旧正月でした。
私が小さい頃は、旧正月の祝いが盛大だったと思います。
まるで、今の中国、韓国のようにね。
新旧、どちらも気を引き締め、新年(信念)で生きます。
さほど、お供えや物質的なことが気にならなくなりました。
きれいにお掃除して(不要なものは捨てる)、
窓をあけ、新鮮な空気(エネルギー)や
意識を自分の中に常に置くことで落ち着きます。
波の上宮に入る前の天気と参拝を終えて変える時の天気が数分で変わりました。
ここは余所より、落ち着きます。
しかし、中国、韓国の参拝者が多く、観光地の一つになってますね。
拝殿の横にゴザを敷くスペースが準備されています。
ウチナー方式で祈りをされる方々のために設けられています。
それをみている中国系、韓国系観光客は似ていると感じているでしょうね。
私もそれがフツーだと育ち(実家ではそういうことはしなかったけど
嫁ぎ先ではユタさんが沢山いた)その祈りの物質的なやり方から疑問を持ち
物より本質へ意識を向けることにしました。
どこで何をやっても、どこまでいく祈りなのか、どこに繋いでいる祈りなのか
それは本人が身をもって受けている、責任を伴いながら。。
今年一年、こちらを訪問いただきありがとうございました。
気まま、気まぐれで書いてますが、正直者でございます。
確信がないものは、曖昧に・・
あった事実はきっかけとして・・ご利用下さい。
さて、人気のあった最後の記事「読谷」ですが、
海がきれいなんですよ。癒やしの場所として大事にして下さい。
琉球に生きるか、沖縄に生きるか、時代を選ぶのも貴方次第です。
観光客で賑わうのも経済効果で嬉しいですが、沖縄県民よ、一番だいじなのは
祈ることですよ。
どこに?何を?
それは、あなたの仕事において、神の立場ならどう祈るのでしょうか。
神と言えば、いいのかな、エネルギーと言えばいいのかな、存在といえばいいのかな・・
観光だけではなく、聖地も訪れる人が多いらしいのですが、
果たして、歓迎されていつのでしょうか。
体調を崩されたり、あるいは、低級のものに御利益をいただいたと勘違いしていることを
未だに耳にすることも。
聖地には、そこの存在のものが、そこに存在する目的をもって在る。
らしい・・です。
むやみやたらに出向き、拝むものではない。
堂々めぐりをするな。
そこではなく、自分の中をみよ。
らしい・・です。
元旦の朝日と夜の満月
いいスタートとしましょう。
より良い年となりますように。。
読谷村は歴史が濃いよね。
まだ、集落には名残(うがんじゅ)がたくさん残っているし。。
古い祈りも続いているのだろうね。
現在、読谷で仕事をいただいているので、どうしても拝所が多くて目にとまる。
村内では、新しいスポットや建造物もどんどん増えていく。
予算もあるだろうし・・
そう言えば・・喜納にある拝所から、霊人が出て来られ「背中に背負ったものはなにか」(通訳さんの話によるとそう言っているらしい)
リュックサックを珍しがって出てきたそうで、こちらの説明を聞いて帰られたことを思いだした。
通訳さんから、「重箱に入っている珍しいモノ(ウィンナーソーセイジ)に惹かれてでてきた方」もいたそうで、こういう楽しい話題は歓迎である。
だいぶ前の話ですが、何故そこへ行ったのか、私は説明すら聞いてなかった。忘れたのか。
過去世でその地にご縁でもあったのか。それでも治まらない、チムフガン自分がいた。
聖地や拝所を控えて何年なるだろうか。そういうケースではなかったようだ。
万能薬はありません。自然治癒が一番の近道です。
