今日はねぇ・・・

日々の暮らしの中の不思議と幸せ。。
  

番所亭

2017-10-28 06:50:45 | 日記

読谷村は歴史が濃いよね。
まだ、集落には名残(うがんじゅ)がたくさん残っているし。。
古い祈りも続いているのだろうね。
現在、読谷で仕事をいただいているので、どうしても拝所が多くて目にとまる。
村内では、新しいスポットや建造物もどんどん増えていく。
予算もあるだろうし・・

そう言えば・・喜納にある拝所から、霊人が出て来られ「背中に背負ったものはなにか」(通訳さんの話によるとそう言っているらしい)
リュックサックを珍しがって出てきたそうで、こちらの説明を聞いて帰られたことを思いだした。
通訳さんから、「重箱に入っている珍しいモノ(ウィンナーソーセイジ)に惹かれてでてきた方」もいたそうで、こういう楽しい話題は歓迎である。

だいぶ前の話ですが、何故そこへ行ったのか、私は説明すら聞いてなかった。忘れたのか。
過去世でその地にご縁でもあったのか。それでも治まらない、チムフガン自分がいた。
聖地や拝所を控えて何年なるだろうか。そういうケースではなかったようだ。
万能薬はありません。自然治癒が一番の近道です。



先日、喜納番所跡近くの番所亭で昼食を頂いた。
読谷名物の紅いも麺。
とりあえず、味見ということで。。

台風22号 我が家にはフルヤノモリが来ている














〈琉球文化アーカイブより〉 画像は探してみてね
喜納番所(きなばんじょ)は、読谷山(ゆんたんざ)間切の番所(=げんざいの役場)。読谷村喜納の国道58号沿いにあり、正門跡付近に「読谷山村道路元標」と刻まれた石標が残っている。
 当初は座喜味(ざきみ)にあったものが、のちに喜納に移されたといわれるが、移動の年代は不明である。1731(尚敬19)年に編集された『琉球国旧記』に喜納番所の記載があるので、それよりは古いと考えられている。1908(明治41)年には役場に改められ、戦前まで使用されたが、戦争で焼失し、戦後、波平に役場ができると放置された。1974(昭和49)年の国道工事によって東側が分断されている。
 1853(尚泰6)年に琉球を訪れたペリー艦隊の一行は、6月3日、沖縄島調査の際に喜納番所で休息していて、「番所に相当するクンクワ(公館)は石垣囲いにして、建物は瓦葺、部屋は畳敷きであった。庭には多くの真紅の花が咲いて石造の小鉢がおかれていた。」と『日本遠征記』(1856年)に記されている。
 また、北谷間切(ちゃたんまぎり)に向けて南西の方向にのびる宿道(しゅくみち)は、広くてよく踏みしめられ、道路に影を落とす二列の松並木が海岸と平行して植えられていると記している。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