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スーちゃん追悼 (再録)極私的日本歌謡史「伊藤蘭がキャンディーズのメインボーカルになった日」

2011年04月22日 | えとせとら

(Tanaka“Sue”Yoshiko 1956-2011/写真はデビュー間もないキャンディーズ 中央が田中好子さん)

 

 あまりにも突然だった、女優・田中好子さん、というより私たちの世代にとっては「キャンディーズのスーちゃん」の訃報。彼女のご冥福を祈念して、2006年のエントリーを再録します。「ランちゃん派」からの視点ではありますが、同じ時代を生きた人間のひとりとして「キャンディーズとは何であったか?」を語ってみたものです。

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 先日、NHK-BS2で放映されていた特番「わが心のキャンディーズ」を見ながら、私は1975年春の「8時だヨ!全員集合」のオンエアを思い出していた。1973年にデビューして以来、2年間で4枚のシングルを出しながらまったくヒット曲に恵まれていなかった伊藤蘭(ラン)、藤村美樹(ミキ)、田中好子(スー)のアイドルグループ「キャンディーズ」は、この年に発売された「年下の男の子」の大ヒットでブレイクし、下積み生活を脱してトップアイドルの座に躍り出たのだが、このブレイクは、単にメイン(センター)ボーカルを、それまでのスーからランに交代させたことだけが要因ではなかった。彼女たちが所属していた渡辺プロ(担当マネージャーのひとりが、アミューズの創業者・大里洋吉氏だった)、レコード会社のCBSソニー、そして「全員集合」を放映していたTBSの強力なトリプルタッグによって、解散後28年を経た現在でも、全曲収録のCD全集やコンビニ限定のフィギュア(買い損なった=笑)が発売される伝説のトリオとなっていった。

 
 「年下の男の子」のテレビでのお披露目は、当然、彼女たちがデビュー当時からレギュラー出演していた「全員集合」だった(ソニーミュージックの公式HPに掲載されていた年表から放送日を推定すると、おそらく発売日だった2月21日の前週にあたる2月15日だったと思われる)このときのことは30年以上経った現在でもかなりはっきり記憶していて、まずランのアップがいきなりブラウン管に現れ、次の画面で3人がそろった姿が映し出されて、視聴者はまったく予告なしでセンターボーカルがスーからランに交代したことを知らされたのだ。


 これは別の番組で当時のナベプロ関係者が証言していたのだが、センターボーカルの交代は、当時ナベプロが銀座で直営していた音楽カフェ「銀座メイツ」で三人がライヴを開催したとき、男性ファンの視線がもっぱらランに向けられていたのをスタッフが見て発案したという。キャンディーズのデビュー当時、ミキとスーはまだ高校生だったが、最年長のランは日大芸術学部演劇学科に籍を置く現役の大学生で、コーラスでも低音のパートを担当していたこともあって、3人の中ではもっとも大人の雰囲気を漂わせていた。これはのちにピンクレディがデビューするとよりハッキリしてくるのだが、キャンディーズのファン層は一般的なアイドルを支持する中高生よりも高い大学生が中心だった。
 

 ランが初めてシングル曲で初めてメインボーカルを担当した「年下の男の子」だが、以後ラストシングルの「微笑がえし」まで続いた他のヒット曲には見られない特徴がある。それはランの独唱パートが圧倒的に長いことだ。この曲の前に出された4枚目のシングル「なみだの季節」は、対照的にスーの独唱パートが長い曲だったので、あるいはナベプロやCBSソニーの担当者は、意識的に「年下の男の子」でランのソロパートを長くして、メインボーカルが交代したことを強くファンにアピールしたのかもしれない。実際、この曲のレコーディングに際しては、一度録音が終わったあと、音源をプレス工場に回すギリギリの過程で、帰宅したランがひとりスタジオに呼び戻されて、再吹込みを行なったという証言が残っているから、おそらくこのときに彼女のソロパートは何らかの形で最初の録音よりも強調されたのだろう。