先日、喜納番所跡近くの番所亭で昼食を頂いた。
読谷名物の紅いも麺。
とりあえず、味見ということで。。
台風22号 我が家にはフルヤノモリが来ている
〈琉球文化アーカイブより〉 画像は探してみてね
喜納番所(きなばんじょ)は、読谷山(ゆんたんざ)間切の番所(=げんざいの役場)。読谷村喜納の国道58号沿いにあり、正門跡付近に「読谷山村道路元標」と刻まれた石標が残っている。
当初は座喜味(ざきみ)にあったものが、のちに喜納に移されたといわれるが、移動の年代は不明である。1731(尚敬19)年に編集された『琉球国旧記』に喜納番所の記載があるので、それよりは古いと考えられている。1908(明治41)年には役場に改められ、戦前まで使用されたが、戦争で焼失し、戦後、波平に役場ができると放置された。1974(昭和49)年の国道工事によって東側が分断されている。
1853(尚泰6)年に琉球を訪れたペリー艦隊の一行は、6月3日、沖縄島調査の際に喜納番所で休息していて、「番所に相当するクンクワ(公館)は石垣囲いにして、建物は瓦葺、部屋は畳敷きであった。庭には多くの真紅の花が咲いて石造の小鉢がおかれていた。」と『日本遠征記』(1856年)に記されている。
また、北谷間切(ちゃたんまぎり)に向けて南西の方向にのびる宿道(しゅくみち)は、広くてよく踏みしめられ、道路に影を落とす二列の松並木が海岸と平行して植えられていると記している。
行ってきました、沖縄市の東南植物楽園。
ランチのみだと入園料はでません。
痩身ランチなのに、満腹いただきました(>o<)
「酢」と「発酵」の沖縄素材の料理は美味しかった~
お気に入りは以下の通り。
土、日曜日の早朝開催の台湾朝食ってなんだろう。入場料半額セットとなっているけど?
次回のお楽しみにしましょう。
ガラス越しにみえる水上楽園のハスたち。
早朝に満開に咲く、幻想の景色はみることができるかな。
観ることができたのは、玄関で迎えてくれたハスだけ・・
入園料とランチ代をしっかり持って、観覧しましょうねぇ
東村へ行ってきました。
「東村文化・スポーツ記念館」
幼い頃からの藍ちゃんとファミリーが画像や動画で見られます。
芯の強い子だったのね、小さい時から。。
記念のトロフィー、ゴルフグッズの展示も。
館内は写真撮影禁止なのでご注意を!
村内をゆっくり観光してね。
東村公式旅券にも、見所、食べ処満載です。
北の辺土岬まで廻るのも良し。
(沖縄北部でどーして東村?村名の由来は?)
辺土の北国小学校の名前も沖縄らしくない校名かな
一昨日、これを頂いた時、思わず笑っちゃいました(^0^)
縄文から女神が来たのね~
しかも、紫色で包まれている。
さらに、「米」・・
山形産なのね、私は前日に山形産のあるモノを注文したばかり。
ありがとうございます。お裾分けでした。
山の次は「海」がくるのか~(^0^)
還付金決定だそうです。
払いすぎじゃないかと、問い合わせて良かった。
それと引き換えが車です。
買い換えよということなのですね。
長年、主人の足となって・・10数年Love4
8月で引退と思ってました。
先日の故障も何かうまく行き過ぎ~って感じてた。
主人の車が故障し、迎えに行き、レッカー手配か修理工場かと迷っていた。
どちらにしても、時間かかるとのことで、那覇市内でランチをしながら時間を潰すことに。。
初めてお会いする店主にコトの成り行きを話すと、
「調べてあげます」とスマホであちこち当たってくれ、アドバイスまで・・
いや~もう、感激なの!
