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郡山市長選で新人・品川氏当選~現職・原正夫氏の真の敗因は…やっぱり「アレ」しか考えられない

2013-04-16 23:30:04 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログでいったん発表した内容を、修正・加筆後、月刊誌「地域と労働運動」2013年5月号に再掲したものです。)

郡山市長に品川氏 7656票差で現職の原氏破る(福島民報)

●現職「まさかの敗北」

 原発事故後の「復興」のあり方を問う選挙として注目を集めた福島県郡山市長選挙は、14日投開票が行われ、大方の下馬評を覆して新人・品川万里氏が初当選を果たした。福島県内のあらゆる組織・団体の支援を取り付け、盤石と思われていた現職・原正夫氏がまさかの敗北を喫した。

 市長選を巡る動きは昨年秋頃から始まり、年末頃から本格化した。原、品川両氏は2009年の市長選でも戦っており選挙は前回と同じ顔ぶれ。昨年末には第3の候補として福島県議出馬の噂もあったが、原氏の支援に回る代わりに出馬を取りやめるという「密約」が原氏との間で交わされた、との噂も飛び交った。この間、雪辱を果たした品川氏に特に得点となるような大きな出来事があったわけでもない。

 福島県の中央に位置し、交通が便利で、全国規模の大企業が福島県内で1カ所だけ拠点を構えるとすれば福島市より郡山市、と言われることも多く、郡山市は経済県都と呼ばれてきた。実際、筆者が福島時代に仕事で付き合いのあった業者の中には、「福島支社(支店)」を名乗りながら住所は郡山市という企業もあった。ただ、近年は郡山駅前の商業ビルから大手デパートの丸井が撤退した後、テナントの入店がなかなか決まらないなど、沈滞ムードも漂っていた。

 現職の原氏は、自公両党を含め、地元商工会議所、医師会など様々な団体の支援を取り付け盤石の体制で、「もし原が負けるなら陣営の慢心のみ」「最大の敵は陣営内部」と言われるほどだった。その原氏が負けたのである。メディアの中には「自公が青森、福島・郡山の2市長選で敗北 「アベノミクス」支持限定」(毎日)という見出しが躍っているものもあるが、本当にアベノミクスが敗因なら青森や郡山だけでなく、他の市町村でも自公が負けるはずである。実際にはそうなっておらず、アベノミクスは原氏の敗因ではないと見なければならない。

 ●郡山市最大のタブー

 では、盤石と言われた原氏の敗因は何なのか?

 消去法で当てはまらないものをひとつずつ消していくと、最後にひとつだけ残るものがある。ああ、やっぱり敗因は「アレ」だったか、と思う。郡山市民なら誰でも知っている「公然の秘密」にして、公の場で語ることは誰であれ許されないとされる、今や郡山市政最大のタブー。なにしろ、市議会で市民派議員が市長にこの問題を質したところ、その部分の発言だけが会議録から削除されてしまったほどなのだ。

 しかし、仮にもここは言論の自由のある日本である。言論統制、強権支配は長くは続かなかった。このタブーを破るメディアが現れたのだ。地元で発行されている月刊誌「財界ふくしま」2013年1月号(発売は2012年12月)が正面からこのタブーに挑んだ。その衝撃の内容は以下のとおりだ。

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「財界ふくしま」2013年1月号記事「ざいかい短信~動き始めた郡山市長選」より(一部抜粋)

 来年(平成25年)4月26日に任期満了を迎える郡山市長選に向けた動きが水面下で活発化している。11月末時点で出馬が確実視されているのは現職で3期目を目指す原正夫と前回(平成21年)の市長選で約1万1000票及ばずに敗れた品川万里の2人で、…(中略)…原、品川による2度目の一騎打ちの可能性が高まっている。

(中略)

 任期満了まで約4ヵ月半、早くも動き出した郡山市長選について市内のある有識者は、 「原さんは震災後の対応で、地域住民の理解をきちんと得ない中で強引とも言える対応で次々と放射性物質の付着した汚泥を市内の公園、スポーツ広場に埋設してきた。また、娘さんと孫が治療のためとはいえ宇都宮に移るなど、『なぜ自分の身内だけ移転させるのか』との批判もいまだ根強いし、『2期目こそはと思ったが期待に応えてもらえなかった』という声もある。そうした批判は今後、ボディーブローのように効いてきますよ」と指摘。(以下略)
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 震災直後から、福島県内の主要自治体トップはほぼすべて「自分たちだけ親族を避難させている」との流言や誹謗にさらされてきた。福島市長に対しても、避難して自分だけ山形市から通勤している、とのあらぬ噂が流れた時期もあった。その噂をよく調べずに流した学者が実際に謝罪させられる騒ぎも起きた。原発事故の加害者は国、東電なのに、誰それが避難した、逃げた、裏切った、と住民どうしが分断され、いがみ合い、いつしか避難という言葉自体に福島県内が翻弄され、疲弊し、過敏に反応する中で、郡山市長に対しても、家族を避難させている、という噂が流れては消えた。前述した郡山市議の「議事録からの発言削除」事件もそうした流れの中で起きた出来事だった。

