鳩山テラス


里山の四季、遥かなる山稜 ・ ・ ・
               グラスを持ってテラスに出よう!

G・Wの涸沢圏谷、北穂高岳   2013年5月2日~6日 (夜行4泊5日)

2013-05-02 | 

 

  [1日目] 上高地 ― 横尾 ― 涸沢
  [2日目] 奥穂高山荘 往復
  [3日目] 北穂高岳 往復
  [4日目] 北穂高岳 往復
  [5日目] 涸沢 ― 横尾 ― 上高地

 春の雪稜歩きに興味を持ち始めていた。そして、そのデビューはいきなりの北ア・涸沢。雪上にテントを張り、そこをベースに奥穂高、北穂高への雪稜登攀に挑戦してみることにした。雪面でのスリップや雪崩、そしてテント内の寒さ。これらに不安が無いわけではなかったが、ゴールデンウィークにはたくさんのテントが並び、多くの登山者が入山しているので、まずは体験とばかりに涸沢をめざした。
ッケル、12本爪アイゼン、雪山兼用登山靴、それにスパッツ、グローブ、ゴーグル、バラクラバ等の雪山装備を新たに買い揃え・・・。そして、このとき初めて山岳保険にも加入した。

   1日目

 新宿から夜行バスで上高地に入る。バスを降りると、思っていた以上に空気が冷たい。-4℃。登山センターで登山者カードを提出すると、ここ数日で穂高山頂は80センチくらいの積雪があったから、雪崩に気を付けるように!と注意を受ける。
 実に久しぶりの上高地だが、いつ以来だろうか・・?結婚後何年目かに妻と槍ヶ岳に登った時以来かも知れない・・・。ということは、二十数年ぶり、ということになる。

 横尾までの道のりにほとんど雪は無く、横尾橋を渡り屏風岩が大きく迫ってくるあたりから、やっと雪道となった。
 本谷橋(橋はまだ雪の下で見えていない)を越えたあたりでアイゼンを付ける。初めての12本爪アイゼンだったが、手早く上手に装着できた。いよいよ雪面登行だ。夏は沢沿いをジグザグに進むゴツゴツとした岩道と思うが、雪の上はそこを思い思いに自由に歩くことが出来た。
 左の屏風ノ頭側からのブロック雪崩を気にしながら足早に進むうちに、まだ遥か上の方ではあるが涸沢ヒュッテの鯉のぼりが丘の上に小さく見えた。
 「えっ、もう着くの?」と一瞬思ったが、ここからが正念場だった。傾斜は増す一方で、鯉のぼりは一向に大きくならず、進まない足どりに、ストックに身体を預けては肩で息をするという繰り返しが続いた。

 涸沢ヒュッテはまだ、半分ほどしか雪から掘り出されていない状態だった。小屋でテントの受付を済ませ、すぐに設営に取りかかる。
 涸沢カールの中央には、既に50張くらいのテントが張られており、その中でいちばん端の平らな雪面にテントを張った。吹き下ろしの強風が吹いた場合、まともに受けてしまう場所であるのと、もしカール全体を襲う雪崩が発生した時は、一番先に潰されてしまう場所、というのが気がかりではあったが・・・。

 “ゴオォー”という音がしたら真っ先にテントから飛び出さなければならない、という恐怖が頭のどこかにある第一夜だった。

   2日目

 目が覚めた時、圏谷の上部に朝日があたり、既にモルゲンロートが始まっていた。
 「しまった、寝過ごした。」と慌てテントを飛び出した。夜中、シュラフカバー内側の結露による不快さに、何度も目を覚ましていたのに、明け方になって熟睡してしまったようだ。

 陽のあたり始めた上部の雪面から、次第に赤く染まり出す映像ショーが、今、涸沢圏谷に始まったところだった。前穂高、奥穂高、涸沢岳、北穂高穂の雪稜が、ぐるっと360度の巨大スクリーンとなり、それぞれ刻々と変化する光と影を映し出す。そして視界に入りきらないその大きさに、圏谷の底に居る我々観客は、まちまちの方角を見上げカメラを向ける。凍てつく空気のなか、カメラを素手で持つ冷たさに顔をゆがめながらのショータイムだった。

 