助かりました。ありがとうございます。その安い料金にも感謝なのです。
また、良いご縁で新しい車につなげられますように・・感謝
先日の確定申告受付番号555。
あれこれ「申告」を済ませた。
22万円ほど、還付金?が戻ってくるそうな。。知らなかった。想定外。
調べてからって言ったって、調べるものは何もないよ。
何もない人を調べるのは無駄じゃないのかい。
昨年の話題で、ヒーラー、ユタ、神んちゅも申告せよ。。だって。
税務署で訴えた人がいたんだって。
「ユタってなんですか」と係から職種を聞かれたとか。
聞いた方は多分県外の方なんでしょうね。
でも、それって、自己申告なので、すべて自己責任、自己回帰でしょ?
それをした「あなた」はどこにいったのでしょうか
あなたに跳ね返ったのではないですか?
マルサの神女が動いているかもね。
気になっていた「本部牧場」行ってみました。
いや~観光客が多くて、県民の皆様はどこいったのでしょう。
県民還元祭も宜しくお願いします。イベントがあれば行きますよ~
次回はここ、「ナカマソウ」に行きます(行きたい)
ホテルランチより、高いという評判ですが。。
帰りのおやつは「恩納村道の駅」
かき氷の女王様のぜんざいにしました。
お隣のサーターアンダギー(コーヒー味)と一緒にね!
北部ドライブは西側(恩納村)を通って、遠くは辺戸岬あたりを廻り、東側から戻ってきます。
西と東の海は、なんか違うのよね。
ゴミなど捨てずに、一人ひとりの意識がかわれば、もっと違うエネルギーを出すにちがいない。
どこそこのパワースポットより、それが一番なんだって・・
青く写った部分はどういう事なんでしょう。
参拝にいきましたが、そこにはそんな色はありません。
示すものは?
最後に訪れたのは一昨年?その時もこんな水色でしたね。
確認したくて、撮りました。御免なさい。
でも、まるで気配が違う。
洞窟や聖地でのパフォーマンスが多くて、迷惑だそうで・・
○○ワークと称して聖地ビジネスは困るって・・
管理人が居ない聖地の汚れ、ゴミ、ウチナーンチュはそこからだよ。
あなたの中の神聖から磨いていくことなんだなぁ。どこと繋がっているの?
ふと、思い出した・・・
求め始めた頃、ネットで同じような連中がやり取りしていた。
あれから10年?
Mブロガーの「チヂメーからこの人に注意。とはあったけど、まさか、自分の記事がパクられて
“この人”のブログとして再公開されていようとは!」と嘆きの記事で終わってしまった。
そのMさんは、私の無知さに気を遣ってくれるほど、丁寧に扱ってくれる優しくて
ユーモアがあって、同じ気を感じた素敵な人だった。お会いしたことはないですが・・
パクってまで、他人の記事を自分のものとしてブログ公開する怖さを感じたけど、
何故なの?その行為って?
拡散希望、リンクフリーとあれば別だけど。
そのMブログに集まる人の中には、私が鑑定依頼した方もいたけど、その方は私に知らんぷりを通し続けた。
(その方曰く、私の師匠はHさん。しかし、私でもおかしいと睨んだHさんだった。
可哀想な自称鑑定士。現在、表の姿は見えないけど、水面下での活動募金運動はあるのでしょう)
ブロガー同士のたたき合い、パクリ疑惑、ビジネス合戦・・巷のブログが荒れている。
ある方の指摘がバツグンに良かった。
叩かれる前に退散して、他のブログに移り、ビジネス友達商法、コラボ商法。
脅迫、傷のなめあい・・ブログからでる文字は綺麗に正当化されている。
信じる、信じないは金次第なのです。
「金」に絡む話から、おかしいと気付く私。
分け前をくれるからとか、一緒にとか、そういうことは一切嫌なんです。
その導きではない!!安い、高いの問題でもない!!
「沖縄」を舞台に金儲けではないよ。
痛い目に遭わないと気付かない私は、もうミスリードは懲り懲りと
好きなブログ(画面を開いて波動を感じる)をみて
楽しんでいる。それだけ。。
学んだことは、「心」の在り方だったんだね。
色々な場面をみせてくれて感謝します。
意識・・・そこに在る