元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

叙勲のお礼と2021年新春のご挨拶

2020年12月31日 | 日記
明けましておめでとうございます。

 2021年(令和3年)、世界を震撼させているコロナ時代。みなさまにおかれましては、コロナ禍ではありますが、ご健勝で新春を迎えられたことと存じます。

 私、鈴木正穂は、思いもかけず、2020年秋の叙勲で旭日中授章を受章いたしました。
11月3日文化の日に新聞などに発表され、多くの方から祝電やメッセージやお祝いの花やお言葉を頂戴いたしました。心より御礼申し上げます。
11月24日、雲一つない青空の小春日和の日。府民ホール「アルティ」にて、西脇隆俊京都府知事から秋の叙勲の伝達式があり、地方自治の分野で旭日中授章を粛々と授与していただきました。
 8期32年、京都市会議員としていささかでも京都市政の発展、左京区民をはじめ市民の福祉の向上に寄与できていたら幸いです。

 それにしても、思いもかけず、遠くまで来たものです。走馬灯のごとく、思い出すことをこの機会に書きとどめておきます。
30歳の時に髭を生やしたまま、「べ平連」時代からの多くの友人らに応援してもらい市会議員選挙に初挑戦。2度目の挑戦も負けて中央市場で働き、1987年(昭和62年)38歳のときに三度目の正直で社会党の推薦を得て清水達也府会議員とともに「元祖・市民派」として初当選いたしました。
 古都税問題で疲弊した今川市政の末期でした。時代は、昭和から直ぐに平成になり、田邊市政6年、桝本市政12年、門川市政12年の平成の時代を8期32年間、市会議員として駆け抜けてきたことになります。
 「市民に開かれた市政」を目指して、市政改革、環境、障害福祉、高齢福祉、人権、教育、多文化共生社会、同和行政、景観やまちづくり、防災、交通政策、など、その時代時代に課題になった問題を提案、議論をして実現できたことも多々あったかと自負しています。また多くの市民相談の解決や請願や提言を受けて委員会や本会議で議論し実現をできたこともありました。
 また「開かれた身近な京都市会」を目指して、市会改革では、会派を代表して他会派の議員と喧々諤々の議論をして、政務活動費の公開、委員会のモニターテレビによる傍聴の実現、「市会だより」の発行、そして「京都市会基本条例」の制定や議会報告会の開催、「京都市手話言語がつなぐ心豊かな共生社会を目指す条例」を制定できたことも成果であったと思います。
 2006年5月から翌年4月まで伝統ある京都市会で第81代副議長を拝命いたしました。時代まつりに馬車に乗って前列を行進できたことはうれしいことでした。また2度にわたって京都市監査委員を、また京都市会選出で2011年から人権擁護委員も勤めました。2017年には在職30年ということで京都市会永年在職議員表彰を受けました。
 数回にわたった世界歴史都市会議への参加や、海外行政視察では、なかでも2017年のデンマークでの再生エネルギーについてはハードな日程で収穫のある記憶に残るものでした。

 政治的には「市民センター左京」で仲間とともに日本社会党から始まり、一時除名も経験、復党して社民党と名前が変わり、1998年には民主党に合流、2009年には政権交代の時の高揚感は忘れられません。その後、民主党は下野して民進党から国民民主党へと変遷。2016年には地方自治体議員フォーラムの世話人代表になり、常任幹事会などへの参加で東京を何度も往復したこともありました。その後、全国の自治体議員の仲間が立憲民主党と国民民主党に分かれてしまったことは、残念でなりません。

 議会活動以外では、阪神大震災の95年には、同志社大学大学院総合政策科学研究科に社会人入学し公共政策を学び、「京都自治体論―21世紀京都グランドビジョンへの提言」として修士論文を書き修了できました。また2015年には「未来の京都・公共政策研究会」を立ち上げて4期にわたって提言集の刊行をしたこと、また事務所で70回を超える「朝粥の会」を実施できたことも良き思い出です。

