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(再掲)知ってた?「戦争責任に問われるべきは、F・ルーズベルト大統領だった。」

2018-08-13 12:55:13 | megamiyama

日本国民には知らされなかった、知る人ぞ知る「真実」

今はその気になれば、いくらでも知ることが出来るのに、未だに知らないままの日本人が多いのは、何故でしょう?

「愛」の反対は「憎悪」ではなく、「無関心」と云います。

『しなくてよい「戦争」をして、死ななくてよい人が大勢死んだ「アノ戦争」のことなど、思い出したくもない。知りたくもない!考えたくもない!』

と考えるに至ったイマドキ!?の日本人にとって、命に代えても護るべき祖国はもう無くなったのでしょうか?

「愛国心」「国益」が死語になりつつある現代の日本に、アメリカのこころある政治家によって、とっくの昔(戦後すぐ)に表明されていた「愛」と「勇気」と「正義」と「真実」に満ちた証言と声明の数々。

とっくにオープンにされていたのに、日本では一部の学者や政治家にしか知られず、小中学校で学ぶことは、いまだにGHQが組織した日教組の「自虐史観教育」のみ!?

日本の「大学」が世界に遅れを取るハズです。

「無関心」は「愛」の欠如!

アノ戦争については「知らないでは済まされない!」コトが沢山あるので、去年の記事ですが再掲します。

 

2017-09-18 12:29:07 | megamiyama

一部、記事更新しました。

「ルーズベルトの開戦責任ーハミルトン・フィッシュの証言」

昔、ネットでこの記事を読み、衝撃を受けました。

おさらいの意味を込め、紹介させて頂きます。

先ずは、最新記事(と言っても2016年 06月 28日…)から。

ハミルトンだけでなく、フーバー大統領もF・ルーズベルトの悪行については、黙っておれなかったようです。

こういった本が1948年とか…戦後まもなく出版されているアメリカは、やはり「正義の国」なのだと感心しますが、尚且つ未だに「絶対謝罪しない国」でもあり続けている処をみると、「時の大統領と太平洋戦争に関する不都合な真実」は、アメリカ連合国主導の戦後体制の根幹を揺るがす絶対的タブーなんでしょう。

正直が取り柄のトランプ大統領には、是非「ルーズベルト大統領は大悪党だった」と暴露して、アメリカの威信のちゃぶ台返しをして頂きたいものです。

ノーベル平和賞をとり、ヒロシマにも来たオバマ大統領にも出来なかったコト(アメリカが犯した大罪についての謝罪)をやれる大統領がいるとしたら、トランプ大統領をおいて他に居ない!

これまでのアメリカにとっては「不都合な真実」でも、トランプ大統領にとっては、今のトランプ包囲網を撃破して、アメリカを真の「正義の国にする格好の引き金となるでしょう。

「正義」を取り戻したアメリカと、「誇り」を取り戻した日本が組めば、敵う敵なし!

世界最強の同盟が出来上がります。

実は、中国が一番恐れているいるシナリオがコレ!?

今や中国・北朝鮮共産主義独裁国家は、自由民主主義社会を脅かす、最大の敵と化しておりますが、〝敵”の一番、嫌がるコトをするのが、いつの時代も「勝利への道」

日本が誇りを取り戻し、「世界平和」という「大義」の為に、アメリカと(そしてロシアとも!)一丸となって戦う姿勢さえ見せれば、世界は日本に拍手喝采するでしょう。

やはり最後は、サムライJAPANの出番です。

良く出来たシナリオだと思いますが、如何!?

 http://sahorimatu.exblog.jp/25384727/

さほりさんの自虐史観からの脱却

2016年 06月 28日

 

 19.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★戦後世界に共産主義の種を撒いてしまった事

 

 

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)
 
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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。
 
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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第19の過ち 戦後世界に共産主義の種を撒いてしまった事
  「モスクワ会議、テヘラン会議、ヤルタ会議、ポツダム会議そして誤れる対中政策を通じて、第3次世界大戦を引き起こす
  危険のある竜の歯が、世界中の至る所にばらまかれた。その結果何年もの「冷戦」が続き、おぞましい朝鮮戦争が勃発し、
  北大西洋同盟が弱々しく成立したが、アメリカが再び敗北する危険は常につきまとっていた。〔抄訳〕(p132より)
   
