上田龍公式サイトRyo's Baseball Cafe Americain  「店主日記」

ベースボール・コントリビューター(ライター・野球史研究者)上田龍の公式サイト「別館」

体育会系集団「負の連鎖」に嘆息す……

2009年03月04日 | えとせとら

 

 先日、某スキー場のゲレンデで営業している食堂で昼食を取っていたときのことだ。

 

  私が座敷席のテーブルに腰をおろして間もなく、10人ほどの男女の集団が入ってきた。彼らの何人かが来ていたジャンパーのロゴを見ると、関西のある有名私立大学のボート部ご一行サマだった。

 

  正直なところ、こうした体育会系サークルの集団と食事時に居合わせるのは「災難」となるケースが多いのだが、ご多分にもれず、そのあとの彼らの傍若無人さ、やかましさには閉口させられた。

 

 だが、それ以上に私が気になったのは、その集団のなかで、おそらく最下級生と思われる青年が、ひとりだけ座敷に座らず、椅子に腰かけて食事を取っていた光景だった。座るスペースは十分すぎるほどあった。彼は要するに、先輩たちの「給仕」のようなことをさせられていたのだ。

 

 体育会系サークルに籍を置いているのだから、彼自身、当たり前のことだと思っていたのだろうが、それにしてもテーブルもなく、食事や飲み物をいちいち離れた座敷に置きながら交互に口に運ぶその姿は、どう見ても(この食堂のメニューはいわゆるバブル期の「ゲレ食」とは一線を画す、とてもうまいものばかりなのだが)食事を楽しんでいるようには見えなかった。というより、次々と先輩たちのテーブルに運ばれる食べ物や飲み物の配膳を(店の人にとってみればまったく「ありがた迷惑」だったと思うが)その都度手伝っているので、自分が飲み食いする時間がないように思えた。

 

 この光景を見てオーバーラップしたのが、相撲部屋での「チャンコ風景」だった。ご存じの方も多いと思うが、相撲部屋での食事の順番は(例外も最近はあるようだが)親方と番付が上の力士からで、下っ端の力士は上の人間が食べ終わるまで、その後ろに控えて給仕をしなければならない。彼らが食事にありつくのはそのあとだ。

 

 もちろん、このサークルの昼食風景は相撲部屋ほどではなかったが、その根っこにある考え方は同じものだったと思う。士農工商、カースト制度とおぼしき、上下関係偏重(上位下達絶対主義)の典型的な体育会系タテ社会だ。

 

「体育会系」の、少なくとも学生に関しては、彼らが重視しているとされる「礼儀」が、極めて“内向き”、つまり彼らの狭い世界でしか通用しない価値観であることを示す光景は、日常でもよく見かける。たとえば、電車やバスのなかで、ユニフォームや道具の入ったバカでかいスポーツバッグで通路や座席を占領しているのは、その典型だろう。アメフトやアイスホッケーの防具など、特別な装備を必要とする競技もあるが、ほとんどのスポーツで使用する道具やユニフォームなどは、ひとりひとりが持てがその大きさなどたかが知れているはずだ。それなのに、下級生に上級生の分もまとめて持たせるから、ああした至極迷惑な光景を我々が目にすることになる。

 

 スキー場の食堂に話を戻せば、せめてメシの時ぐらい、キャンパス外での活動の時ならなおさら、上級生も下級生もフラットな関係に戻って、仲良くテーブルを囲む人間関係をなぜ形成できないのかと思うのだ。

 

 ひとり給仕役をさせられた青年は、おそらく1年後、2年後に上級生の立場になると、今度はテーブルに座る側に回り、1年前の自分と同じように自分たちに給仕をさせるのだろう。単に現役学生だけでなく、指導者やOBまで入り込むこのようなタテ社会のサークルでは、もし彼がそうした「負の連鎖」を断ち切ろうとしても、「上からの圧力」でささいな“改革”さえ実現できないはずだ。

 

 旧・日本軍の「負の遺産」が依然根強く残っている日本の社会では、学校でも、会社でも、近所のコミュニティーにおいても、極端な話、人が二人集まれば、「上下」の区別──「支配と服従」の関係を作りたがる。こうした「上下関係偏重・上意下達絶対主義」の人間関係が、スポーツの世界のみならず、社会全般をどれだけ歪めているか、少なくともこうした構造に嫌悪感や疑問を少しでも感じる人たちは、「フラットな人間関係」のメリットを大いに勉強し、アピールすべきだと思う。

 

 

 

 

 

皇軍兵士の日常生活 (講談社現代新書)
一ノ瀬 俊也
講談社

このアイテムの詳細を見る


最新の画像もっと見る