こんなたいそうなお題目をつけたけど、
ほんとに書きたかったのは長谷川先生のこと、それも私個人の思いなのだが。
長谷川先生のことはいつも観客席から見ているだけで
一度も間近くでお目にかかったことはないが、指導者としてかねてより尊敬している。
ゆえに代表監督就任は素直に嬉しく思った。
その長谷川先生が代表監督を務めていくに当たり、私が注視していることがある。
それは、指導者であると同時に教育者でもあった長谷川先生が、
どのように代表チームを作っていくかということだ。
今でこそ、青山学院大学バスケットボール部は、
東海大学と共に男子学生バスケ界の頂点に並び立つ。
だがここに至るまでの年月は決して短くはない。
2000年に初の三冠獲得。その栄光から一転、2002年のリーグで二部へ降格する。
このとき目先の勝利を求めるのであれば、
長谷川先生自身が「本当の天才」と評した佐藤託矢のワンマンチームにすることもできた。
しかし長谷川先生を中心としたスタッフは、確固たる信念を持ってチームを、
青学のバスケを作り上げていった。
2004年のリーグで一部復帰、2005年一部リーグ優勝。
しかしインカレ優勝は2007年まで待たねばならず、
再び三冠を獲得するのは2010年になる。
この間、長谷川先生は多くの名言を残している。
「バスケットの目標は優勝することだけど、
バスケットをしている目的があるとしたら、それは勝つことではなく、
いかに人間が成長するために努力をするかや、
チーム・組織として団結するかといったことだと思う。」
「過去のチームを見ても3本の指に入るチーム」が
2005年インカレ決勝で敗れた後そう語り、
「そういう意味では、目標は達成できなかったけど、目的は達成できたと思う。」
と労った。
チーム・組織としての一体感を醸造するため
「チームという言葉は、”Together””Everybody””Achieve””More”という
4つの英単語でできている」と説き、
「大学スポーツとは伝統の継承。伝統を継承し成長させて、
それをコートで表現することがひとつのテーマ。」と語る。
また「スポーツはルールの中での闘争」と言い、
気持ちの入っていないプレイを見せた選手について
「人間対人間でやってるんだから、守ってやるという気持ちが
相手に伝わらないといけない。そういう気魄がスポーツには大事。」と苦言を呈す。
ゆえに技術以外の心のあり方の重要性を繰り返し説いていた。
「心が疲れたらどんなに体力があってもだめ。
そんなに簡単に体力ががくんと落ちるわけない。心で疲れたと思うから体が動かない。」
「人間は、心があって初めて、いいプレイが生まれたり運が転がり込む。」
「頑張るというのは、もうだめだっていうところからが頑張り。
疲れていたって気持ちが疲れていなければ体力はそんなに落ちない。
もうダメだと思ったところでそこからもう一度頑張れるのがスポーツの一番の強み。
それが生きていく上でも大切なところ。」
いずれの言葉も青学バスケ部公式HPやメディアのインタビューに対する答えだが、
これらの言葉からは、社会に出る前の学生を預かっているという思い、
自身がバスケットボールの指導者であると同時に教育者でもあるという
長谷川先生の思いを感じた。
指導者としての理論。教育者として学生に向ける愛情。そして信念。
それらが、青学大を黄金期へ導いた長谷川先生の手腕の根幹をなしていた。
競技のジャンルは全く違うが、学生・生徒の指導者として大切なことを、私は
長谷川先生から教わった。
長谷川先生の言葉を念頭に、細々ながらも部活動に携わり、重ねた連覇の数は6。
生徒が代々繋いできた夢は、まだ続いている。
さて、一方で長谷川先生は、日本のバスケ全体についても考えていた。
大学バスケから日本のバスケを盛り上げたい、日本のバスケの強化につなげたいと、
折に触れて口にしていた。
オールジャパンでJBL/NBLに勝つチーム作りを掲げていたのもその一環だろう。
今の20~30代の選手のほとんどは、
大学バスケを通じて長谷川先生がよく知っているメンバーである。
青学のみならず、強化合宿や選抜・代表チームで指導した選手も少なくない。
そんな長谷川先生にとって、代表監督の地位がどのような意味を、重みを持つか。
未来につなげるための指導を施した学生たちではない。
日本のトッププレイヤーに成長した彼らは、世界と戦わなければならない。
そんな選手たちと、長谷川先生は今度は純粋に指導者・監督として向かい合い、
チームを築いていくことになる
どのように代表チームの礎を築き、次代へ継承させていくか。
果たして協会は全面的に協力してくれるのか。
人生最大とも言える挑戦を始める長谷川先生の成功を、心から祈っている。