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巨人の星

2017-12-07 09:04:26 | お話
🌟巨人の星🌟


僕は大阪育ちですが小学生の頃から巨人ファンでした。

甲子園球場に試合を観に行って

「僕も王選手と同じユニホームを着たい!」

と思ったのがきっかけでした。

それから外で遊ぶ時はもちろん、家にいる時もグローブとボールをいつも持っていました。

「どこに行っても野球」の少年時代を送っていました。

僕は勉強が全然できませんでした。

6年生の時、母から

「将来どうするの?」

と聞かれ、

「PL学園に行って、早稲田に行って巨人に入る。

そしてエースになる」

と言いました。

すると母に

「野球だけじゃなくて勉強ができないと入れないよ」

と言われました。

それで中学に入ってから勉強をやり始めました。

最初のテストの成績は230人中220番でした。

その時に思ったんです。

「俺ってすごいな!」って。

小学校で全然勉強していなかったのに、

中学でちょっと勉強しただけでこんな成績を取れたんですから。

もしその時、

「努力しても俺ってダメだな」

と思っていたら、おそらく今の僕はなかったでしょう。

それから僕は勉強するようになりました。

次のテストでは180番に上がり、次は150番、120番と、

どんどん成績が上がっていきました。

たとえ少々悪い点数をとっても、

「俺はできる!今回は勉強のやり方を間違えただけ。

違う方法でやればまた上がれるはず」

と考えました。

その時に僕の頭の中にあったのが「だるまさん」でした。

倒されても倒されてもまた起き上がる。

「倒されることがダメなんじゃなくて、

起き上がることが大切なんだ」

とその時に考えたのです。


野球の練習は、学校に行く前と部活が終わってからも1人でやっていました。

中学1年の夏にはエースの背番号もらいました。

大会ではほとんど優勝し、念願だったPL学園に入りました。

でもPL学園には全国からすごい選手が集まってきます。

みんなの練習を見ながら、

「レギュラーなんて取れんわ」

と思いました。

5月になると練習にもついていけなくなりました。

寮生活も厳しいし、先輩も厳しい。

野球部を辞めようかとも思いました。

母に相談したら、

「自分が行きたくてPLに入ったやろ。

補欠でもいいじゃない。

その中で何かを学べばいいのよ」

と言われたんです。

その一言が胸に刺さり、

「やれることはまだある」

と考えるようになりました。

1年生は朝6時起床でした。

ですから5時半に起きて何かしようと思い、

トイレ掃除とグランドの草取りをしました。

野球とは関係ないことですが、すぐくじけてしまう自分が情けなくて、
「もう一回心から鍛え直そう」と思ったんです。

その後しばらくして気づいたら、

僕は甲子園のマウンドに立っていました。

嘘だと思うでしょう?

本当なんですよ。

つまり努力し続けると、ある時神様がポンと背中を押してくれたり、

手を引っ張ってくれたりするんです。

それに、最大限努力をしていると、

結果が悪くても後悔しません。

「あれだけやったのにダメだったか」

という思いが湧いてくるだけです。


僕は結果が全てのプロ野球の世界で22年間現役を続けてきましたが、

やっぱりで大事なのは「結果」よりも「過程」だと思っています。

どれだけ自分で努力し、

どれだけ自分で考え、

行動したか、です。


結果は、おのずとそれについてきます。

だから僕は努力することが楽しくてしょうがないんです。


(「みやざき中央新聞」H29.11.27 桑田真澄さんより)