北羽歴史研究会

出羽国北端より奥羽地方と北の歴史を展望し
北羽地方の風土文化作りに寄与する。

NTT秋田支店のホームページのうそ 戊辰戦争

2010-08-06 11:35:31 | 雑録

NTT秋田支店のホームページ


「いいまち秋田」という秋田県のあれこれを一般に紹介しているホームページではあるが、その項目のひとつに「幕末維新」というコーナーがある。そのタイトルが「秋田藩が官軍に寝返ったのはなぜ?」となっており、これはきわめて問題である。国語の使い方間違っていませんか。


また冒頭には「秋田藩は東北諸藩と白石会議で盟約を結んだが、脱退して官軍方についたため、隣接する他藩の怒りを買い、県内各地で激しい戦いがあった」とある。また「東北諸藩の中で、なぜ秋田藩だけが官軍に?」という見出しのほか、「奥羽各藩すべてを敵にまわすことになった」ともある。しかしこれは明らかに誤った認識であり、デタラメである。


新政府軍に同調したのは、秋田藩のほか新庄、本荘、矢島、仁賀保、津軽、黒石の各藩。さらに三春、守山藩は仙台藩に従う擬似態度で難を避け、政府軍の領内入りと同時に政府軍に従軍している。秋田一藩が孤立ということにはなっていない。


「秋田藩が寝返った」これは仙台藩の言い草である。秋田側から言わせれば、仙台藩は戦禍をさけるためと称しての嘆願同盟をつくり、それを反政府、会津藩援護の戦争同盟に転化させた。これは戦争回避のため集まった中小諸藩への仙台藩のウラギリにほかならない。裏切り、寝返りの本拠は仙台藩なのである。


秋田藩主が仙台藩主へ勤皇に立ち返るべきとの書を発し使者をおくっている。それを紹介しておく。 「先達て白石に於 御陣所家来とも相談致し候の一儀、甚だ心得難く仕り末柄の事故此方承服仕らず候、家中共へも申含置候間、貴様如何に御座候哉、朝廷に御味方仕らず候へば、御同然武家の本望を失い、且は国家の一大事、貴様会津へ御味方の儀、御延引然るべき候、御所存次第及ばす乍 九条殿へ執成仕る可候、依って傳う也 差遣す口上にて具さに申上べく候 以上。  辰五月廿九日 秋田中将 /  仙台中将殿 」  仙台藩はこれを無視、越後まで戦禍を拡げたのである。


「秋田藩が寝返った」などと言うのは、仙台藩ほか反政府反乱戦争側の逆恨みの言い分なのである。 NTT秋田のホームページは、この反乱側に係累のある同調者によって作成されたものであろう。このページができてから、いつ秋田らしく修正されるか待ってきたが相当年数となった。平成20年明治維新140年の意義からみて、この悪意のページは許されるべきものではない。即刻修正されるか廃頁にすべきである。wa


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追記


以上の記述は2008年11月のプログでしたが、2010年8月の現在 、NTT秋田のHP・「いいまち秋田」は、廃止かと相見え、接続とは成りません。明治維新・戊辰戦の勤皇秋田藩をけなす著述それ以外は、まことに良いホームページでありましたから、「いいまち秋田」が、全ストップしたことはまことに残念であります。 ただ観光案内などについては、新しく変わったものもあるかもしれませんので、ページ内容を新整理することも必要なのかもしれませんが、企業としての地域支援ということでは、問題点をのぞいては、ぜひ「いいまち秋田」を、再開サービスされることを望みます。   北歴w


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