花の四日市スワマエ商店街

四日市諏訪商店街振興組合専務理事の横道ブログ

万引き発見!大発見!

2005-06-29 | レモン色の町
和33年10月10日諏訪公園から南に向かって、公園通りを見た写真。只今アーケード建設の工事中。まもなく完成であります。
時は諏訪公園南大通りが正式な名称でした。一度台風で倒壊し、現在のアーケードは再度建て直されたものです。懐かしいお店が並びます。竹屋さん、おかざきさん、パチンコラッキー、内田スポーツ、お風呂屋さんもありました。
る日偶然、正ちゃんと竹屋さんの前で、お菓子を万引きする男の子を見つけました。僕たちより2つほど小さい子供だったので、捕まえて注意しました。「悪いことしたら、あかん!」年上だったら見逃してやったでしょう。
のこは「うん、わかった」といってそのまま立ち去りました。お菓子を持ったままです。僕たちは唖然としたまましばらく立ちすくんでいました。「今の子供は、悪い子がいるなあ」と、二人で変に納得していました。
園通りのアーケードも古くなり、暗いイメージを払拭するため、平成17年7月に、リニューアル工事に取り掛かることとなりました。照明が変わり、すっかり塗り替えられた通りは明るく変身することでしょう。8月には、ここでイベント「お諏訪さんにいらっしゃい」が行われます。
ま、岡野繁松先生の「旧四日市を語る 第16集」が届きました。昭和11年頃の四日市の商店名が、地図に書き込んであります。50数頁に及ぶ大作です。ここまでよくされたなあと感心しています。感心した以上、滞っている会費を払わねばなりません。先生スンマセン!払います!
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暑さでぐったり実行委員会

2005-06-28 | おいらの商店街
ヂィ~ 冷房が故障?最悪であります。27日午後7時より、諏訪栄地区街づくり協議会が開かれて、イベント「お諏訪さんにいらっしゃい」が承認されました。窓は開かない。送風全開。しばらくすると止まる。誰とはなしにスイッチのところへ駆けつけ、また送風を入れる。また止まる、の繰り返し。疲れたぁ~
月14日(日)・24日(水)を目指してこれから準備が進められます。実行委員長のススム氏は、寝てもさめてもイベントのことを考えています。どこからか青海波模様のユニホームや、屋台を飾る障子の衝立を探してみえました。江戸情緒あふれる屋台の雰囲気が出来つつあるのです。乞うご期待!
しみながら準備を進めて行きたいですよね。夢と希望を胸に秘めて。大変なのは、いかに街の皆さんにご理解をいただき、みんなでイベント成功に向けて作業を進めていけるかです。楽しみながら進めることと、全体で盛り上げること。このふたつが重要課題であります。
後に、会長の中村氏からジャスコ跡地の経過が報告されました。この夏にはクエイトさんからの説明会が開かれる予定だそうで、A館跡地にはビジネスホテル、B館には1・2階にテナントを持つマンション棟の建設が計画されております。完成の暁には、街がすっかり変わります。
よしてくらはい。待っております。アジィ~
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江戸時代が好きです パート2

2005-06-26 | わたくしごと、つまり個人的なこと
屋を覗いたら、出久根達郎氏の御書物同心日記<虫姫>が講談社文庫で出ていた。このシリーズも3冊目。1年ほど前に続編を読んだが、ほとんど覚えてない。
の本を読んだあと、前の続編を探し出してもう一度読んだ。大まかなところは記憶にあるが、詳細にいたっては忘れてしまっている。頭、大丈夫かと思ったが、1冊で2冊分楽しませてもらった感じ。どちらかというと、得した感じ。それほどこの本は軽い。ショッキングな殺人事件も起こらない。
軍家の蔵書を管理する役所、江戸城内・紅葉山御文庫に勤める東雲(しののめ)丈太郎の周辺に起こる出来事を書いた物語だが、結構すらすらと読んでしまう。面白い。主人公のあとをついて、江戸の雰囲気を楽しませてもらっている。
頃、宿直(とのい)を済ませた丈太郎は、日本橋の懇意の古本屋、小泉喜助の店へ向かう。そこから船で、店の者や同業者を連れ立って、深川の州崎へ潮干狩りに出かける。大きな蛤が取れるのだ。浜では、喜助の娘との間でホンワカとした交流があったり、酒乱の浪人相手に大立ち回りをしたりしている。
、不浄門の櫓(やぐら)へ届け物をおおせつかった主人公は、櫓内で由比正雪の蔵書を発見。ここでは不思議な物の怪に取り付かれてしまう。
葉山文庫の記録「御書物方年譜覚書」というのが現存するそうだが、現実はたいした事件も起こらず、世襲で勤める役人には、退屈極まりない毎日を送っていたのだろうと出久根氏は推測している。古書店を営む作者だけあって、書物を橋渡しとして描かれる江戸の風情は確かだ。
人公のあとをついて、江戸の町を楽しませてもらっている。
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蛇使いの男

