお参りする方は数多くいらっしゃる。お賽銭100円で願い事が叶うのであればこんなありがたい事はありません。しかし、皆さん願い事は叶いましたか?
私の「死にたくない」という気持ちが、今の幸せを、おびやかしています。逆に、来世に極楽浄土を願うという人は、数少ないのであります。浄土真宗は、命終わったらお浄土という良いところに生まれる、それは、とてもありがたい。しかし、その死ぬまでの間、どう生きれば良いのでしょうか?と悩む方が多いのです。浄土真宗の教えを聞いているだけじゃ物足りない、有名な神社や有名なお寺に行って、宗派関係なくお参りして、現世利益を願う方が多いのであります。今が幸せな方ほど、死にたくないのです。六道輪廻の中にも、天国が含まれているのでありますが、この世界は、人間の世界よりも良い世界です。この世界に生まれるには、相当な良い行いを行わなければ生まれることができないそうであります。しかし、この天国にも寿命があり、幸せな世界ですから人間世界よりも、さらに死ぬ苦しみは、計り知れないと言われているのであります。浄土真宗は、浄土に往生する宗教であり、現世利益を説かないと思われる方もいらっしゃいますが、その考えは間違っているのです。この現世で、仏様とならせていただくことが決定することが、最高の現世利益です。生きてる間に、死ぬことに、心配がなくなるのであります。これ以上の利益は、無いのであります。死ぬことに心配がなくなるといっても、死にたくないと言う気持ちは変わりません。それは煩悩ですから一生涯なくなりません。しかしながら、この私が仏様となると言う事は、こんな不思議な事は無いのです。私は、病気になりたくありません。お金にも困りたくありません。孫や子供に恵まれて、幸せな人生を送りたいのです。しかし、それに執着すればするほど、その願い通りにいかない人生は、不幸だと気持ちが落ち込むのであります。さらに、他人と比べて、幸せな材料が少なければさらに落ち込むのであります。他人と比べる癖を止めない限り、一生幸せにはなれません。人生は、思い通りにならぬものだと悟った者が、1番幸せなのであります。欲張りは、幸せを遠ざけるのです。私は、神社さんやお寺さんにお参りをして、ご自分の願い事を叶えたいと思う気持ちは、とてもよくわかります。なぜなら、私も同じだからであります。偉そうなことを言いながら、何か困ったことがあると、阿弥陀如来様に願い事をしてしまう住職であります。私たちは弱い存在なのです。仏に頼りたくなるのです。お寺の役目は、皆さんが幸せな人生を送っていただくことにあります。それには、生きている間に、阿弥陀如来の救いに出逢い、浄土往生を決定する事が大切です。この世において、死ぬこと以上の一大事は無いのであります。これが解決したら、後の事は、自分で、どうにかなるのであります。どうにかならないものは、諦めれば良いのであります。人生は諦めが、肝心なのです。諦められないから苦しむのであります。いつでも、阿弥陀如来は、私たちの幸せを願い続けてくれているのです。その救いにお任せし、お念仏申す人生をお互い歩ませていただきましょう。私は、それが1番幸せな人生だと思っています。




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勝手にしろ!

2024-03-27 07:52:00 | お知らせ
勝手にしろ!好きにしろ!出ていけ!。皆さんはそんな言葉を、相手に浴びせたり、逆に、言われたりすることがあると思います。そんな時、「すいませんでした」「申し訳なかった」と謝る方はいません。売り言葉に買い言葉、「はいわかりました、今までお世話になりました」。それで決別であります。私たちの人間関係と言うのは、そんなものであります。親子の関係は、次の日には、また普段通りになったりするものであります。しかし、他人とは、勝手にしろと言われて、次の日に何でもなかったと言うわけにはいきません、覆水盆にかえらずと言われる通り、これで、永遠の別れであります。阿弥陀如来が法蔵菩薩という修行者であった時、私が修行の末、仏様になるときに、この願いが、成し遂げられないうちは、仏とは名のらないと誓わられたのが48の誓願と言われます。その中の第18願の中に、「心から信じ喜び、お浄土にまいらせて頂けると信じて、10声の念仏を称えるものを救う」と誓わられています。しかし、その最後に、五逆罪(ネットで調べてみてください)と仏教を否定した者は、除くと説かれているのであります。つまり、すべてのものを救うとは、誓われてません。しかし、浄土真宗の教えでは、抑止文と言われ、除かれるのではなく、抑止する、「やるなよ」という解釈です。抑止しなければ、それをやってしまう者が救いの目当てだといただくのであります。親鸞聖人の教えの代表は悪人正機と言われ、悪人が1番の救いの目当てであると言われる根拠であります。私たち人間関係は、全ての者と仲良くしたりすることはできないのであります。自分の思い通りにならない、相手に対して、勝手にしろ!と拒絶するわけでありますが、阿弥陀如来はすべてのものを拒絶しないのです。むしろ、拒絶するものこそ、救いの目当てであると、おはたらきくださる仏様なのであります。そんな仏様は、どこにもいらっしゃらないのであります。







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