花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

合同駅から四日市西駅へ

2018年07月07日 | レモン色の町

大正5年、諏訪駅を東に進むと三重軌道と四日市鉄道の合同駅が見えてくる。線路の右には善光寺の大きな山門が建つ。左下に昭和初期とあるが、合同駅は大正時代にあったのではないか?

Web「幻の軽便王国物語」より、感動の写真です(大正5年11月)。室山の方が持ってみえたということ。室山でつくられた製糸等が、三重軌道でここへ運ばれてきたのでしょう。

合同駅が取り壊され、四日市西駅が大正11年に完成。

昭和5年の写真、四日市西駅(西駅が開設される以前は、東口が表玄関だった)を出た三重軌道は、大きくカーブして諏訪駅へと向かう。右に善光寺が望まれる。

大正11年当時の四日市駅周辺の地図。ここにはまだ西口が描かれていない。合同駅があった当時の地図だ。停車場とある東口が表玄関だった。室山から四日市駅に着いた荷物は、関西堀で船に積まれた。

四日市西駅の表玄関、本町通り商店街が活況を呈するのは当然のことだった。

※ 間違いがあれば、ぜひコメントにてご教授ください。


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2 コメント

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四日市の鉄道の変遷は興味深いですね (安芸の宮島)
2021-02-09 15:50:26
諏訪栄町界隈の生き字引でいらっしゃる当ブログ、いつも拝見しています。
四日市に参りましてはや5年、街の発展や人々の軌跡を学ばせていただいております。

さて、本文には新四日市駅(西駅の開業当初の駅名)が三重軌道の駅であるかのように記述されておりますが、本文中にある大正11年当時の西駅は伊勢鉄道(大正15年に伊勢電気鉄道に改称)の終着駅であり、三重軌道とは接続していなかったようです。
三重軌道諏訪-四日市間の廃止が昭和2年、四日市鉄道諏訪-四日市間の廃止が昭和3年とのことなので、その頃まで合同駅は存在したと思われます。
合同駅が取り壊されるきっかけは、大正14年の熊沢一衛氏の伊勢鉄道社長就任でしょうか。四日市-津間の短絡という目的を果たした後、名古屋・伊勢神宮への延伸という事業は熊沢氏の力に拠るものが大きいでしょう。氏以外にこの短期間で四日市-諏訪間の軌道譲渡(しかも2社から)を成立させるのは不可能ですから。
また、上記伊勢鉄道四日市-津間の開業は大正13年のようですが、開業当時は「新四日市駅」の名称だったようです。(合同駅は「四日市市駅」)その後「四日市駅」に変更されたようです。
「西駅」は線路の東側に駅舎がある国鉄の四日市駅に対しての呼び名であり、国鉄四日市駅の西出口では無い点にもご留意いただきたく存じます。
四日市駅 (タケオです)
2021-02-09 18:00:46
安芸の宮島様 ご提示 ありがとうございます。なるほどと感心するばかり、私の薄学のわりに偉そうに書いていたことを恥ずかしく思います。この文章、コメントではもったいないので、本文に挙げさせていただきたく思っております。

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