かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

コロナに始まりコロナで終わった1年で見えたこと

2020年12月31日 | 議論、分析ばかりしてないで攻めてみろ!
2019年にインフルエンザにかかった患者数 2000万人(推定)
     インフルエンザで亡くなった人の数  3571人
     他の病気も含めて亡くなった人の数 13000人
 
2020年にインフルエンザにかかった患者数 約700万人
     インフルエンザ死亡者数については年末時点で激減しているという情報のみで具体的数値はまだわかりません
   新型コロナ患者数       5万人
     新型コロナで亡くなった人の数 不明
     他の病気も含めてコロナで亡くなった人の数 3000人


こういう数字は、統計の取り方で誤差がある前提として見なければなりません。しかしそれを加味しても、明らかに今年は新型コロナのおかげ(他の要因もあったとしても)で、インフルエンザ感染者、死者ともに激減しました。
 
2020年は赤の太線   横軸は週               国立感染症研究所     
 
 
新型コロナに伴う人の外出自粛、営業短縮などにともなう不況は、これからますます深刻化を増すのではないかと思われますが、本来、新型コロナの怖さで重視べきは、ほとんど医療機関内部の問題であると思います。
基礎疾患のある人が感染した場合、症状の急変スピードがとても早いことが最大の特徴なので、医療水準は決して低くないといわれる日本でも救急医療体制の異常に遅れた現状が事態を深刻化しています。

すでに市中感染の段階に入ってしまっているようですが、それでも欧米の水準に比べればまだマシな方です。
にもかかわらず、なぜ日本はこれほど景気回復の遅れ、国民の経済ダメージが益々深刻化し続けるのでしょうか。
それは、政策の優先順位こそが誤りの最大原因であると思います。
 
元々、救急患者のたらい回しなどが問題になっていた日本です。
在来のベッドをコロナ用に転換して、空きベッドを確保しなければならない現状が、他の医療を圧迫しているだけでなく、病院経営そのものを大きく圧迫し続けています。
本来は、そこにこそ、国の財政支援は集中すべきでしょう。

そして根拠のない過度の自粛は控えて、経済を回すことだと思います。
経済支援は、業界団体を中心にするのではなく、最底辺の人たちから支援すべきです。
様々な経済支援対策が確かに大事ですが、順番からすればまず医療支援体制の確立が先と考えます。
どうか政策決定は、対処療法ではなく優先順位を明確にしてから行ってもらいたいものです。
 
大型病院=総合病院=高齢者最後の行先になってしまった日本の医療体制は、この機会に、大型病院の主な役割を他の医療先進国のように、救急医療中心に変える時に来ていると思います。
国や行政機関もまったく同じ問題ですが、上から下まで、同じスタイルの規模の差ではなく、規模に応じた役割分担をもっと明確にすべきかと思います。

日野原さんなどは、早くから総合病院は各専門医の間を検査でたらい回しにしていくのではなく、受付段階で総合医のような立場の先生が適切な診察手順を判断すべきだと言ってました。しかし、本来はそれこそ身近な地域のかかりつけ医がすべきことのはずです。
スウェーデンでは、確か70年代くらいから、地域医療を軸にすえて診療所がまず地域の患者を看る体制をつくりました。それは日本のお寺の檀家制度のようなもので、診療所で受け持つ住民の数で医師の基本報酬が決まる仕組みなので、薬や治療手数を無闇に増やす動機そのものがありません。風邪をひいたくらいでは、薬も出してもらえないほどです。
 
高福祉高負担の北欧では、効率を上げてなお行政コストを下げるため、
国は経済保障、
県は医療サービス保障、
日本の市町村にあたるコミュニティは生活サービス保障
といったすみわけができてます。
 
今後、コロナに限らず未知のウィルスは、毎年のように出てくる時代です。
早急に今の対処療法的政策をやめて、抜本的な医療をはじめとする国の枠組みを作り変えていかなければなりません。
 