 だが、そうした情報が事実無根の流言飛語に過ぎないのであれば、自治体首長たちは公の場で堂々と反論すればよいだけのことだ。首長は公人なのだから市民が疑問を持っているなら説明責任もある。それなのに、福島市長にせよ郡山市長にせよ、そうした反論はせず、陰でコソコソ謝罪を要求したり、議事録から発言を削除したりするなど、批判とまじめに向き合わず、力で抑えつけたり、批判自体を抹殺して「なかったことにする」対応に終始した(その姿勢こそが放射能被害をも「なかったことにする」現在の反人権的市政に直接つながっている)。そうした不透明で不誠実なやり方こそが、よりいっそう「何かあるのではないか」との疑念を市民に呼び起こしたのだ。

 郡山市民はこの間、巨大な力によって「何かが隠されている」モヤモヤ感にずっと支配され続けてきた。その封印は、「財界ふくしま」誌の上記の報道によってあっさりと解かれた。

 ●問われる公務員のあり方

 「先憂後楽」という言葉がある。公務員(政治家、官僚)たるものは「市民より先に社会を憂い、自分の楽しみは市民より後にせよ」という意味である。自治体によっては新人研修で公務員の心構えとして教えているところもあると聞く。低線量被曝の恐怖の中で、「避難するかしないか」を巡って家庭、地域、学校、あらゆる場所で分断と軋轢が生まれ、市民が苦しみ続ける中で、自分だけ家族をさっさと避難させる市長の姿勢が為政者にふさわしいかどうか…今回の郡山市長選挙は、まさにそのことを巡って争われたのである。今、原氏の無残な敗北を見ていると、郡山市民ならずとも「やはり」と思うに違いない。

 こうした郡山特有の事情について、「再起の条件:’13郡山市長選 品川氏が初当選 投票率、史上2番目に低い45.01%」と題する記事で毎日新聞が詳しく報じている。この記事にもあるとおり、実際には原氏の娘と孫は「ストレスの治療」のために宇都宮に移転したわけだが、仮にそうだとしても、避難できずに福島にとどまっている県民から見れば釈然としないであろう。震災後の福島を2年間、見続けてきた筆者としても全く納得できない。「世界中の御用学者たちを総動員した“研究成果”を元に、原発事故後の身体の異変はすべてストレスが原因とする新しい知見が得られつつあり、この知見を元に、福島には世界最高水準の“ストレス医療体制”が整えられようとしている。であるならば、郡山市長がまず率先垂範してストレスに悩む娘さんとお孫さんを県外の病院ではなく県内の“世界最高度ストレス医療”に委ねてはどうか」。そんなイヤミのひとつも言ってやりたくなるのも事実なのだ。

 今回、勝利した品川氏はこのような屈折する郡山市民の心理を実に巧みに突いたと思う。品川氏の今回の市長選スローガンは「逃げない!」だった。前述の毎日新聞の記事では、「行政の長としてあらゆる事態に対応するのが『逃げない』という意味です」「自分のスタンスを申し上げたわけで、相手(候補)がどうこうではない。(市民の反応を)意識したわけではない」などとうそぶいているが、原氏を全力で意識していたことは間違いないだろう(もちろん、今の郡山市で「逃げない!」を市民に対して使うことは間違っている。郡山の放射線量は相変わらず全力で避難が必要な水準だ)。そして結果的には「逃げない!」のスローガンは、「財界ふくしま」の報道のとおり、原氏にとって「ボディーブローのように」効いたのである。

 今、郡山市では、「子どもたちを放射能のない安全な環境で学ばせたい」と、市民が「ふくしま集団疎開裁判」を起こしており、仙台高裁の決定は遠くない時期に出されるものとみられる。そうした学校集団疎開を求める市民の訴えは抹殺し、議会での議員の批判も議事録から抹殺。子どもたちも日常的に利用する公園のすぐそばに市民の了解もなく汚染残土を埋却する杜撰な作業を「除染」と言い張り、市民を危険に晒して顧みることもない。その上、市民には郡山の「復興」に向け一丸となって頑張れと言いながら、自分だけはさっさと娘と孫を宇都宮に移転させる……。

 今回の郡山市長選は、そんな暴君・原正夫を引きずり下ろすための選挙だったのだ。

(2013年4月20日・黒鉄好)
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