Harmonia

こころとからだのバランスを・・・yoga&color&more・・・

自己流療法

2006-10-28 23:13:03 | 日記

今月はスポーツの話しか書いてないので、たまには別の話を。 

火曜の朝、首筋を寝違えまして。 といっても、朝起きたときは、ちょっと違和感あるかな?ぐらいで、職場でも何ともなかったのですが。

一旦帰宅し、ピアノのレッスンに出掛けた時。

その夜は雨降りで寒かったからでしょうか。 急に首筋がズキズキとうずきだし、動かなくても強い痛みを感じる状態になってしまったのです。 それでも支障なくピアノは弾けましたが。

今まで経験したことのない痛み方だったので、これはまずいと。 とりあえずその日はトクホン貼って寝ました。 が。

朝起きても痛みは引かず。 悩んだ末、トクホン張り替えて出社しました。 それなのに。

首の痛みを感じなかったのは、薬で感覚が麻痺したからでしょうか。 午後に入るととんでもない頭痛に襲われまして。 脳が締め付けられて跳び跳ねてるんじゃないかって感じ。 内心かなり悶えてました。正直仕事どころじゃなかった。

これはホントに寝違えただけなのか?実は筋を痛めたとか傷付けたとか、別の病気なんじゃないか? そこまで真面目に考えました。

とりあえずトクホンは効かないと分かったので、じゃあどうしようか。 そこで私が頼るのがアロマなわけです。

あいにくローズマリー(肩凝り・筋肉痛に有効)を切らしていたので、ラベンダー(リンパの流れを促進)とマジョラム(神経鎮静)でマッサージをしようと。

ベースのホホバオイルに1滴ずつ…と思ったら、ラベンダーが3滴ほど一気に滴り落ち。 希釈濃度1%(日本アロマ環境協会推奨)を軽くオーバー。 でもラベンダーは直接肌につけてもOKだし(但し綿棒に垂らしてニキビにつける程度)、いっかあ(原則、刺激が強いので肌につけるときは必ず薄める)。 …ほんとはいけません。

そのオイルで、左右の首筋と肩、さらに左腕左足までマッサージして一夜明けると。

痛みが軽くなってるんですね、これが。 薬いらなくね?みたいな。

余ったオイルはその晩も使い、翌日ほぼ回復。 アロマの力を改めて実感したのでした。

それにしても、ただ寝違えただけであれほどの激痛に襲われるとは…。寝違え防止策って、何かあるんでしょうか?もうこりごりです。


おめでとう日ハム

2006-10-26 23:23:28 | スポーツ

世界中のあらゆるジャンルのスポーツを見ても、これほど幸せな選手生活を送った選手はいないんじゃないだろうか。

先程44年ぶりの日本一を決めた、北海道日本ハムファイターズの新庄剛志選手のことです。

西日本短大付属高校で甲子園出て、阪神入団して、大リーグ行って4番打って、最後は公約通り札幌ドームを満席にした上で日本一を達成して引退。

なんか話が出来過ぎてますよね~。

出来過ぎだけど、現実ですからね~。

もちろん新庄選手が努力を重ねたからこその結果なのですが。

それにしてもみごとな競技人生は讃えられるべきもの。拍手です。

中日は、札幌ドームの観衆に負けた感じですね。

TVで見ると、9対90000(密室空間で音声が反響して、倍以上に感じられるだろうから)くらいの雰囲気。あんなところで投げるピッチャーは、相当プレッシャーでしょう。川上憲伸といえど、あれは辛い。

だったらナゴヤドームで連勝しておけば良かったんだろうけど、ホームでしか勝てない内弁慶で日本一になっても、何だかなあって感じ。

きちんとアウェイでひとつ勝った日ハムは、やはり力があったということなんでしょう。

心情的にはやや中日寄りだったけど、日ハムでもよかったので、そういう意味では気楽な日本シリーズでした。

やっぱり選手会長の金子くんですかね。金子誠くん。

彼が常総学院高校2年で甲子園に出たときから気にしていたので、今回日本一になったということはちょっと感慨深いです。

当時まだ甲子園優勝を果たせないでいた常総学院において、彼の代こそ最も優勝旗に近いと言われながら、しかし最後の夏ベスト4で敗れてしまった。

そういえば常総のあの代は、結構いい選手がいたのに、プロ入りして活躍しているのは結局金子くんだけ。高校当時は3番だった彼より、4番を打っていた根本くんの方が評価されていたみたいだったけど。