こういう話しをすると必ず出てくるのが「財源論」です。
しかし、常にそうした場で出される「財源論」は、国でも企業でもほとんどの場合がウソです。
何事でも大事なところにお金をまわすのが仕事であり、そこにお金を引っ張ってくるのが仕事だからです。財源論の大半は、「その問題はそれほど重要ではない」という本音の別表現にすぎません。
事実、ヨーロッパでは、この緊急事態下では、国の予算の財政規律(プライマリーバランス)を求めることは除外することを真っ先に国会で決議して事態の対応にあたっています。
 
そうした判断は、決して日本で出来ないことではありません。
難しいことだからわからないのではなく、過去の事例や他国の事例に学ぶ姿勢が欠けているだけです。
 
社会の枠組みを変える議論を、上の方の人達へのお願いではなくもっと私たちの間で活発化して、対処療法に追われることのない明るい日本をサッサと築いて行きましょう(^^♪

 「政治に無関心な人民は愚かな政治家に支配される」
             (古代ギリシャの格言)

日本で元々遅れている救急医療体制が整備されれば、今回の新型コロナもワクチン頼みではなく、それほど過度に恐れるようなものではないことがわかると思います。
 
といっても、オリンピックは早く止める決断すべきと思ってますが(^_^;)
 
慌ただしく無理にまとめまてしまいましたが、
どうぞ皆さま、良い年をお迎えください。
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神の名を口にしてはならぬ  ~歌劇「モーゼとアロン」~

2020年12月19日 | 映画・音楽・舞台・美術などの評
「神の名をみだりに口にしてはならぬ」
モーゼの十戒に出てくる戒めの言葉です。

ユダヤ教、キリスト教のことは、ほとんど理解しているとは言えない私ですが、
多くの宗教の開祖は、偶像崇拝や教団を作ることを強く戒めました。

エジプト文明の神々に対抗する立場のモーゼは、権威を強く否定する身に育ち、神の名を口にした瞬間から、それは戦争をうみ、権威を振りかざすものに変質してしまうということを目の当たりにしていました。

そもそも神は、かたちのないものであり、言葉では言い表すことのできない「何者か」であることは、古来、文明圏を問わず世界の原初信仰に共通する考え方でした。
それが共同体の発展、古代国家の登場とともに一神教が生まれ、権威のために神々が利用されるようになりはじめます。
モーゼが生きていた時は、まさにそのような矛盾を背負った時代でした。

 
そのためモーゼの兄アロンは、形のないもの、言葉にできないものをどうやって人に伝えたら良いのかと、巧みに言葉を駆使してモーゼが行わない偶像もつくりあげてしまいます。
 
 
ユダヤ人でもあるシャーンベルグは、まさにこれを自らのテーマとして、この物語を最後の仕事として取り組みました。
十二音技法をはじめとする現代音楽の先がけをなしたシェーンベルグですが、この曲は電子音楽が普及するような時代にならなければ上演は不可能であろうと考えていたようです。ところが、時代は彼の想像よりもずっと早く進化しました。
 
かたちのないもの、言葉にならない何者かの表現は、宗教と芸術に共通する根本テーマでもあります。
 
     何ごとのおわしますかは知らねども、
          かたじけなさに涙こぼるる
                   西 行
 
最近、アフガニスタンの中村哲医師の活動に始まって、中東の歴史、ユダヤ教、キリスト教、イスラムなどの宗教や習俗などをこのところ集中して学んだので、何度か、聞いては途中で挫折していたこの難曲を、ようやく通して聴けるレベルになりました。
 
 
主題が明確に理解できるようになったら、今まで難曲とばかり思っていたものが、モーゼとアロン以外はほとんど合唱で語られてることなど、意外とシンプルな構造として聴けるようになりました。
 
 
シェーンベルグ 歌劇「モーゼとアロン」
指揮 ピエール・ブーレーズ
BBC交響楽団 BBCシンガーズ/オルフェウス少年合唱団
モーゼ:ギュンター・ライヒ
アロン:リチャード・キャシリー
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