                         圏谷上部から始まる光と影の映像ショー

  
                           涸沢 テント設営場の朝
 
 ひとしきり興奮が納まってからテントでゆっくり朝食を摂る。今日の予定は奥穂高岳の往復だ。既に大方の人が奥穂高岳や北穂高岳に向けて出発してしまった時間帯であるが、今回は初めての雪歩きということもあり、気温が上がって雪が少し緩むのを待っての行動開始とした。
 本日、登山者(山岳スキー含む)の数としては、おおざっぱに奥穂高岳方面60人、北穂高岳方面50人、前穂高岳方面10人といったところ。ザイテングラードの取り付き辺りまでは縦横無尽についているトレースが、そこでほぼ一本にまとまり、そこから先は左側の斜面(小豆沢と呼ばれる)を登る。斜度は40度近くありそうだが、風も無く、気温の上昇とともに雪が程よく腐っているので、滑落の不安は感じない。ただ、白出乗越が近づいてくると、さすがに雪も硬くなり、ピッケルを握る手にも力が入った。

 
                                              前穂高岳を望む

 穂高岳山荘も半分ぐらいがまだ雪の下に埋まっていた。小屋の前で山頂へのルートを見上げるが、万一、スリップした時のことを考えると、やはりここから先を単独で行くには危険が大きすぎると判断。今回はここまでとすることにした。ここから眺める奥穂高岳、前穂高岳の斜面は急峻に切れ落ち、その底に涸沢のテント村が黒胡麻のように見えた。

 復路は登って来たトレースの横をザクザクと大股で果敢に下る。一足ごとにこぼれる雪塊が、登ってくる人達のルートの方向に行かないよう、そして、上からの雪崩は無いか、下や上へと気を配りながらの下降が続く。
 傾斜がやや緩んだあたりでザックを降ろし、ゆっくりくつろぐことにした。急いで降りてしまうのがもったいないのだ。腰を降ろして上方を振り返ると、濃紺の空に真っ白い雲が、飛騨側から涸沢槍の上を乗り越えて次々にやって来る。下方に目をやると涸沢のテント村が大きく見え、カラフルなテント群の中に自分のものもはっきりと確認できる。そして、さらにその下には涸沢に登って来る人達がアリの行列のように続いている。さすがゴールデンウイーク。連休の中日を迎えて続々と入山して来ているのだ。
 ここからは直接テント場の方へ下らず、涸沢小屋の方へ立ち寄ってみる。そして小屋のテラスで缶ビールを飲むのだ! そこでのビールが格別だったことは言うまでもない。

 今日のテント場は100張を超える程に増え、夜にはその色とりどり夜景を写真に収めようと、多くのカメラマンが高台から三脚を構えていた。
 


                    涸沢小屋のテラスは山岳気分満点
                

  
             賑わってきたテント場。右端に並んだオレンジのひとつが我が家。               

3日目

 今朝はまだ暗い時間に起きた。しかし、テントの外に出てみると、もう多くの人達が登り始めていて、昨日登った奥穂高岳や、今日登る北穂高岳への斜面の相当上の方にも、ヘッドランプの光がチラチラ動いている。風も強いようだ。
 はやる気持ちを抑え、朝食を作り、そして5時半に北穂高岳山頂をめざして出発。昨日の午後から続々と人が詰めかけ、おそらく昨日の2倍位の人達が、それぞれの頂を目指して斜面に取り付いている感じだ。北穂高岳に続くトレースの入り口に、長野県山岳パトロール隊が2名立っていて、装備が不十分な人や、足取りのおぼつかない人に声を掛けているようだ。「上は雪が固いから気を付けて」と、
私も声を掛けられた。

 北穂高岳への斜面は、昨日の奥穂高岳への小豆沢よりやや急に感じるが、真っ直ぐに延びるトレースは、多くの人にしっかりと踏み固められ、アイゼンがよく効いて登りやすい。ただ、写真を撮ろうとザックからカメラを取り出そうとしても、降ろしたザックが一気に涸沢まで滑り落ちてしまう斜度のため、稜線に出るまで写真はあきらめ、登攀に専念する。後半はさらに急峻で、昨日同様ピッケルを握る手に力が入る。もしここでバランスを崩して滑ったら・・・。ちゃんと身体を止められるだろうか?イメージトレーニングだけは積んでここにやって来たが、実際のピッケル制動は練習していない・・・。

 円筒状に立つ岩(松濤岩)の下まで登り切り、程なく北穂高岳山頂(3106m)に立った。上空には青空が覗き、大キレット越しに槍ヶ岳もその大部分が望めるものの、槍の穂先にかかる雲がどうしてもとれてくれなかった。しばらく北穂高小屋の前のベンチで粘っていたが、ここにも時折ガスがかかるようになってしまい、下山を開始した。
 下降は登りの時より高度感が増し、登山者とのすれ違いで、トレースを外す時が緊張を強いられる場面となった。今日は早々にテントに戻り、午後はほとんど昼寝をして過ごした。