2005-06-25 | レモン色の町
和31年8月31日。諏訪東映前で香具師が蛇を持っています。多分、自分の手を蛇に噛ませて、小さな缶の薬を塗って「ハイ!直りました、つきましてはこの薬、ご用意しましたのはたったこれだけですが、本日、皆様には特別お分けいたしましょう」というところでしょうか。
きもせず、よくしゃがんで見ていたものです。口を開いて見ていた友達に突然ご氏名がかかり、真ん中に引きずり出されて、腕に針を刺されたときは驚きました。
くないでしょう!痛くないでしょう!おじさんが念を押します。友達も苦笑いが精一杯で、とても痛いなどといえる状況ではなかったでしょう。
いら町っこは、最後に何を売るかが興味の的でした。薬や、万年筆やいろんなものが最後に出てきました。袋の二つ頭の蛇を出しますとしゃべりながら、最後まで見せずに、口上だけでお客を引っ張り、とんでもないものを売りつける。さすがというほかはありません。
祭りやお正月には必ず出ていた「たんか売」というのでしょうか、一日中見ていた、楽しみの一つでした。
のおじさんたちは、今頃どこで何をしているのでしょうか。寅さんと一緒に、天国でたんかをきっているのでしょうかねえ。
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商店街応援ツアー

2005-06-24 | 四日市商店連合会です
年度実施の商店街応援ツアーは、良い勉強になったと森君が話していた。この企画は、商店連合会が始めてから4年が経ち、過去、四日市の6商店街で実施されてきた。
費者モニターの方に商品券を持って各商店街を回っていただき、屈託のない意見を聞くという企画である。森君のおっしゃる参考になったというのは、作年度の諏訪栄地区の件である。
多分にもれず四日市も、駅前商店街の地盤沈下ははなはだしい。シャッターの閉まった店が目に付く。したがって暗い。店が古い。商品も少ない。店頭の商品に割高感がある、など皆さんからは、我々、十分承知のご意見が聞かれる。
こにモニターの方に記入していただいたアンケート用紙がある。これを改めて読ましていただくと、勉強になる。まず自分の接客態度が良くなる。接客印象は大きい。総じてお客様への親切な対応が求められている。皆さんに読んでいただきたいのだが、店舗の実名入りなので公表がはばかられる。惜しい。
分の店は自分の城と捉えていると、つい無愛想になりはしないか。商品の並べ方や価格表示が、店側からの視点でのみ行われていないだろうか。
客さんは臭いや音にも敏感だ。外から見て感じて、店内に入ってどんな印象かを消費者の立場でいつも考えていなければ、と考えると、おいらの店は改善の余地だらけである。
店主の商売に対する態度を、一度改め考え直して活気を取り戻して欲しいとアンケートに書いてある。ありがたい、貴重な意見だ。謙虚に受け止めたい
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第1回三役部長会議 簡単にご報告

