たあまご たまご パチンと割れて

大きなたまご 小さなたまご 色々なヒナが出てきます。たまごが産まれる巣は滋賀県草津市です。

ムクロジ(木患子)の実

2012-02-11 19:35:22 | 中から ぶらぶら
2月11日(しゅく)時々

 過日、友人から:患う子どもが無いと書くので縁起が良い)の実をもらいました。ムクロジの木は、神社・寺によく植えられていて落葉高木です。
 ムクロジの属名のSapindusは、ラテン語で“石けん”を意味する“sapo”と“インド産”を意味する“indus”をつなぎ合わせたものだそうです。そういえば小さい時、手に水をつけて実の皮をごしごしこすって石けん遊びをしていました。

 今、矢倉地域で風景の記憶絵を作成しています。地域の昔の日々の暮らしの中での思い出を、敬老会の方々から聞き取り、絵にするものですが、その中で、ムクロジの実の思い出がありました。

 若宮神社で取ったムクロジの実に2銭玉を投げて、当ったら自分の玉になる遊びも面白かったな。

 また、お正月の羽根つきのおもりにもつかわれていたそうです。「カチン、カチン」と良い音がしてよく響いたそうです。
 お数珠にも使われるそうです。

 現在、ムクロジの木は草津市内では余り見かけなくなったそうです。お話の中に出てきた矢倉の若宮神社ぐらいだとか聞きました。

ひいなのほほえみ

2011-02-27 22:36:59 | 中から ぶらぶら
2月27日(日)

 第6回近江八幡節句にんぎょうめぐり「町なみに装う ひいなのほほえみ」に行きました。

 旧西川家住宅・旧伴家住宅・かわらミュージアムに展示されている雛人形を見ました。酒遊館には五月人形も展示され、商店のウインドウにも展示されていました。

 写真は、「享保雛」です。「享保雛」とは?(株式会社 晃月人形HP参照)
 
江戸時代の享保年間(1716~1736)に流行した雛人形。寛永雛を豪華に高級化したもの。初期は高さも13cm~18cmと寛永雛とあまり大きさも変わらない小型なものだったが、 後には45cm~60cmくらいの大型の雛人形となった。

男雛は両袖を張ったデザインで、太刀を差して笏(しゃく)を手にしている。女雛は五衣(いつつぎぬ)、唐衣(からころも)姿で、袴は綿を入れて膨らませたボリュ-ムのある雛人形。

大型で豪奢な享保雛は、「奢侈禁止令」などで贅沢すぎると幕府から取締りをしばしば受けるほどだった。このことは雛人形が商業化されて、一般町人の世界に広まってきているともいえる。

 近江八幡の町は、団体の観光客で賑わっていました。今日は、お天気もよく、八幡堀界隈は、大勢の人でした。賑わっていることは良いのですが、やっぱりゆっくりと見たいと思いました。
 3月21日まで開催されているこの展示会、もう一度、ゆっくりとお雛様に会いに行きたいな。


わあ~ 長浜タワーだ!!

2011-01-22 22:34:40 | 中から ぶらぶら
1月22日(土)草津は長浜方面は時々

 久しぶりに風のない青空の朝、そう以前から探していた「長浜タワー」を見つけに、そして「お江さん」に会いに行こう!と思い、いざ、長浜へ。

 長浜は、まだまだ雪が残っていて、やっぱり北近江だと、改めて感じました。
 新しくなったJR長浜駅を降り、羽柴秀吉と石田三成の「出逢いの像」の横を通り、北国街道の方へと急ぎました。

 黒壁の方へ行こうと、交差点に立つと、黒いダウンの青年が、向かいの年代物のビルをカメラに収めていました。そう言えば、今まで気にはなっていた建物だったけどと思いよくよく見てみたら、「ああ、あの噂の『長浜タワー』 やっと出逢えた」もう感激でした。
 この前の夏、「長浜オルゴール館」のお店の方たちに、「長浜タワーってどこにあります?」て聞いたら、誰も分からなかった、知る人ぞ知る有名なタワーが、「今、ここに」。心が、温かくなってきました。