  
 The Dragon's Teeth of World War Ⅲ
 Nineteenth. From the Moscow, the Teheran, Yalta and the Potsdam Confer, the policies as to China, the dragons

 teeth of a third world was were sown in every quarter of the world and we were to see "the cold war" overyears
 and finally the hideous war in Korea and the feeble North Atlantic Alliance with all its dangers of American defeat
 again.(以下省略、原典P882)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

19番目。モスクワ、テヘラン、ヤルタ、ポツダムの会議そして対中政策の錯誤が重なって、冷戦の原因になっていきます。
 まず朝鮮戦争、ベトナム戦争になった。NATO(北大西洋条約機構)もできたけれど、脆弱だとフーバーは見る。
 第3次世界大戦を引き起こす可能性のある「竜の歯」が世界の至る所にばらまかれた。この「竜の歯」という表現は、「災いの種」という意味で、ギリシャ神話からきた表現でたいへん面白い言い方をフーバーはしています。
 アメリカは、共産中国を成立させ、上半身が共産党独裁、下半身が擬似資本主義みたいなへんてこなものを作ったと。
 ソ連との冷戦が第3次世界大戦とするならば、米中新冷戦は第4次世界大戦かもしれないと読み解いています。

 対談者の方々は、ルーズベルト政権はアメリカの国益を代表した政権でもなんでもない。どんな政権でも国益の一部を代表
 するに過ぎないだろうけど、F・ルーズベルト政権ぐらい大きくアメリカの国益に反していた政権はなかったのではないか?
 中国共産党を伸ばしたのはアメリカであり、人物として、まずはじめはフランクリン・ルーズベルト。次はリチャード・ニクソンである。

 ルーズベルトの罪状は、19番目で終わるのですが、やはり最後は、キリスト教の原則にもどって、共産主義が広まるのを許してきたのは間違っているとフーバーは締めくくっています。1952年、アイゼンハワーが当選したとき、それをもって良きアメリカの復活の兆候だというところで、この記述は終わります。


 ★しかし、それから時間は随分と流れ、中国のAIIBの発足にヨーロッパの国がアメリカの意に反して加盟した。
  アメリカはここから親中から反中へと流れを変えている。
  フーバー大統領の予言とも思われる分析能力には誠実さと、現実に即したまなざしに強い共感を感じました。
  もしよろしかったら、著作を手にとって欲しいと思います。

http://sahorimatu.exblog.jp/23757471/

2015年 03月 08日

ルーズベルトの開戦責任ーハミルトン・フィッシュの証言

 

太平洋戦争はアメリカが仕掛けた

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ハミルトン・フィッシュの証言

 

下院議員で、ニューヨーク州選出の共和党議員だったハミルトン・フィッシュは、

ルーズヴェルトの政敵とされたアメリカ共和党の主導的政治家であった人物である。(1991年没)

ハミルトン・フィッシュは日本人にはほとんど知られていませんが、日本と関係の深い人です。

知られていない理由はいたって簡単。

戦後すぐから、アメリカにとって不利な「太平洋戦争の真実」の証言をしていたため、

アメリカでは「修正主義者」のレッテルを張られ、日本ではマスコミや大学ですら、

アメリカに気遣って絶対に紹介しなかったからです。

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ハミルトン・フィッシュ(Hamilton Fish 1888-1991)は、アメリカ、ニューヨーク生まれ。

NY州議会員を経て、1920年~45年、米国下院議員(共和党)を務める。

 

①この本の要点は、第二次世界大戦の始まり、つまりドイツとポーランドの紛争であるヨーロッパの紛争にアメリカ国民は巻き込まれたくないと言う主張が主流で(ヨーロッパ問題の非干渉の世論)、アメリカ国民は絶対戦争したくないという意見がであったこと。

②ルーズベルトは、当時「私はこれまでも述べてきたように、そしてこれから何度でも繰り返すが、あなた方の子供たちは外国の地での戦争に送り込まれることは決してない。」1940年10月30日と国民に宣言しながら、参戦の準備を進めていたこと。

③アメリカは民主主義の国である。大敵であるはずのスターリンにルーズベルトが異様なまでの寛容な精神をみせていたこと。

④ハルノート(日本への最後通牒)は、アメリカ議会、外交院、軍人(マッカーサーですら知らなかった)、アメリカ国民にさえ知らされていなかった事。日本はどんな条件でも呑む覚悟で戦争をさけるつもりであったにも関わらず、どんな国であろうとも呑めない内容を突きつけて、日本と戦争をすることで、ヨーロッパの戦争に介入したかったこと。