 地域活動としては、2013年の台風による大雨での東山山麓での被害や記憶に新しい2018年の9月の暴風台風の倒木対策に走り回ったことやドブ板議員として地域の様々な要望の実現に走り回ったこと、そして長年にわたって左京区内の各学区の夏まつりや区民運動会や歳末警戒の消防団を激励に回ったことなど活動がありました。また地元の吉田学区では「剣鉾」や「十二提灯子供神輿」の復活をお手伝いできたこともうれしいことでした。
 また、「ヒューマンふれあいコンサート」や「吉田東通の夜市」など色々なイベントに協力をしたり、最近ではデモをすることもありませんが、80年代から90年代にかけて毎月一回の「核と戦争はごめんだ!定例デモ」を15年間仲間とともに続けられたことも誇りに思っています。
そしてこれらの活動の日々を、2000年から18年間書き続けたブログ「ひとくち日記」は、京都市政・市会の記録でもあり、日本社会の歴史であり、わが人生です。継続は力なりです。お時間がありましたら、ぜひご覧ください。

 そして、選挙です。自分の選挙も含めて、市長選挙、知事選挙、国政選挙など、何回、選挙活動をしたことでしょうか。なかでも門川市長が誕生したときの選対本部に入って苦労したことも思い出します。
 そして30歳から4年にいちど巡ってくる自分の選挙。多くの方に寝食を忘れて、応援していただきました。11戦7勝3敗1繰り上げ当選。副議長の時の選挙では38票差で次点、ところが奇跡の繰り上げ当選で3か月後に復活。また8期目はニュース速報を見て敗北宣言したところ、11票差でこれまた奇跡の逆転。平成から令和になる2019年春、9期目の挑戦で勝ち残れずに波乱万丈の議員活動に終止符を打ちました。寒い中での朝の街頭演説も今ではすることもなくなり、ほっとしています。

 長年支えてきていただいた多くのみなさま、柿阪正夫鈴木マサホ後援会会長をはじめとする応援団のみなさん、鴨沂高校や同志社、「べ平連」や市民運動で出会った友人。社会党、社民党、そして民主党から民進党、国民民主党に至るまでの先輩や同僚、そして仲間である前原誠司衆議院議員、北岡ちはる府会議員と後援会のみなさん、ご支援いただいた連合京都に加盟する各労組や諸団体のみなさんには、心より御礼を申し上げます。

 また会派を越えて議論をしてきた京都市会の諸先輩、同僚の議員のみなさん、さらに長い付き合いになった門川大作市長をはじめ教育委員会、市会事務局、交通局、上下水道局など各局、また左京の区役所、土木事務所や消防署などの多くの京都市職員のみなさんにお世話になりました。
地元吉田学区をはじめ左京区民、京都市民のみなさん、長年のわが友人、すべての方に御礼申し上げます。そして、48年連れ添い、「戦友」でもあるカミさん、悦子さんと家族には、感謝です。

だれも想像もできなかったコロナ時代を迎えることになりました。
 今年は、丑年ですが6回目の周り年、古希を過ぎて、1月には72歳になります。お陰さまで、元気です。
 人生100歳時代、新たなステージとして生まれ育った吉田で、カルチャーガーデン「吉田の森」を運営し、絵画の展覧会、コンサートなど文化の発信を、また地域の人の居場所づくりに努めて行く所存です。また吉田氏子講社や「吉田山の里山を再生する会」やこの春に京都市の無形民俗文化財に指定登録された「吉田の剣鉾差し」の一員として、また自主防災会、社会福祉協議会など地域での様々な活動をお手伝いしたいと思っています。また、この9月には、多くの問題を抱えている社会福祉法人「若葉会」の理事長に就任いたしましたが、より良い福祉施設になるように努力をする所存です。

 そして、日々是好日、天気が良ければ吉田山を散歩して健康を維持し、また生涯学習としてボケ防止のために今年7月からスペイン語のクラスに通い始めていますが、いつかはキューバを再訪したいと思っています。そして、いずれの機会に、今や歴史となった「べ平連」時代や若き日々のこと、また「平成の京都市政・市会」を書きとどめておきたいと思っています。