 この「長浜タワー」は昭和39年(1959)地元の資産家が建てたそうです。この年は、「東京オリンピック」の年でもあり、誰もが元気だった年です。昭和40年代までは、「長浜タワービルヂィング」として、有料の展望台になっていたそうです。今は、1階の部分だけが飲食店になっていて、それ以上の階には上がれないとのことでした。建物を建てた資産家が「8階建ての上に鉄塔を設ける計画だったが、建築許可が下りなかったので、悔しいから鉄塔の頂点までの高さが8階に相当するように建てた」と語っていたそうです。

 昭和の香りを残したこの建物、長浜の街に同化してしまい、今まで気づかなかったのだと思っています。

 帰りは、草津側から見れば、反対周りで帰りました。(長浜→高月→木之本→余呉→近江塩津→永原→近江高島→近江舞子→大津京→山科~草津)途中、高月~高島までは、大雪でした。

なで兔

2011-01-03 22:03:45 | 中から ぶらぶら
1月3日(月) 夕日がとてきれいでした。

 奈良の桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)にお参りに行って来ました。大神神社は、日本最古の神社の一つです。神社は三輪山そのものをご神体としているので、本殿はありません。

<パンフレット>より
遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ・大国主神)が自らの幸魂・奇魂(すなわち和魂)を三輪山にお鎮めになり、大物主神(詳しくは倭大物主櫛ミカ魂命)の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりであります。それ故に、本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられており、我が国最古の神社であります。

大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、大神をおおみわと申し上げ、神様の中の大神様として尊崇され、各時代を通じ、朝野の崇敬殊に篤く、延喜式内大社・二十二社・官幣大社として最高の待遇に預かり、無比の御神格がうかがわれます。

 この神社には、「なで兎」があります。(写真) 「なで兎」は江戸時代から、一の鳥居前の大燈籠の火袋を守っていたものとして伝わっています。
 卯は、十二支では4番目で、東西南北なら真東、太陽の昇る方角で、午前6時にあたります。縁起のよい「卯」でもあります。
 「なで兔」は、撫でることでご利益があるとされ、特に手や足などの痛みをとってくれるのだそうです。
 神社のお守りの中で、なで兔を模した「なで守」というお守りがありました。お守りについている兔を撫でることで、願い事が叶うのだそうです。

もちろん、買いました。

 

厳寒を求めて

2010-10-09 00:35:31 | 中から ぶらぶら
10月9日(土)

 今年の夏の思い出は、酷暑だったので厳寒を求めたことでした。

 8月31日に東近江の「西堀栄三郎記念館」に行って来ました。そこでは、マイナス25℃の南極を体験することができます。
 その日の気温は35℃近くあったので、その差は60℃ほどあったということになります。

 記念館にやって来た人は、35℃の街中からやって来たので、短パンにTシャツ、サンダル履きの人がほとんどでした。いくら受付で防寒具を借りても、南極体験のコーナー内では、足元から凍てついて、寒いという感覚よりも、痛いから痺れるという感じでした。濡れタオルはカチンカチンの金属棒のように固まりました。なぜか、酷暑が懐かしく思われました。
 さて、西堀栄三郎さんは京都市生まれで、、第一次南極地域観測隊越冬隊長を務めた方ですが真空管の技術開発や品質管理の応用普及にも尽くしました。また、原子力の研究にも力を注ぎ、日本原子力研究所理事、日本原子力船開発事業団理事も務められました。

 西堀いろはカルタも人気があるのだそうです。
い:石橋を叩けば渡れない。
ろ:ロジックとノンロジックの組み合わせ。
は:馬鹿と大物が新しいものをつくる。
に:忍術でもええで
ほ:ポジティブ・フィードバックで調子にのせよ。
へ:平常心、会社を守り身を守る。

 この「西堀栄三郎記念館」は、10月末日で休止となります。