Harmonia

こころとからだのバランスを・・・yoga&color&more・・・

終わらない想い

2016-09-22 23:25:49 | バスケットボール
近い将来、男子バスケが自力でオリンピック出場を決める日が来たとしても、
私は絶対に協会を許さない。

10年前に代々木第二体育館で描いた夢。
彼らが28歳前後で迎えるロンドン五輪での悲願成就を夢見ていた。

現実はオリンピック出場どころか国際試合出場停止。
協会の主導する日本のバスケットボールに絶望した。

上層部の顔触れが変わり、プロ化が決まったところで受け入れられるわけがない。
本当にバスケを愛しているとは思えない人々が
ビジネスライクにやっているだけにしか思えないから。
だいたい名前からしてJリーグの二番煎じだ。

そんなもの、観に行くつもりなんてなかった。
なのに。

いつも私を突き動かすのは、彼らなのだ。


たまたま立ち寄った書店で見つけたBリーグの雑誌。
どこに誰が移籍してどういうメンバーでチームを組むのか。
閉店間際の書店で、ざっとページをめくった。

そして酒井泰滋の引退に辿り着いたときの衝撃。
学生時代からその背中でチームを引っ張ってきた闘将。
あの姿をもう見られないのかと、見届けなかった後悔の大きさに、愕然とした。

彼らもすでに30歳を超えた。
もういつ引退してもおかしくないのだ。

あれほど愛した彼らの最後を見届けなくていいのか。
例え今何を思うことがなくとも、このまま訣別して後悔しないと言い切れるか。


日本のバスケットボールを盛り上げたい。
リーグが分かたれている間も、それは彼らが等しく願っていたこと。
そのためにオリンピック出場を目指し、
そのために国内リーグのレベル向上に努め、あるいは海外へ挑み、
SNSでの情報発信、選手会の結成、クリニックなどの普及活動も行ってきた。

統一プロリーグもまた、彼らの願いの同一線上にあったこと。
協会への怨みは決して消えないけど、それがどのような形であれ、
願い叶った舞台でプレイする彼らの姿を見たいと思った。


10年以上前に関東大学リーグでプレイしていた何人もの選手を
今なお現役で見られる。
それはとてつもなく幸福なことではないか。

あの頃と見せるプレイは違うだろう。
それは当然のこと。
それぞれが歩んだ道、重ねた想いによって辿りついた今の姿、
今の想いを見に行く。
そしてまた、続いていく。

2016年9月22日 B League 開幕――

干支一周分

2015-10-17 22:02:17 | バスケットボール
突然、学生バスケが見たくなった。
ちょうど空いていた週末、対戦カード・会場・現在の順位のみ確認して観戦へ。

会場は、慶應日吉の記念館。
この会場に来たのは11年前に1度だけ。
10月の3連休、たまたま1部と2部の開催日がずれていたので、
たった1日だけ1部を見に来ることができた日。

順位を確認した時、拓大が暫定1位、次いで東海、
筑波が3敗しているのも専修が4位につけているのも意外だった。

会場に来て、星取表を見て、改めて驚く。
今年の1部10校のうち6校が、11年前は2部だったのだから。

青学・東海・拓殖が2部で壮絶な戦いを繰り広げたあの年。
明治はその3強に割って入らんと虎視眈々と狙っていたものの、
国士舘・白鴎は現在の3部に相当する2部Bでしかなかった。

そして当時1部だった他の4校、筑波・法政・慶應・専修のうち、
この11年間1部を守り通したのは専修1校のみ。
もっとも、1部校が8校から10校に増えたことで救われた年もあったようだけど、それでも。
日大・日体大という名門校ですら軒並み2部落ちする中、
10年以上、専修ただ1校が1部を守り抜いてきた。
その価値、その重み。

その専修の、佐々木優一監督。
11年前の、専修のキャプテン。
「金色のユニフォーム」、憎らしいほどにゴール下の強さは圧巻。
試合前のアップから観衆を惹きつけたハイパフォーマンス。
個性豊かなチームメイトたちが繰り広げた華やかな専修Show Basket。
それを裏でまとめたのが彼だった。
あの時届かなかったインカレ優勝を、彼が掴む日は来るのか。

その年にリーグそしてインカレで専修を破って頂点に立ったのが慶應。
会場内に掲げられている、創部以来のチャンピオンフラッグの中に、
その2枚も含まれている。

同じ年、筑波は東海に敗れて2部降格の憂き目に遭う。
悪くはないが、インサイドの高さがないハンデに加え、
一度止まるとリズムを取り戻せずずるずるといってしまうチームだった。

あれから11年。
筑波は1部復帰し、昨年は61年ぶりにインカレも制した。

あのとき吉田さんがやりたかったこと、
でも当時のチームではできなかったことができているのが、今の筑波なのかもしれない。

どちらかというと安定型、だから爆発力はない。
だけどやるべきことをきちんとやってミスをしないから負けない。
学生らしく、手堅いバスケ。

そういえば吉田さんが筑波に関わり始めたのは12年くらい前ではなかったか。
HCのやり方がチーム全体に浸透し、そして目指すところに辿りつくまでに
干支一周分かかった。

青学だって、2000年に3冠を達成したとはいえ、真に最強を極めるまで、
長谷川先生が97年に復帰してから数えたらそれぐらいかかっている。

毎年選手が入れ替わる中、ひとつのことが形になって極まるまでに要する時間。

それはバスケだけ、チーム作りだけに限らない。
人間が、何事かを成そうと思ったときに要する時間。
あるいはそれに匹敵する濃度・密度。

そうして築かれた時代。

してみると、関東大学バスケはいま、時代の転換点にあるのかもしれない。
そう思わせる要素は複数散見される。

再び立ち会うべきか。

それだけの価値があるプレイを見せてもらいたい。
それは、ひいては日本のバスケットボールの未来へつながるのだから。


【NBL】「トライアンズ」(序)

2014-05-27 22:02:50 | バスケットボール

 

パナソニックの休部を聞いた時は、覚悟していたこととはいえ、
涙せずにはいられなかった。
企業チームの撤退は、ボッシュと、いすゞ自動車で最後にならなかった。
あれから11年を経てもなお、繰り返されてしまった悲しみ。

 

次に思ったのは、選手たちはどうするのかということだった。
継承される「和歌山トライアンズ」に残るのか、他チームへ移籍するのか。

 

いすゞ自動車は、クラブチーム「横浜ギガキャッツ」として存続を図った。
天皇杯でOSGフェニックス(現bj浜松東三河)を破って
ベスト8入りという快挙を成し遂げたもののその後解散、

一部の選手で再出発したチームも、現在は活動停止に陥っているという。

また、プロチームとしてJBLに新規参入したチームのうち、
参入当初のまま残っているのはリンク栃木のみ。
bj
へ移った新潟アルビレックス、撤退を余儀なくされた福岡ファルコンズ、
レラカムイ北海道は折茂選手の決断により、レバンガ北海道として存続することができた。
和歌山はいったいどのような道を歩むのか。

  

不安視する中、中堅の主力選手の移籍が次々と発表される。
だが、もたらされた吉報の喜びと期待が、不安を上回った。

日本代表監督として日本のバスケ、選手育成にひとかたならぬ力を尽くし、
ファンの間では今なお人気の高いジェリコ・パブリセビッチ氏のHC就任。
日本人選手きってのスコアラー、川村の加入。
実力のあるベテラン・中堅選手の残留・加入と併せ、
シーズンを戦える陣容が整った。

 

だが、「トライアンズ」という名のチームの継承という点に焦点を絞った時。
それはやはり、永山・青野・木下の残留ゆえに成し得たものだと
思わずにいられない。

 

1回日本リーグの優勝チーム。以来第40回まで(35回からはJBLスーパーリーグ)
最多13回の優勝を誇る、日本バスケットボール界の名門・松下電器。
その名前を冠した「松下電器パナソニックスーパーカンガルーズ」の時代から
チームに在籍している永山・青野・木下。
彼らがいたからこそ、「松下電器パナソニックスーパーカンガルーズ」から
「パナソニックトライアンズ」を経て「和歌山トライアンズ」へ継承される図式が
成り立ったのだと思う。

 

永山35歳、青野34歳、木下33歳。

パナソニックでのラストシーズンを終えた時、この年齢だった彼らには、
引退という選択肢もあったはずだ。
20
年前なら、旧日本リーグの社員選手だったら、間違いなくそうしただろう。
だが、彼らは残った。

そして、パナソニック時代には届かなかったファイナルまで辿りついた。


【NBL】ファイナル私見 ~ 短期決戦の流れ

2014-05-24 23:09:54 | バスケットボール

 