 今後ともどうぞお付き合いのほどよろしくお願いします。 
 駄文になりましたが、近況報告を兼ねて叙勲を授与されたお礼と新春のご挨拶といたします。

 コロナが収束するのはまだまだ先でしょうが、良い年になりますように。
 みなさん、お元気でお過ごしください。
                2021年(令和3年) 元旦   
                    鈴木 正穂
 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ時代2020年 回顧 

2020年12月31日 | 日記
  コロナ時代  2020年回顧
 
 中国は武漢で世界を震撼させている新型コロナウイルスが出現。ゴーストタウンになった武漢の街に衝撃を受けた。1月の末の京都市長選挙、京都では感染者が一人出現して、市長は個人演説会など選挙運動には出れなくなったが、4期目の当選。2月、吉田神社の節分では、マスク姿の人がチラホラ。そして横浜港でクルーズ船での集団感染。
 2月末、政府は2月末に小中学校に一斉休臨時休校を要請。3月から5月末まで休校。タレントの志村けんさんが、京都では立石義雄京都商工会議所会頭が感染して亡くなり、衝撃を与えた。外出自粛、ステイホームの緊急事態宣言も発令される。観光客で混雑していた京都の観光地は閑散。人にはトイレットペーパーなど買い占めもあり、ぼくももらったがアベノマスクと揶揄されたマスクの配布や10万円が国民に支給され、また事業差にも百万円が支給もされたが、居酒屋やホテル、交通事業者など広範囲に大きな経済的な影響が日本を覆う。
 外国からの入国も禁止。京都では病院は大学生にもクラスターが発生。葵祭、祇園祭、吉田神社の祭りもすべて中止に。大文字の送り火なども「三密」を避けるために縮小。
 会社などは在宅勤務でウエッブ会議になる。高校野球も中止、大相撲などは無観客。もちろん東京パラリンピック・オリンピックも延期に。秋になり、第2波が到来。経済と両立させるために「GO TO トラベル」も実施され11月の連休は人が動いたが、12月に入り、感染者が増えて、年末年始はまたまた自粛。ヨーロッパでもアメリカでも全世界が第3波の中で多くの感染者がでて死亡者は百万人を超えた。イギリスやアメリカではワクチンの接種が始まっているが、終息する目途はない。
 
 さて、日本では、桜を見る会などで物議をよんだ安倍政権が終止符を打ち、能面の菅政権が誕生。野党の国民民主党の多くの国会議員は立憲民主党と合流するも国民民主党は一旦解党して、また少人数で再結成?
 アメリカでは不動産屋のトランプ大統領がコロナに感染し大統領選で民主党のバイデン候補に敗北するもいまだ認めず。世界は、どうなるのか。

 さて、ぼく自身は、春先から緊急事態宣言下では、今まで書いた色々なものや新聞記事などをスキャンして記録する作業をして散歩したり、「ひとくち日記」を再開して日々是好日。
 カルチャーガーデン「吉田の森」も6月に復活。吉田賢二さんの展覧会を皮切りに、秋には、島内梨沙さん、高橋文雄さん、熊谷勝さんと楓友子(ふゆこ)さんの「ツエ展」や中川華さん、西山朝子・森健太郎さんのライブを開催、12月末に予定していた豊田勇造のライブはコロナで延期をしたけれど新しい出会いと再会がありました。
 
 そして7月からは日本イタリア会館でのスペイン語初級クラスに通い始めてます。そして、知的障碍者の施設「若葉会」の再生に向けて5月ごろから動き始めて9月には火中の栗を拾いに理事長になり四苦八苦。いやはやたいへんですよ。
 11月には8期32年京都市会議員をしてきたということで、秋の叙勲で旭日中授章を受章。思いがけないことでした。多くのみなさんからFBでメッセージを、また祝電などいただき感謝。そして今まで応援してきていただいたみなさんのに心より御礼を申し上げます。
  
 そして余談。カミさんが歩行中に転倒して足の指を骨折。大した手術ではなかったけれど、なんやかんやとちょっとたいへんでした。
 43才になる愚息が奄美から沖縄に「そらうみ法律事務所」を開設して、そしてよき伴侶をと出会いようやく結婚。ほっとしました。

 ということで、2020年のコロナ時代の回顧とします。 






          

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする