子供のころ、空襲が激しくなり母の在所え一時疎開したことがある。
国鉄の赤間駅から木炭バスでおよそ一時間 宗像郡池浦という農村に着く。
夏の時期だと池浦でバスを降り バスが土煙を残して走り去ると田んぼの稲の青々とした
においが気持ちよく、降りる人いつも は私と母の二人だけである。
そこから田んぼが左右に広がる細い農道を500メートル位進むと50戸位の藁葺の家が小高い山裾
に左右に並んでいた。 ブログのタイトルが「おわら節に挑む」で 違うような気もする
が あの時も自分 今も自分 その過去のことを少しだけ書いてみよう。
案外、私より年下の人が知らない戦中戦後の話が書けるかもしれない。
※本日より一週間ほど再掲ですが手抜きの意図はさらさらありません乞うご容赦。