WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

最近の授業参観のこと

2006年11月12日 | つまらない雑談

 今日、息子たちの授業参観に行って来た。こどもをもっている人はご承知のことと思うが、最近の授業参観には驚かされる。私が最初にこどもたちの授業参観に行ったのはもう5年前のことだが、ショックだった。保護者たちが騒がしいのだ。先生はちゃんと授業をやり、こどもたちはしっかり聞いているのだが、後ろにいる保護者たちは、教室内で世間話に花を咲かせ、盛り上がっている。中には、バカ笑いをするものもいた。あるいは子連れでやってきて、こどもがいたずらをしても騒いでも泣いても知らん振りの保護者もいる。遅れてきて、ずうずうしくもこどもたちの机の間を歩いていき、一番前にいる自分のこともに「がんばれよ」などと告げに行った者までいた。

 授業参観後の学級保護者会の際、そういう保護者にかぎって担任の先生に批判的な発言をしたり、過大な要求を押し付けたりするのだった。とうとう頭にきた私は、私よりはるかに若いお母さん方をしかりつけてしまった。「お母さん方、そんなことを先生に言うのはおかしい。そもそもさっきの授業中の態度は一体なんですか。こどもたちの授業中に騒がしすぎませんか。そんなことでは、あなたのお子さんはだめになりますよ。いやもうだめになっているかもしれない。……」場が固まってしまった。ところが、ある保護者がひそひそ声で「何も話すなっていうのかしら……」などと言うのをきいて、私は大声で「当たり前だ。授業中静粛にするのは常識じゃないですか。どうかしてますよ。」といってしまった。となりにいた妻は、いたたまれないようで、ずっと下をむいていた。

 世代のギャップなのだろうか。私にはその保護者たちの言動がどうしても理解できなかった。それ以来、妻は私が保護者会にでることを嫌がるようになってしまった。


溢れ出る涙

2006年11月12日 | 今日の一枚(Q-R)

●今日の一枚 83●

Rahsaan Roland Kirk    

The Inflated Tear

Scan10013_1  「溢れ出る涙」。ちょっと恥ずかしいが、私はこういう浪花節的な言葉に弱い。しかも盲目で半身不随の天才サックス奏者の演奏ときている。それだけで、聴く前から興奮してしまう。そして、① The Black And Crazy Blues を聴いた瞬間、興奮ははやくも頂点に達してしまう。感動的なブルースだ。The Black And Crazy Blues というタイトルがこれほどぴったりの演奏はなかろう。文字どうり、涙が溢れ出そうだ。そして⑤ The Inflated Tear の深い悲しみを背景したような不思議なハーモーニーの響き。単純な私は、そこに「人生」や「苦悩」や「情念」あるいは「孤独」や「悲哀」や「根源的な哀しみ」を見出そうとしてしまうのだが、本当はそんな陳腐な概念が吹き飛んでしまうような種類の独自の世界なのだと思う。

 1967年の録音盤だ。私のもっているのは輸入盤でオリジナルのものとジャケットが違うのだが、もう20数年間もこのCDを繰り返し聴いているので、新しい音のいいやつを買おうという気持ちがおきない。

 ところでちょっと話がそれるが、最近よく使っているBOSE社のWBS-1EXⅢというCDレシーバーだとこの古いCDがうまくかからないのである。CDが認識されず、再生できないのである。手軽に使え、しかも中音域が比較的鮮明で、結構気に入っているステレオ装置なのだが、残念である。BOSE社のこの製品についてはネットでもいくつかの不具合の報告があり、実際私のものにもいくつかの不具合があるが、この製品はなぜか突然生産中止になっており、BOSE社への不信感はつのるばかりである。CDの方も最近はやりのデジタル・リマスタリング24ビットとかのやつを買わねばならないかも知れない。

 以前、「ドミノ」について述べた時にも書いたのだが、後藤雅洋さんの「重要なのは、ローランド・カークの演奏技術が彼の音楽表現と不可分に結びついているということであり、決してテクニックのためのテクニックではないという点なのだ。その証拠にカークは、この奏法をのべつまくなしに披露するわけではなく、よく聴いていればわかるが、音楽的に必要と思われるところでしか使用することはない。…………ここで重要なのは、それが二人の演奏者がそれぞれテナーとマンゼロを吹いたのでは絶対に表すことができない表現力を獲得している点なのだ。」(『Jazz Of Paradise』Jicc出版局)というローランド・カークの演奏についての論評は、まったく至言である。彼の演奏は、他の誰とも違う独自の世界をもっている。そしてそれは、ジャズを聴きなれているとかそうでないとかにかかわらず、誰にでも一聴してわかるような種類の独自性である。 

 ローランド・カークは、私のフェイバリット・ミュージシャンのリストの中でも独自のまったく独自の位置を占めている。

[以前の記事]↓

Roland Kirk     Domino

http://blog.goo.ne.jp/hiraizumikiyoshi/d/20060826

BOSEはちょっとひどい!

http://blog.goo.ne.jp/hiraizumikiyoshi/d/20061008