昔はここに200戸もの家があったとか、
今は木々に埋もれて消滅して終いそう。
谷の村の歴史は、度重なる大火事で
古文書的なものがほとんど残っていません。
他の村との大きな違いは、小作人がいなかったと
言われています。
山は個人の所有よりも、村の総山が多く、焼畑や炭焼きで
生活をするには、その方が、都合が良かったのだろうと思われます。
しかし、身分に差が無く、みんなが、平等意識を持っていると
なかなか 意見がまとまりません。
他所の村では、小作人を沢山抱えた、旦那がいて、良い方にも
悪い方にも、旦那の意見で解決出来ていった事と思います。
各家は屋号で呼びますが、苗字で呼ばれるのは、大西西脇総左衛門の
子孫の「大西」と「源野」ぐらいです。
御所が原物語を作りたいのですがなかなか出来なくて申し訳ありません。
草刈り予定個所は午前中一杯かかって 出来ました。
明日は刈った草の後始末と、池の中の掃除をして
イワナの掴み取りが出来る様にしようと思っています。