短期決戦には流れがある。

 

長いレギュラーシーズンとは別の、数日間の勝負における流れ。
チームとしての流れ。カードとしての流れ。
前者はセミファイナル・ファイナルと続くが、後者はそれが別個になる。

 

このファイナルではその流れを見たかったので、
最初から最後まで全部観に行くつもりだったのだが、
都合で第3戦以降からしか観に行けなくなった。
そして今日の第3戦が、プレイオフの最終戦となった。

 

 

1戦・第2戦はまったく観ていないので、記事や記録からの推測になる。
1戦は東芝が勝った。
しかし1勝したことで東芝が流れを引き寄せたというより、
#3
パーカーの負傷により、流れが和歌山から遠ざかったというのが
近いような気がする。


2戦も東芝が勝った。
ラスト7秒、和歌山#1木下が沈めた執念の同点3Pシュート。
遠ざかりかけた流れを、和歌山が引き戻したかに思えた。
それを、東芝#7篠山のブザービーターが奪い取った。

 

 

1日空けての第3戦。
立ち上がりの展開次第ではファイナルの流れが変わる可能性もあると思った。
が。

 

明らかにファイナルの流れは東芝にあると思わせる立ち上がり。
#14
辻と#7篠山の3Pシュートが次々とリングに吸い込まれていく。
一方の和歌山、崩せていないわけではないのにシュートの精度が低い。
ミドルもゴール下も入らない上、頻繁にターンオーバー。
1Q
で東芝28-4和歌山。
ちょっとやそっとでどうにかなる状況ではない。

 

だからといって、和歌山が何もできなかったわけではない。
#2
阿部や#8中務、#33内海が前線から激しいディフェンスで東芝のスコアを止めた。
#31
青野がゴール下で体を張り、#9川村や#12久保田が果敢に攻めた。
ただ、何かをひっくり返すような大きなことを起こせなかった。
手負いの和歌山に、それだけの余力はなかった。 

 

 

もう1敗もできない状況。
両外国人選手の欠場。
それらが、微妙に和歌山の選手の心のバランスを崩したのだろう。

 

バスケットボールに限らないが、
勝負事であれば選手には「勝ちたい」という思いがある。

しかし一方で、「勝つ」という意志の下、自分をコントロールしなければならない。
今がどんな状況にあり、自分はどうすればいいか何ができるのか、
何をすべきなのか。

判断し、成し遂げる意志の力。

「勝ちたい」という感情は、大きな力となる。
しかし感情が強くなり、意志と感情のバランスが崩れると、
力が入りすぎたり勢いが付きすぎたり、体の使い方、
動作にも影響があらわれる。
バスケットボールの場合、シュートタッチがそれかもしれない。

 

追いつめられた状況で生まれた焦りが、勝ちたいという思いを悪い意味で強めた。
それが、この日の和歌山の選手にはミスやシュート精度の低さとなって
あらわれたのかな
と思う。

 

  

勝つしか次への道はない上、外国人選手が2名とも欠場という不利な状況。
和歌山の選手はできることを精一杯やった、その結果は東芝78-61和歌山。
東芝の3連勝で、ファイナルは幕を閉じた。

  
和歌山に運がなかったとみるか、それともこれらもひっくるめてチームの総合力とみるか。
本稿は和歌山に焦点を当てて書いているが、一方で、東芝に流れを引き寄せる力、
引き寄せた流れを相手に渡さない力があったのも事実だ。 

 

 

和歌山にとってはただただ悔しいだけのファイナル。
チームの経営も決して楽ではないだろうけど、この悔しさを晴らすために、
このメンバーで来年もう一度ファイナルへ戻ってきてほしいな。
・・・永山さんいないけど。

 

ということで、ファイナルについてはもう1回、
今度は和歌山の選手について書こうと思う。

 


バスケ男子日本代表監督について考える(長谷川監督のこと)

2014-04-23 22:27:49 | バスケットボール

 

こんなたいそうなお題目をつけたけど、
ほんとに書きたかったのは長谷川先生のこと、それも私個人の思いなのだが

 

 

長谷川先生のことはいつも観客席から見ているだけで
一度も間近くでお目にかかったことはないが、指導者としてかねてより尊敬している。
ゆえに代表監督就任は素直に嬉しく思った。

 