⑤ルーズベルトは、真珠湾攻撃の14時間前に日本の攻撃があることを知っていたにもかかわらず、何の行動も起こさずハワイに知らさず、ハワイに駐在していた軍人を見殺しにして、日本が卑怯にもだまし討ちした!と戦争を煽っていったこと。もちろんハルノートのは誰もしらない。

⑥朝鮮戦争の謎。マッカサー将軍がなだれ込んでくる中国共産党の攻撃の防衛のための攻撃、鴨緑工(おうりょくこう)の空爆を許さない命令がアメリカから出ていたこと。国連軍の方針がイギリス政府内に潜り込んでいたスパイを通じて中共側につつぬけだったこと。大勢のアメリカ人兵士が無駄死にしていった。

⑦イギリスは、中国共産党に香港経由で武器を輸出していたこと。

⑧ヤルタ会議に臨んだルーズベルトは、重病であった事。健康を害した人間が条約を結ぶことをアメリカは容認していない。それにもかかわらず、専用の医師によってルーズベルトの病気は、隠され続けていたこと。そして、ヤルタ会議では、スターリンは欲しいものはすべてとった。スターリンの1人勝ちになった。ヤルタで中国をスターリンに差し上げる約束をしたのである。

 

第二次世界大戦が終わった結果、イギリスは多くの植民地を失い、ルーズベルトはアメリカの財政赤字を膨大に増やし、日本は敗戦し、ヨーロッパも疲弊した。そして、共産主義国が増えたという結果を見ると、ルーズベルトは何をしたかったのか?アメリカは中国を共産国にするつもりで動いていたのでしょうか?

 

もう少し、きちっとした文章を↓

まとまったものを


フィッシュは何をした人なのか?    

真珠湾攻撃の翌日(1941年12月8日)、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は日本に対して宣戦布告を求める議会演説(恥辱の日演説)を行いました。

ルーズベルトの演説に続いて、下院議員としてそれを容認する演説を行ったのがフィッシュでした。

フィッシュの演説を全米2500万人(当時のアメリカ人口は約1億3000万人)がラジオを通じて聴きました。

実はフィッシュは大のルーズベルト嫌いでした。

ヨーロッパの戦いに干渉したがるルーズベルトを警戒し、アメリカが参戦することに強く反対していました。

フィッシュはアメリカ孤立主義運動の先頭に立つ有力議員だったのです。

当時、アメリカ世論の8割以上が第1次世界大戦で多くの若者がアメリカとは関係のない(と考えていた)ヨーロッパで死んだため厭戦(えんせん)気分が蔓延し、ヨーロッパやアジアの争いに巻き込まれることを拒否していました。

 その世論の流れを一気に変えたのが真珠湾攻撃でした。

 アメリカ孤立主義運動の指導者だったフィッシュも、対日宣戦布告を容認せざるを得なくなりました。


 

開戦時、フィッシュが行った演説

「議長、私は悲しみと日本に対する深い憤りの念をもって、宣戦布告に対する支持を表明するものです。

私は、過去3年の間、欧州およびアジアにおける戦争にアメリカが参加することに一貫して反対してきました。 しかし、ワシントンにおける和平交渉継続中に、かつ、最終段階における天皇に対する大統領の個人的要請を無視して行われた、日本の海、空軍による不当、邪悪かつ厚顔無恥で、卑怯な攻撃の結果、戦争は不可避かつ必要となりました。

米国内で論争、対立をすべき時は過ぎました。 今や行動をとるべき時なのです。

介入主義者および非介入主義者は、相互に告発と再告発、批判と反論を繰り返すことを止め、戦争遂行のために大統領と政府の下で一致団結しなければなりません。 日本による残虐な攻撃に対する答えはただ一つ、いかなる血、財産および悲しみを代償としても、最終的勝利まで戦いぬくということであります。 この日本の我々の領土に対する、挑発されない、かつ無意味な侵略行為は、戦争によって報いられなければなりません。

私は、外国における戦争に介入することに一貫して反対してきましたが、同時に、もしも我々が外国勢力により攻撃を受けるか、または合衆国議会が米国的かつ憲法に合致した方法で宣戦を布告した場合には、大統領とその政府を最後の最後まで支持する、ということも繰り返し表明してきました。

神々は、その滅ぼそうとする者たちをまず狂気にさせます。 日本は、完全に乱心するに至り、挑発されない先制攻撃をしかけることによって、その陸、海軍および国家自体にとっての自殺行為を犯しました。

私は、適当な時期に、前世界大戦と同様に、戦闘部隊の、そして望むらくは有色人種部隊の司令官として従軍することを申し出るつもりです。 米国を防衛し、戦争に狂った日本人の悪魔たちを全滅させるためならば、私はいかなる犠牲をも払うことでしょう。

今や戦いに臨むのでありますから、アメリカの伝統に従い、昴然と頭を上げていこうではありませんか。  そして、この戦争は、侵略に対抗し祖国領土を守るためだけのものではなく、全世界の自由と民主主義を守るための戦いであることを、かつ我々は勝利を得るまでは戦いをやめないことを、世界に知らしめようではありませんか。

私は、全米国市民、特に共和党員と非介入主義者に対し、個人的見解や派閥意識を捨て、合衆国軍隊の勝利を確保するために、我々の総司令官である大統領の下に団結するよう要請します。

我らが祖国よ! 外国と接するにあたり、祖国が常に正しくあるよう。 しかし、正邪にかかわらず、我らが祖国よ!」

このように日本を激しく批判し、アメリカが参戦することを強く後押しをしています。


 

真実を知ったハミルトン・フィッシュ

ところが、戦後、フィッシュはこの自分の演説を深く恥じることになります。

なぜなら、ルーズベルト政権の対日交渉の詳細が次々と明らかになってきたからです。

特にフィッシュが問題にしたのは、ルーズベルトが「ハル・ノート」の存在を議会に隠していたことでした。

ルーズベルトは、「アメリカが誠意を持って対日交渉を続けているさなかに、日本は卑怯にも真珠湾を攻撃した」と、議会や国民に説明していたのです。

しかし、それは偽りでした。

 

フィッシュは、自著「FDR: The Other Side of the Coin.」(1976年)でこう振り返っています(渡辺惣樹訳、「正論」2014年1月号)。

『私たちは、日本が、和平交渉の真っ最中にわが国を攻撃したものだと思い込んでいた。

1941年11月26日の午後に日本の野村大使に国務省で最後通牒が手交された。 それはハル国務長官が渡したものである。

ワシントンの議員の誰一人としてそのことを知らなかった。 民主党の議員も共和党の議員もそれを知らされていない。』

フィッシュは共和党員であり、ルーズベルトの前任で共和党のフーバー大統領の抑制的な対日外交を知っていました。

それだけに、ハル・ノートの内容が日本に対する最後通牒であったことをすぐ理解しました。

フィッシュは、ハル・ノートは議会の承認を得ない対日最後通牒であると言い切っています。

それは、議会だけに開戦権限を認める合衆国憲法の精神にも背いた外交文書でした。

フィッシュはルーズベルトを軽蔑するとともに、自分がその嘘に乗せられて対日宣戦布告を容認したことを強く恥じました。

戦後の研究で、日本の天皇も指導者も対米戦争を望んでいなかったことまでが明らかになると、彼の怒りは頂点に達しました。    

 

別の自著「Tragic Deception: FDR and America’s Involvement in World War II.」(1983年)(邦題「日米開戦の悲劇」岡崎久彦監訳)の中で、フィッシュはこう述べています。

『私はルーズベルトを許すことができない。  彼はアメリカ国民を欺き、全く不必要な日本との戦争にアメリカを導いた。

日本の指導者が開戦の決断をすることになった最後通牒ハル・ノートはルーズベルトが真珠湾攻撃を「恥ずべき行いの日」と呼んだことにちなみ、「恥ずべき最後通牒」と呼ぶのが適切と思われる。

日本は、面積がカリフォルニアにも満たない人口八千万人の比較的小国であった。 天然資源はほとんど保有せず、また冷酷な隣国であるソビエトの脅威に常に直面していた。

天皇は名誉と平和を重んずる人物であり、側近の攻撃的な軍国主義者を制止するために、できるかぎりのことを行っていた。

日本はフィリピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有していなかった。 しかしながら、ひとつの国家として、日本はその工業、商業航行および海軍のための石油なしには存立できなかった。

日本は、コメおよび石油の購入を平和的に保証されたならばどのような条約にでも署名し、南方に対するいかなる侵略も停止したであろう。 ただ、自由貿易を認めるだけでよかったのだ。