 このメインボーカル交代は、3人の声質を考えても大正解だった。現在、女優として活動している田中好子のドラマやCMを見た方ならご存じだろうが、スーの声は非常に特徴のある高音で、耳にもよく残るのだが、やや甲高く、快感と不快感のボーダーライン上に達することもあり、聴く人の耳によっては耳障りに感じる危険性もあった。ハスキーボイスのミキはどうしても好き嫌いがはっきり分かれてしまう(しかし洋楽に関するセンスは3人の中で一番だった)。しかしデビュー曲から低音部を担当していたランの声は低いながら耳に響く感覚がソフトで、音域も広く、歌唱力とは(別になかったわけではありませんよ、念のため)別の次元で声に「艶」があり、男性ファンへの訴求力が備わっていた。ルックスと声が他の2人に比べて「大人」だったランをメインボーカルに据え、曲のタイトルも「年下の男の子」としたのは実に巧みな戦略だった。
 その5年ほど前、同じナベプロのタレントだった森進一の大ヒット曲に「年上の女(ひと)」という曲があり、また沢田研二の大ヒット曲「危険なふたり」の歌詞にも「♪年上のひと」が出てくるから、当時「恋愛関係において女性の年齢が上」というイメージはある程度世間に定着していた。ただ、これらのヒット曲で想定されていたのはおそらく20代後半以降の「大人の年齢」だったのに対し、「年下の男の子」ではその年齢設定を女性が20代前半、男性が10代にまで大きく引き下げたわけである。当然この曲のイメージは新鮮だった。

  

 これだけ用意周到に準備された「年下の男の子」のお披露目に、「全員集合」が用意されたのも当然だった。何しろ当時、最高視聴率50%を記録し、平均でも40%を超え、現在の週間最高視聴率番組2本分以上の数字を取っていた伝説的超人気番組だったのだから。すでにこの番組でマスコットガールを2年以上務めていた彼女たちの存在じたいは視聴者に浸透していた。そして、ランのアップに始まり、ズームアップした次のショットで立ち位置が変わった3人の姿が映り、そしてランの長い独唱で始まったキャンディーズの「リニューアル」は、大げさでなく、当時の日本国民の約半数が同時に目にしていたたのだ。私は解散後、現在も続くキャンディーズの「伝説」は、この瞬間に始まったと思っている。

 
 それにしても、このキャンディーズのリニューアル劇を見て改めて思うのは、当時の彼女たちを支えていたスタッフがいかに優秀であり、また3人もその期待に十二分に応える能力を有していたかということだ。。そして、彼女たちが残した楽曲は、ブレイク前のシングル4曲、そしてシングル曲以外のアルバム収録曲も含めて名曲が実に多い。ピンクレディのヒット曲は振り付けとのセットであり「かくし芸」的にしないと人前で歌いづらいが、キャンディーズのヒット曲は男がカラオケで独唱しても(曲にもよるが。「年下の男の子」や「やさしい悪魔」はチト気持ちわりぃかも=笑)大丈夫な「スタンダード」でだ。スタッフとアーティストの両方が優秀で、しかも持ち歌がことごとく素晴らしいのだから、解散後も30年にわたって伝説として語り継がれるグループにならないほうがおかしいのだ。

   キャンディーズは村松友視が言うところの「100万枚売れれば日本中がその歌を歌えた」時代のスターであった。さて、現在ヒットチャートを賑わす「売れた100万枚を買った人たちしかその曲を歌えない」時代の歌姫たちが絶唱している曲が、30年後に「伝説」となれるのだろうか。「昔はよかった」という言葉は極力口にしたくないのだが……。

 

(You Tubeより、いちばん好きなスーちゃんのリードヴォーカル曲「危い土曜日」(作詞 安井かずみ 作曲 森田公一)
http://www.youtube.com/watch?v=eGXegqUk8SQ
http://www.youtube.com/watch?v=F7n7Z8xPPw4&NR=1

 

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 こんなエントリーなど書きたくはなかった。後楽園球場での伝説のファイナルコンサートのあと、二度と同じステージには立つことのなかった 3人だが、それでも何十年かして、彼女たちがそれぞれの子供や孫を連れて、過ぎ去りし日々を同時代を生きたファンと一緒に振り返る機会があるのではと、「老後の楽しみ」のひとつにしていた。そのささやかな夢が、スーちゃんのあまりにも早すぎる旅立ちによって永遠に断ち切られてしまったことが、いまはただ悲しい……。

 

 

 



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