パナソニックの休部を聞いた時は、覚悟していたこととはいえ、
涙せずにはいられなかった。
企業チームの撤退は、ボッシュと、いすゞ自動車で最後にならなかった。
あれから11年を経てもなお、繰り返されてしまった悲しみ。
次に思ったのは、選手たちはどうするのかということだった。
継承される「和歌山トライアンズ」に残るのか、他チームへ移籍するのか。
いすゞ自動車は、クラブチーム「横浜ギガキャッツ」として存続を図った。
天皇杯でOSGフェニックス(現bj浜松東三河)を破って
ベスト8入りという快挙を成し遂げたもののその後解散、
一部の選手で再出発したチームも、現在は活動停止に陥っているという。
また、プロチームとしてJBLに新規参入したチームのうち、
参入当初のまま残っているのはリンク栃木のみ。
bjへ移った新潟アルビレックス、撤退を余儀なくされた福岡ファルコンズ、
レラカムイ北海道は折茂選手の決断により、レバンガ北海道として存続することができた。
和歌山はいったいどのような道を歩むのか。
不安視する中、中堅の主力選手の移籍が次々と発表される。
だが、もたらされた吉報の喜びと期待が、不安を上回った。
日本代表監督として日本のバスケ、選手育成にひとかたならぬ力を尽くし、
ファンの間では今なお人気の高いジェリコ・パブリセビッチ氏のHC就任。
日本人選手きってのスコアラー、川村の加入。
実力のあるベテラン・中堅選手の残留・加入と併せ、
シーズンを戦える陣容が整った。
だが、「トライアンズ」という名のチームの継承という点に焦点を絞った時。
それはやはり、永山・青野・木下の残留ゆえに成し得たものだと
思わずにいられない。
第1回日本リーグの優勝チーム。以来第40回まで(35回からはJBLスーパーリーグ)
最多13回の優勝を誇る、日本バスケットボール界の名門・松下電器。
その名前を冠した「松下電器パナソニックスーパーカンガルーズ」の時代から
チームに在籍している永山・青野・木下。
彼らがいたからこそ、「松下電器パナソニックスーパーカンガルーズ」から
「パナソニックトライアンズ」を経て「和歌山トライアンズ」へ継承される図式が
成り立ったのだと思う。
永山35歳、青野34歳、木下33歳。
パナソニックでのラストシーズンを終えた時、この年齢だった彼らには、
引退という選択肢もあったはずだ。
20年前なら、旧日本リーグの社員選手だったら、間違いなくそうしただろう。
だが、彼らは残った。
そして、パナソニック時代には届かなかったファイナルまで辿りついた。