2005-06-22 | 四日市商店連合会です
日、午後1時30分より第1回三役部長会議が行われました。
ず、服部会長より、会計に新しく、自称新参者の保位氏が就任。そして、新規に保険部を開設して部長にまっちゃん、副部長に堀木君となりました。おめでとうございます。続いて各部の報告です。
報部(武兵衛)の商連ホームページ、ホイ・ホイ・タウンを刷新。ブログで各商店街の紹介ページを作ります。同時に、ネット販売が出来るよう、集まったメンバーでホームページ作りの学習を進めます。詳しい紹介は、追って、商連ニュースを発行します。
務部は出費が多いので、見直しの意見が続出しました。服部殿よろしいかな?
営部(森)と統合して、商店街視察の研修旅行にしてはということでした。
まで行われてきた商店街応援ツアーは、消費者モニターの方から、厳しくも参考になる意見が聞かれるので、対象商店街が重複しても是非続けて行きたいということです。
事部(北川)の団扇の製作ですが、今年度は、まつりが秋に移行するため取りやめといたします。代わりとして、秋の祭りには、団扇に変わるものを考える必要があります
務(近藤)からは、総会への出席者が少ないので、食事会を行うなど多くの方に参加していただく工夫をしなければならないということです。
車保存会(大家)の甕破り山車の運行は、夏には8月6日(土)。秋は10月2日(日)の参加となりました。お囃子隊の練習は、7月中旬から始まります。ご苦労様です。お待ち兼ねの祝儀ですが、諏訪栄地区はお祭り当日までに、前もって集金にあがります。楽しみにお待ちください。
の他として、8月以降に発展会長会議を開きます。
し、はしょりましたが、内容はこんなところです。詳しく知りたい方は、事務所の水谷さんまでお問い合わせください。丁寧に説明していただけます。
かしこ
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楠の木子ども会

2005-06-21 | レモン色の町
和30年5月17日。学校から帰ると、小学1年生の真新しいかばんを放り投げて正ちゃんと諏訪公園へ走る。商店街の子供の縄張りは、もっぱら諏訪公園と諏訪神社だ。
こは図書館(現在のすわ公園交流館)東側の広場。野球の苦手なおいらの守備は、もっぱらライト。打者に立ったときは、しっかり怖い顔をしてボールを選ぶ。たまにストライクが来てもバットを構えて立ったまま。バットを振れ!と怒鳴られて思い切り振ったら、偶然に当たってしまった。ピッチャーゴロでアウト。かまわないから懸命に1塁へ向かって走る。嬉しくてしばらくベースを踏んでいたが、誰も相手にしてくれなかったので、それ以来、あまり野球はしていない。
面左端に新田町の会所があった。ここで萩原のおいさんが「楠の木子ども会」をつくった。商店街の子供を集めて、8ミリの映画会や廃品回収をしたり、日帰りのバス旅行に連れて行ってくれた。親がかまってくれないおいら達にとって、子ども会はありがたい存在だ。
休みのバス旅行は楽しみな行事。出発時は心うきうきだが、夕日と共に帰路へ向かう車中では、なんとなく寂しくなってきた。「もう一箇所、寄っていきますね」とガイドさんが話す。「ああ、まだ行くところがある」と思うと元気が出た。ところがそこはトイレ休憩だけだった。またしょんぼりしてバスに乗る。あとは、旅先で買ったお土産だけが楽しみだ。
しいことのあとには、寂しさが付きまとう。そんなことを身にしみて知った、幼心の武兵衛でした。
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16日は、怒っていました

2005-06-20 | 諏訪商店街振興組合のこと
16日の夜、三役会の会議があった。当店は休日だったが、お酒は飲まずに行った。お酒を飲んで出席すると、不謹慎だとお叱りを受けそうだったからです。いかにお偉い方でも不謹慎は不謹慎です。
こで公衆電話の件が出た。スワセントラルパーキングの横に公衆電話がある。NTTさんから再三にわたり取り外しの要請が来ているそうだ。電話利用が少ないから撤去したいとのこと。民営化になるとそんなものかなあと感じた。
前、このあたり一帯が停電になったとき、この公衆電話が役に立ったそうだ。近年、停電になることはあまりなくなったが、災害時には活躍するのではないだろうか。本当に不要なのかは自分には分からないが、非常時の選択肢の一つとして残しておいてもいいと思う。
算が取れないからという理由だけでなくすのは、如何なものか。
このところ巷では合理化を進めて、あまり良い結果が出ていない。
それにしても電話会社からの電話が多すぎる。片っ端から断っている。これ絶対マイナスイメージでござんす。先日、面倒になっていい加減な返事をしていたら多量のファックスが送られてきた。あわてたらファックスが壊れてしまった。機械、弁償してくれ!
日はまじめなコメントになった。武兵衛は怒っている。電話と聞いただけでいらだつ。
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失敗は 成功のもと

