姫路市の古刹、浄土真宗本願寺派不動山善教寺住職・結城思聞師といってもピンとこないかもしれないが、元フジテレビアナウンサーで、プロ野球やバレーボール中継で活躍した松倉悦郎さんをご存じの方は多いだろう。2002年にフジテレビを依願退職し、僧侶に転身された際はメディアなどでも話題になった。「結城思聞」は僧としての現在のお名前だ。
松倉さんが転職されたニュースを耳にした時私が思ったのは「もったいない」だった。いわゆる“絶叫型”とは一線を画し、ソフトな語り口で、解説者の持ち味を引き出すのも大変上手な実況スタイルに、好感や親しみを感じていたのは、私だけではなかったはずだ。
29年前、私はフジテレビのスポーツ局でADのアルバイトをしたことがあり、アナウンサーの皆さんとも仲良くしていただいたが、松倉さんだけは「近づきがたい」雰囲気を漂わせていた方だったのを記憶している。実際にはそんな家庭環境に置かれたことはないのだが、「年の離れた(しかも成績優秀な)長兄」といったイメージだった。立ち居振る舞いやファッションがとにかくダンディーな方で、あまりに寸分の隙もなさすぎる(ように私の目には映った)ために、気安く声をかけられなかったのだ。
だが、高校バレーの地方予選中継で宇都宮に一緒に出かけたとき、松倉さんの優しい人柄に触れる機会があった。その時のエピソードについては、もう少し詳しく思い出したあと改めて紹介したいが、仏門に入られたと聞いたときには、大いに驚いたものの、違和感は全く感じなかった。
松倉さんこと結城思聞師は、現在お忙しい毎日の傍ら、善教寺の公式HPと、ご自身のブログを運営している。ブログを拝見して感じるのは、とにかく公私にわたって交友関係が広く、多くの本を読まれ、健全な批評精神をお持ちだということだ。
以前、新聞の投書欄に、災害などが起こった際、寺院はキリスト教会のようなコミュニティー活動が足りないのではないかとの批判が載ったことがある。それはたいへんな誤解であることは、思聞師のblogや善教寺のHPを見ていただけば一目瞭然だと思う。ご自身の活動を通じて、地域にとどまらない“コミュニティー”の再生をめざしている思聞師の活動には心からの共感と感銘を覚えずにはいられない。
(不動山善教寺HP)
http://www1.winknet.ne.jp/~zenkyoji/01_toppage/index.html
(Blog「思聞のひとりごと」)
http://zenkyoji.at.webry.info/
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大阪出身で地元の府立高校から1浪して早大に進んだ逸見さんのCX時代は、確かにニュースキャスターのイメージが強いが、アナウンサーになりたてのころ、テレビドラマ「金メダルへのターン」では実況アナウンサーに扮していた。恐らく松倉さんもそういうのに刺激されてスポーツアナのとしての道を歩むことになったのであろうか。
みずから記者会見でガンだということを告白した逸見さんは今年の12月25日で十七回忌を迎えるが、亡くなる寸前に松倉さんは病床の逸見さんに対して「オレだよ!松倉だよ!!」などと叫びながら同期の仲間を励ましていたという、あのソフトな語り口とは対照的に。
その前から松倉さんは仏教の勉強をしていたようだが、逸見さんが亡くなったことで世の無常を知ったのを機に、本気で僧侶を目指していたという。
松倉さんがアナウンサーから転身して僧侶となったことについてはいろいろと言われていたけど、あのガン告白のときの逸見さんの、毅然とした姿勢で真実をはっきりと述べる態度と精神は、松倉さんの僧侶生活にも生かされていると思いたい。
逸見さんにも思い出があります。週に一度ぐらいスポーツ局に姿を見せることがあって、おそらく資料づくりのためにファイルされている新聞を閲覧されていたのですが、ときどきそれをアナウンス室や報道局に持っていかれる際も、けっして黙って持ち出したりせず、私たちアルバイトに「もしこの新聞を誰かが探していたら、逸見まで内線をください。すぐ返しに伺いますから」と必ず声をかけていかれました。「私まで」ではなく、「逸見まで」──当然CXでアルバイトしているのですから、私たちは逸見さんのお顔もお名前も存じ上げていたわけですが、それでも逸見さんはご自分の名前を名乗り、内線番号のメモを渡して新聞を持っていかれました。「夕焼け」に顔出ししたり、フリーになられてからはコミカルなキャラクターがクローズアップされていましたが、私の知っている逸見さんのイメージとは正直ギャップがありましたね。露木さんや岩佐さんなど先輩アナも逸見さんのことを「絵に描いたような真面目人間」と回想されています。ああいう方には単にテレビのパーソナリティーとしてでなく、尊敬できる大人として元気でいてほしかったです。テレビ界の現状を見ると、つくづくおしい方を失ったと今でも思います。