どうしてイギリスが極東における数多くの領土を保有する絶対的な権利を持つべきであり、その一方で日本が近隣諸国からコメ、石油、ゴム、錫その他の商品を購入することさえもできないくらいの制限を米国によって課せられなければならないのか。 こんな理不尽な話はあり得ない。

米国の最後通牒を受け取った時点の日本は、四年にわたる戦争の結果、中国のほとんどの海岸線、大都市、かつ広範な領土および満州全土を掌握し、極東最大の勢力となっていた。 このような強力な国家に対し、米国はこれ以上何を要求できると言うのか。

天皇および近衛首相は、平和を維持するために信じられないほどの譲歩をするつもりでいたのである。 非常に平和愛好者である首相の近衛公爵は、ルーズベルトとの会談を繰り返し要望していた。

在日米国大使であったジョセフ・グルーは、日本がどれだけ米国と平和的関係を保ちたいと希望していたか承知しており首脳会談を強く要請した。

日本は米国との開戦を避けるためならば何でもする用意があったであろう。 しかし、ルーズベルトはすでに対日戦、対独戦を行うことを決意していたというだけの理由で日本首相との話し合いを拒否した。

日本との間の悲惨な戦争は不必要であった。 これは共産主義の脅威をより恐れていた日米両国にとって、悲劇的であった。

我々は、戦争から何も得るところがなかったばかりか、友好的だった中国を共産主義者の手に奪われることとなった。 イギリスは、それ以上に多くのものを失った。 イギリスは中国に対して特別の利益と特権を失い、マレーシア、シンガポール、ビルマ、インドおよびセイロンをも失った。

日本人は、高度な忠誠心、愛国心に満ちた、非常に感受性の強い、誇り高き、かつ勇敢な民族である。 このような民族に『恥ずべき最後通牒ハル・ノート』を突きつければ、必ず戦争になるとルーズベルトは確信していた。

私はルーズベルトを許すことができない。 この大戦は米国に三十万人の死亡者と七十万人の負傷者、そして五千億ドルの出費を米国にもたらした。

日本には軍人、民間人合わせて三百万人以上の死亡者をもたらした。 日本の物的、人的、精神的被害は計り知れない。

その責任はルーズベルトが負っているのだ。』

このように、フィッシュは戦争で命を落としたアメリカ人の犠牲を悼むだけでなく、日本人に対しても哀悼の念を表しています。

 

そして、前出の「FDR: The Other Side of the Coin.」(1976年)でこう述べています。

『日本人はあの戦争を最後まで勇敢に戦った。 我が国と日本のあいだに二度と戦いがあってはならない。 両国は、偉大な素晴らしい国家として、自由を守り抜き、互いの独立と主権を尊重し、未来に向かって歩んでいかねばならない。

日本が攻撃されるようなことがあれば、我が国は日本を防衛する。 それが我が国のコミットメントである。 そのことを世界は肝に銘じておかねばならない。』


 

 

ケビン・トーク

日米開戦については、知日派で知られるアメリカのケビン・ドーク氏も、「正論」2013年9月号の対談記事でこう述べています。

『国際法上、日米戦争の始まりは日本の真珠湾攻撃ではありません。それは、1941(昭和16)年7月のルーズベルト大統領による日本の在米資産凍結です。これは当時の国際法では「戦争行為」にあたります。アメリカでは批判される見解かもしれませんが事実です。

ですから、法律的には、真珠湾攻撃は日本の防衛行為だと解釈されます。日本はもともとアメリカを攻撃したくはなかったのに、ルーズベルトが仕掛けた。ただ、彼も日本と戦いたかったのではなく、国民の意識をナチス・ドイツとの戦いに向けようとしたのです。』


 

 

ヘレン・ミアーズ

1946年に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日したヘレン・ミアーズも、1948年の著著「アメリカの鏡・日本」の中でこう述べています。

『パールハーバーはアメリカ合衆国の征服をたくらんで仕掛けられた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。』


 

 

チャールズ・A・ビーアド

同じ1948年に、やはりルーズベルトを批判した勇気あるアメリカ人がもう一人います。  チャールズ・A・ビーアドという歴史家で、「ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕」の中で、

『戦争責任を問われるべきは日本ではなく、ルーズベルト大統領だ。』

と述べています。



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