2005-06-19 | レモン色の町
さんの写真(感謝)。昭和32年11月10日、夜のすずらん通り。夜の街の雑踏がうかがえる。戦後一時、白揚書房があったところに北京飯店が建った。まんとう・しゅうまい・中華すしのお持ち帰りの看板。まんとうは肉まんのことだが、中華すしとはいったい何ぞや?
をはじめて食べた。ここではなくて青苑へ姉ちゃんに連れられていった。臭くて、ぐんにゃりしていて、なんとも得体の知れぬものだった。最先端の料理をうまいうまいといって食べていた。二つほど残したおいらの分も、奪い取るようにして食べてしまった。
ーズを近所からもらった。これは晩御飯前に出た。前菜か?「何やこれ、石鹸みたいやんか」とおいらが飲み込むのを見て、お袋は「栄養があるんやに」という。これも兄貴に残りを取られた。
ころてんも初めてだった。近鉄百貨店の北側は、当時空き地だった。そこにあった倉庫のような建物が塾だった。「習いや」と呼んでいた。近所の小学校の生徒数人を集めて男先生が、小遣い稼ぎに教えていた。遊び半分の塾が終わると、女の子の後を正ちゃんとつけた。女の子たちは、現在のブラウンビル前にあった角の小さな食堂へ入っていった。不良気分でつられて二人も入る。
「なに喰っとんのや?」ガラスの器に入った半透明のものをつるつるとすすっている。「おいしいに。夏はこれが一番やに」とおっしゃる。少しいただいたが、すっぱいだけで甘味には程遠いものだった。結局、注文する勇気もなく、彼女の残りを食するだけで帰った。
の味、それはすっぱいだけだった。
すっぱいは、性交のもと???冗談です じょうだん
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夜の街

2005-06-18 | レモン色の町
和31年8月30日の夜。諏訪駅の跡地で江田町主催「歌のびっくり箱」というイベントが行われた。江田町は(えんだ)と読む。諏訪駅周辺から南の地域の町名だ。この催しは、残念ながら記憶にない。舞台のかぶりつきに子供たちが群がっている。キャラメルでもくれたのか。とにかく大勢の人だかりだ。
から遊んで帰って、晩御飯を食べて、お風呂までは時間がある。店は午後9時まで営業。当時はほとんどのお店が住居を兼ねていた。近所の人が話をしにくる。娯楽はラジオくらいだ。月刊雑誌「少年」の付録はその日、製作に失敗してぐちゃぐちゃにしてしまった。退屈だ。近所に楽団が来る?何かくれそうだ?よし、行ってみよう。そんなところだったのだろう。
人たちは昼、仕事があったから、夜になって涼みがてらに町へ繰り出す。大人にまぎれて子供も繰り出す。諏訪公園に移動遊園地が来たことがある。夜の諏訪公園は昼と違って、別世界へと変貌を遂げていた。ネオンにきらめく乗り物がぐるぐる回っていた。お金がなかったのか、街っこの気負いか、あまり乗り物に乗った覚えがない。
ストリップショーが来た。お袋はわしをおんぶして見に出かけた。なぜ子供を負ぶってお袋がストリップショーに出かけたのか?それは謎だ。今もって武兵衛家七不思議のひとつだ。遠くの舞台で、おばはんが、水を入れたタライの横で下手な踊りを披露していた。
の町は、時には妖しく、また時には楽しかった。チャルメラの悲しげな音色を聞きながら、子供たちは眠りについた。
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