安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

「時代遅れの経産省は解体せよ」について

2009-03-05 22:59:55 | その他社会・時事
3月3日付エントリの経産省ネタ、改めて読み返してみると、かなり怒りの感情にまかせて書いた文体で我ながら恥ずかしいと思っている。冷静になってきたところで少し補足しておきたい。

3日のエントリの意味するところは、こうである。すなわち、経済は発展段階を経るごとに第1次産業から製造業、サービス業、知識労働へと転換していく。マルクスは、資本主義のある段階においては肉体労働と頭脳労働の対立が発生すると予言したし、経営学者のドラッカーも、社会が豊かになるほど経済は知識労働がその中心になっていく、と考えた。マルクスは社会主義者であり、一方のドラッカーは、企業経営者の中に熱烈な信奉者がいるほどの経営学者である。政治的立場は正反対とも言える2人が、揃って経済の知識労働化を予言したことは大変興味深い。

その2人が予言したとおり、日本も農林水産業から炭鉱などのエネルギー産業、製造業の時代を経て、サービス業など「第3次産業」の時代となった。農林水産業からエネルギー・製造業への転換は大正・昭和期、製造業からサービス業への転換は高度経済成長の終焉の頃に起こったと言えるが、そもそも資源産業を第1次産業、製造業を第2次産業、サービス業を第3次産業とした戦後型の産業分類ですら、最近の経済構造の変化を考えるとかなり時代遅れになってきていると思う。

20年ほど前(バブル期あたり)から、サービス業の中心が金融・保険業に移り、さらにIT産業に見られるように製造業も専門知識が必要なものに次第に変わってきた(これらを仮に第4次産業と呼ぶ)。

現在では、この第4次産業の上に、新たに第5次産業とでも呼ぶべき構造物が積み重なっている。医療・福祉・教育など人間力がそのまま仕事の質を決定するような新たな産業であり、現在、最も人手不足が深刻なのは、人間力が仕事の質を決定するこのような産業なのである。

これらの産業は、人間力勝負なのであるから、製造業で大量の失業者が出たからと言って、彼らを単純に送り込めば成功するほど簡単なものではないし、そもそも数を送り込めばいいというものでもない。人間力勝負だから、研修・育成に長い時間がかかり、それが功を奏する前に本人が我慢できなくて辞めるか、医療・介護・福祉の現場が持たなくなるかのどちらかである。人手不足は、こうした背景もあって深刻さを増してきている。

私が、経済産業省の横やりに激しく怒ったのは、経産省がこうした日本経済の産業構造の転換という事実を全く理解できずに、「製造業の失業者は製造業で新たな産業を創出して吸収」という古い価値観から脱却できていないからである。いわば経産省という役所は、未だに古くさい「重厚長大型製造業信仰」を振りかざし、戦艦大和と旧式戦車で戦地に赴こうとしているのである。

日本の製造業は、極限まで合理化に次ぐ合理化を進めた結果、もはや労働者を食べさせるだけの雇用吸収力を失っており、以前のように正社員で大量に労働者を雇用する選択肢はなくなりつつあるのではないか。そのことを浮き彫りにしたのが今回の経済危機だったのではないかという気がする。だとすれば、失業者への支援を社会全体で担いながら、産業構造の転換に見合った労働力吸収の道筋を考えなければならないと当ブログは考える。

新たに人手を求めている「第5次産業」は、人間力が仕事の質を決定する産業だけに、働き手の研修・育成が最も大きな意味を持つ。それには、これらの仕事を所管する文部科学省や厚生労働省が関わりを持ち、ある程度長期的視野で取り組むべきものであり、どう考えても経産省が出る幕ではないのである。いずれにしても、「重厚長大型戦時体制」でしか物事を捉えることができない経産省の役割は終わったと言うべきである。

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 1月下旬に盛り上がった「大企業は内部留保(利益剰余金から配当金を差し引いたもの)を取り崩して、その原資で非正規切りをやめるべきだ」という野党・労働組合の主張を沈静化させた経産省幹部の働きである。

 雇用問題に関する国会答弁の想定問答は厚労省が準備するのが通常だが、この件に関しては、経産省が以下のシナリオを準備した。

 ――内部留保は、過去の利益の蓄積であり、その多くは生産設備などに再投資されている。これを使うには、設備を売却し現金化する必要がある。仮に工場を売却するならば、そこで働く従業員をクビ切りしなければならず、逆に雇用を不安定化させる――。

 内部留保はキャッシュとして積んであるものではないという企業会計を、厚労省は理解できていなかった。経産省は黒子のごとく与党をサポートし、「雇用問題は企業経営を知らないと解決できない、と厚労省に見せつけたのだ」(内閣官房関係者)。
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最後に、この部分に少しだけコメントしておく必要があるだろう。
内部留保は、現金の形を取るものばかりとは限らないから、企業が内部留保を取り崩せば明日の生産活動ができなくなる、という見方はもちろん「一部」正しい。しかし、この経産省のシナリオに乗せられると、物事の本質は見えなくなる。

今の日本経済は、「1年後の企業活動より国民の明日の命」という状況に来ている。経産省が経済界を守るため、そのお先棒を担いで国民不在の理論武装をするのは勝手だが、それならば、当ブログは経産省に問いたいことがある。「労働者は企業にとって生産活動の基盤ではないのか」と言うことだ。

労働者を首切りして工場を守ったとして、誰が工場を動かすのか。社長が作業着を着て北海道から沖縄まで全国の工場で機械のスイッチを入れて回るのか。決してそうはならないことは明らかであり、すなわち経産省の言っていることは、プロ野球労組のストライキに対して「たかが選手が」と言い放ったナベツネと同じ低レベルの議論に過ぎない。

このように考えると、事の本質は内部留保の形態の問題ではないことがわかるだろう。企業が明日の経済活動を続けたいなら、工場を守るだけではダメで、労働者も同時に守るものでなければならない。そのために、現金化されていない内部留保は取り崩せないというのであれば、役員報酬や株主への配当を削ればよいのだ(いくら経産省が厚顔無恥でも、まさか役員報酬や株主配当が非現金だなんて言わないだろう)。

結論として、現在、無慈悲に行われている大量首切りは、やはり身勝手な行動といわなければならないし、そうした身勝手な首切り企業から労働者を守る手段を考えようとしている厚労省に横やりを入れてかき回す経産省は不要である。3日のエントリで当ブログが主張したかったことは、おおむねこのような内容である。
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