でもプロ入りして2年目で新人王獲得、レギュラー定着、今では日ハムの選手会長。やっぱり相当努力したんでしょう。

それにしても、今日の同点スクイズはびっくりしました。今シリーズでは結構勝負強いところも見せてくれたので、ちょっと懐かしかったです。

ダルビッシュにしても東北高では果たせなかった日本一を達成したわけだし。

日ハムの方が、より日本一に対する気持ちが強かったのかなとも思います。

最後にもうひとつ、新庄ネタ。

リーグ優勝後、彼は大勢の人たちへ支えてくれることへの感謝の言葉を述べました。

その中で、試合を運営する裏方さん――照明等の設備担当だったり球場内の清掃係だったり、売店の販売員等も含めて、この空間に関わるすべての人へも言及していました。

目に見える選手や審判だけでない、見えないところで運営を支えている人がいるということ。

スポーツ選手は競技に意識が偏って、あまりそういう裏方を意識している人は少ないのですが、その存在を心に留め、彼らの責任の重要さを理解しているスター選手がいるということが、嬉しかったです。


私が彼を選んだ理由

2006-10-25 00:02:47 | F1

結局、15年間ミヒャエル・シューマッハを応援していた。

同時代には、ミカ・ハッキネンやジャック・ヴィルヌーヴといった個性的で魅力あるドライバーもいた。彼らのことも好きだった。

だが、チャンピオン争いが絡んできた時、私が選ぶのは必ずミヒャエルだった。

最後に勝っていてほしいと思うのは、ミヒャエル・シューマッハただひとりだった。

挑戦の連続だった彼のF1人生。彼の挑戦する姿が好きだった。

91年、ジョーダンからの衝撃的デビュー。ベネトンへの電撃移籍。F1への挑戦の始まり。

92年、戦闘力の劣るベネトンで、マンセル&パトレーゼのウィリアムズとセナ&ベルガーのマクラーレンに挑んだ。走行妨害をしたとセナに殴られそうになったこともあった。デビューから1年で飾った初優勝。セナを抑えて選手権3位。未来のチャンピオンドライバーとしての才能を見せ付けた。

93年も1勝、来るべき時代が彼のものであることは誰もが認めていた。

そして94年・95年と2年連続でベネトンでワールドチャンピオンを獲得する。

そのベネトンを捨て、96年当時どん底にあった名門・フェラーリへ移籍。

97年にはチャンピオン争いを演じるも、ヘレスで開催された最終戦ヨーロッパGPで、ジャック・ヴィルヌーヴのウィリアムズに故意にぶつかったとして選手権成績を抹消される。

98年からの3年間は、ミカ・ハッキネンとの闘いだった。

レース中に骨折して2ヵ月半戦列を離れた99年。ミカ・ハッキネンが2年連続のワールドチャンピオン獲得。

そして2000年、遂にフェラーリで戴冠の時を迎える。

栄光を極めたF1人生。7度のワールドチャンピオン、通算91勝、68PP。

16年250戦走り続けて重ねた数字は、後世まで残る。おそらく誰も塗り替えることはかなわないだろう。

しかし、彼の挑戦はそれだけではなかった。

1994年5月1日イモラ。

超えるべき存在を目の前で失った。この瞬間から引退レースとなった2006年10月22日まで、彼の孤独な挑戦が続いたのではないか。

2001年にミカ・ハッキネンが引退すると、F1は彼の独壇場となる。

いったい誰が彼に対抗しうるのか。次代のドライバーたちの台頭はまだか。

そんな周囲を尻目に彼は勝ち星を重ねた。

実際、走れば勝てるのだから楽しかっただろう。しかしライバル不在の状態で、彼が記録だけを目標としてモチベーションを高く保ち続けられたとは思えない。

やはりその視線の先には、超えるべき存在があったと見るのが妥当ではないか。

そんなミヒャエル・シューマッハの最後の挑戦は、8度目の王座に就くことではなかった。

新世代のドライバーたちと、時を刻むこと。

かつて自らがピケやパトレーゼ、マンセル、ベルガーといった前世代の名手から教えられたように、次世代のドライバーたちに生の歴史を刻み込むこと。

彼はそれを、遂行した。

夢を掴むこと、困難に挑戦して成功すること、そのための強い意志と努力を継続すること。そして次代へ伝えること。

人間の持つ可能性を、ミヒャエル・シューマッハはレースを通して見事に体現してみせたといえよう。


エンディング

2006-10-23 05:19:27 | F1

ある意味、これでよかったのかもしれない。

タイトル奪回はならなかったけど。

最後尾に落ちたことで、ほとんどのドライバーとレースをすることができた。だから。

やはりあの瞬間、時代は変わったのだ。FW16がタンブレロのウォールに衝突した瞬間と同様、鈴鹿で248F1のエンジンが煙を噴いた瞬間、F1は次の世代へと引き継がれた。

そして、ミヒャエル・シューマッハに与えられた役割も変わった。

ミカ・ハッキネンの引退後、ミヒャエル・シューマッハは唯一の絶対的王者としてF1に君臨してきた。

それは裏を返せば他に有力なドライバーがいなかったからでもあり、F1自体が彼にそうあることを求めたとも言える。

だが、2000年以降にF1デビューした才能ある若手ドライバーが経験を積み、戦闘力のあるマシンを手にした今、ミヒャエル・シューマッハが絶対王者である必要はなくなった。