その長谷川先生が代表監督を務めていくに当たり、私が注視していることがある。

それは、指導者であると同時に教育者でもあった長谷川先生が、
どのように代表チームを作っていくかということだ。

 

 

今でこそ、青山学院大学バスケットボール部は、
東海大学と共に男子学生バスケ界の頂点に並び立つ。
だがここに至るまでの年月は決して短くはない。

 

2000年に初の三冠獲得。その栄光から一転、2002年のリーグで二部へ降格する。
このとき目先の勝利を求めるのであれば、
長谷川先生自身が「本当の天才」と評した佐藤託矢のワンマンチームにすることもできた。
しかし長谷川先生を中心としたスタッフは、確固たる信念を持ってチームを、
青学のバスケを作り上げていった。
2004
年のリーグで一部復帰、2005年一部リーグ優勝。
しかしインカレ優勝は2007年まで待たねばならず、
再び三冠を獲得するのは2010年になる。

 

 

この間、長谷川先生は多くの名言を残している。

 

 

「バスケットの目標は優勝することだけど、
バスケットをしている目的があるとしたら、それは勝つことではなく、
いかに人間が成長するために努力をするかや、
チーム・組織として団結するかといったことだと思う。」

 

「過去のチームを見ても3本の指に入るチーム」が
2005
年インカレ決勝で敗れた後そう語り、
「そういう意味では、目標は達成できなかったけど、目的は達成できたと思う。」
と労った。

 

 

チーム・組織としての一体感を醸造するため 

「チームという言葉は、”Together””Everybody””Achieve””More”という
4
つの英単語でできている」と説き、
「大学スポーツとは伝統の継承。伝統を継承し成長させて、
それをコートで表現することがひとつのテーマ。」と語る。

 

また「スポーツはルールの中での闘争」と言い、
気持ちの入っていないプレイを見せた選手について
「人間対人間でやってるんだから、守ってやるという気持ちが
相手に伝わらないといけない。そういう気魄がスポーツには大事。」と苦言を呈す。

 

 

ゆえに技術以外の心のあり方の重要性を繰り返し説いていた。

 

「心が疲れたらどんなに体力があってもだめ。
そんなに簡単に体力ががくんと落ちるわけない。心で疲れたと思うから体が動かない。」
「人間は、心があって初めて、いいプレイが生まれたり運が転がり込む。」
「頑張るというのは、もうだめだっていうところからが頑張り。
疲れていたって気持ちが疲れていなければ体力はそんなに落ちない。
もうダメだと思ったところでそこからもう一度頑張れるのがスポーツの一番の強み。
それが生きていく上でも大切なところ。」

 

 

いずれの言葉も青学バスケ部公式HPやメディアのインタビューに対する答えだが、
これらの言葉からは、社会に出る前の学生を預かっているという思い、
自身がバスケットボールの指導者であると同時に教育者でもあるという
長谷川先生の思いを感じた。

指導者としての理論。教育者として学生に向ける愛情。そして信念。
それらが、青学大を黄金期へ導いた長谷川先生の手腕の根幹をなしていた。

 

 

競技のジャンルは全く違うが、学生・生徒の指導者として大切なことを、私は
長谷川先生から教わった。

長谷川先生の言葉を念頭に、細々ながらも部活動に携わり、重ねた連覇の数は6
生徒が代々繋いできた夢は、まだ続いている。

 

 

  

さて、一方で長谷川先生は、日本のバスケ全体についても考えていた。

大学バスケから日本のバスケを盛り上げたい、日本のバスケの強化につなげたいと、
折に触れて口にしていた。
オールジャパンでJBL/NBLに勝つチーム作りを掲げていたのもその一環だろう。

 

今の2030代の選手のほとんどは、
大学バスケを通じて長谷川先生がよく知っているメンバーである。
青学のみならず、強化合宿や選抜・代表チームで指導した選手も少なくない。

 

そんな長谷川先生にとって、代表監督の地位がどのような意味を、重みを持つか。

 

未来につなげるための指導を施した学生たちではない。
日本のトッププレイヤーに成長した彼らは、世界と戦わなければならない。
そんな選手たちと、長谷川先生は今度は純粋に指導者・監督として向かい合い、
チームを築いていくことになる

 


どのように代表チームの礎を築き、次代へ継承させていくか。
果たして協会は全面的に協力してくれるのか。

 

 

人生最大とも言える挑戦を始める長谷川先生の成功を、心から祈っている。