     

 ところで、朝、出発の時に救助ヘリコプターがテント場の直ぐ近くに飛来して、怪我人を下界の病院(?)へと緊急搬送していた。今日は多くの登山者が斜面に取りつき、その結果、事故も多かったようで、午後になってみんなテント場に戻って来ると、目撃した滑落事故の様子を口々に話していた。昨日登った小豆沢の斜面では、スキーヤーが転倒・滑落し、登山者を巻き込んでの負傷でヘリ搬送されたという。また、北穂高岳でも私が山頂に居た頃、途中の斜面で女性登山者が転倒。そのまま滑落、負傷し、ヘリ搬送されたらしい。特に、小豆沢で負傷した人とは昨日、少しだけ言葉を交わしていたので驚きだった。その人はあちこちの山岳登攀をしながら、急斜面を求めて滑っているスキーヤーだった。

   4日目

 今日も快晴に明けた。3日連続の映像ショーだが、朝日に雪が染まる色合いが同じではなく、今朝もまた美しい。朝食を済ませ、涸沢小屋のテラスでアイゼンを付け、昨日に続き、連日の北穂高岳山頂を目指す。今日こそ槍ヶ岳が見えるであろうことを期待して・・・。
 今朝のテント場は撤収組も目立ち、頂を目指す登山者は昨日をピークに半分以下となった感じだ。ところで今朝もヘリコプターが飛んで来て、涸沢槍方向の稜線と涸沢とを何度も往復している。何かあったのだろうか?ひょっとして昨日、大キレットを越えて北穂山頂直下を凄まじいパワーで登って来たあのパーティーに、その後の縦走中、何かアクシデントがあって、夜明けと同時に救助が始まったのではないだろうか・・・。

 


          北穂高岳への登りから振り返る。中央にゴマ粒のように見えるのがテント村。

 今日は全くの無風で、汗をかきながらの登攀となった。稜線に出ても微風程度だ。そして北穂山頂では待望の槍ヶ岳との対面が果たせた。

 今日は山頂での時間をたっぷりとって、北穂高小屋の食堂でコーヒータイムも楽しんだ。北穂ブレンド。こんなにおいしいコーヒーは初めてかもしれない。そしてカップのデザインと口当たりも優しかった。また小屋にはオリジナルのワイン、“北穂ワイン”が置いてあった。いつの日かこの小屋で夕食のときに、このワインを傾けてみたいと思う。標高3000mの窓越しに、暮れゆく雲上の槍ヶ岳を眺めながらの夕食は、さぞかし素敵なことだろう。

 
               大キレット越しに望む槍ヶ岳。2日目の登頂で眺めることが出来た。

 

 陽が射し込む暖かな食堂で、コーヒーを飲みながらくつろいでいると、ここの連泊者と和やかな会話することが出来た。ひとりでのんびり過ごしている年配の男性や、大学生の娘さんとお母さんの二人連れ。ともに小屋での食事と、3000mの頂で静かに流れる時間を楽しみに来ている人達だった。

 帰路には、2往復目で様子もわかっているので、果敢に尻セードを初体験。癖になる楽しさを味わってしまった。今日も午後はテントでゆっくり昼寝をして過ごした。

   5日目

 最終日の朝も快晴に明け、いよいよ下山の日を迎えた。テントの数もだいぶ減って、上部の雪面に取り付いている人の姿も、今朝はもう少ない。朝食後、ゆっくりテントを撤収し、4日間を遊びきった充実感のなかで帰路につく。
 広い涸沢圏谷から狭まった谷筋へ、他の下山者と一緒に吸い込まれるように下る。途中、何度も振り返っては、遠ざかってゆく穂高の雪稜を眺めた。ヒュッテに立つ鯉のぼりも次第に小さくなって行く。4日前ここを登って来たときに比べ、あちこちの斜面にデブリ(崩れた雪の跡)ができていた。
 本谷橋まで下り、モミの樹林の中でアイゼンを外し、横尾橋を渡ってからは梓川に沿って乾いた砂利の道を黙々と歩いた。G.W後半の観光客で賑やかな上高地に降り着いて、今回の春山雪遊び登山は無事に終了した。

 青空と雪に囲まれ、まさに別世界で過ごした5日間。雪上幕営は初めての経験だったが、天候にも恵まれ、雪の楽しさを充分に味わうことが出来た。
 とても刺激的な5日間だった。