ミヒャエル・シューマッハに頼らずとも、F1はやっていけるようになった。

当然ミヒャエル・シューマッハの役割も変わる。

次世代へ、引き継ぐこと。

その象徴がフェリペ・マッサだ。24歳の青年は、ミヒャエルと1年間同じチームで過ごすことで大きく成長した。

地上波で脇坂氏がコメントしていたが、確かに今日のミヒャエルの走りは、昔の走りだった。かつてベネトンでカーナンバー19あるいは5をつけて走っていた頃のような、アグレッシブな走り。失うものは何もなく、ただ、前だけを見て挑戦し続けていた頃の走り。

最後に、原点に戻った。

だけどもし、ミヒャエルのマシンに何のトラブルも起こらなかったら。

タイトルの行方はどうなっていたのだろう。

しかしそれを論じるのは、あの日イモラで事故が起きなかったら、と言うのに等しい。

そういった、アクシデントやトラブルも、すべてひっくるめての上でのレースなのだから。

その先に待っていたのは栄光ではなかった。

でも、非常に穏やかな終わり方だった。

それこそ、ミヒャエル・シューマッハという人間の本質を表しているのかもしれない。


ブッキング

2006-10-23 01:00:27 | バスケットボール(青学バスケ部)

正直、今年はそんなにリーグ戦を見られないと思っていたし、行くつもりもなかったのですが。

結局最後の2週間は、連日青学の応援でした。

結果だけ見れば、日大・東海に都合4連敗。敗戦しか見ていないことになりますが、その中身は序~中盤の勝ち試合よりもよかったと思います。

負けたけど、いいプレイしていたから、翌日も観に行こうと思ったのが本当のところ。見ていて楽しいし、これだけできるんだから、明日は勝てるって思う。

何だかんだ言っても、そこで青学を優先させてしまう私は、やっぱり好きなんですね。

最終週、宿敵・東海との1戦で、青学はようやくチームとして機能し始めました。

チームを引っ張っているのは岡田・正中の4年生Gコンビだけど、広瀬・熊谷がひとり立ちして機能し始めたこと。荒尾の得点能力が上がったこと。全体的なバランスが取れてきたと思います。

この状態でリーグの開幕を迎えることができたら、東海と当たるまではどこにも負けなかったかもしれない。そう思うともったいないですが、インカレには最高の状態で望めるのではないかと期待が高まります。

特に広瀬くん。最終週で突然大化け。びっくりびっくり。

2年半培ってきたすべてを、自分の中で消化・凝縮・融合し、全体がバランスよく大幅レベルアップした感じ。

オフェンスも自分で強引に持って行ったり、外から打ったり、ディフェンスもかなりしぶとくなって、荒尾くんの負担を軽減したり。

これぐらいのレベルには絶対なると思っていましたが、実際見ると、いい選手になってきたなあと感嘆するばかり。

ここまで来たら、「頑張れキャンペーン」は終わりでいいかなと。

でもこのレベルで終わってほしくないので、応援キャンペーン第2弾で「上を目指せキャンペーン」でもやろうかなと(笑)

「上」。・・・日本代表?いきなりそれは飛躍しすぎ^-^;

とりあえずは学生代表(B代表)。そしてゆくゆくはA代表・・・実際A代表入ろうと思ったら、彼のサイズだと2番できないと今は難しいかな。

まあ、代表を目指すと言うより、現状に満足せず、より上を目指して頑張ってもらいたいです。何せ彼の傍には、岡田・正中という強い向上心とストイックな精神を持ついいお手本がふたりもいるのですから。

 

最終週、会場が青学ということもあり、最近のOBも何人か観戦に来ていました。コートサイド席から後輩に声援を送るだけでなく、ディフェンスの指示出してたりして。せっかくだから試合出てくれないかな~なんて思ってたんですけど(笑)

 

でも今日は、バレエ公演抜け出して観に行った甲斐があったと思います。

1Qのラスト、飛び出した岡田くんのスーパーブザービーター。ハーフラインの手前のコーナーから、方向を確かめてワンハンドスロー。難しい位置だったにも関わらず、見事ボールはリングの中へ。ホームゲームということもあり、会場は沸いた沸いた。さすが岡田優介。

今日はおとなしく観てるつもりだったんですけど、気がついたら「岡田、やり返せ!」なんて叫んでたし^-;

東海相手だと、応援する側でもやっぱり燃えます。

その因縁の対決も、いよいよインカレが最後。絶対最後は勝って、優勝してほしいのですが。

青学‐東海がインカレで当たるとしたら、おそらく土曜の準決勝。

そしてその日私は。

ミュージカル「RENT」の東京公演楽日のチケットを取っているのです!

試合時間は公演時間ともろに重なります。

・・・どうしよう。

・・・

・・・

とりあえず、正式にインカレの組み合わせが発表されてから考えます・・・

そして来年は、何かのチケットを取る時は、絶対青学の試合と重ならないようにします・・・