妄念の凡夫

日々是称名

嶋田一人さんのこと

2013-06-24 01:19:46 | 仏教
 嶋田さんが死んだ。
 6月15日のことだったという。6月11日には、4月の法座の録音ファイルをアップしたというメールがあったばかりなのに。

「支部の皆さん 大変遅くなりました。申し訳ありません。
下記をダウンロードしてください。……」

 「申し訳ありません」……、なんて謝ることないじゃないか。誰も気にしてないよ。
 人への気遣いは異常なほど繊細だった。
 なんでも自分でやりたがる人だった。社長だったのに、段取りや事務処理能についてやたらと細かった(自分のやり方以外は認めようとしない頑固なところもあったが)。
 裸一貫から建設会社を起こし、2人の子供を独立させ、母親を引き取って看取った。バブルが弾けて会社が傾いたときは、致命傷にならないうちに清算した。取引先に不渡りを掴ませないためだ。
 奥さんとの関係は良好ではなく別れることとなったが、奥さんの親の介護の件で奔走した話を聞いた。
「別れた人の親のためになんで嶋田さんが?」
「オレ以外にやってあげられる人間がいないんだよ」

 そんな嶋田さんに出会ったのは、私がYに誘われて図らずも仏教を再び聴き始めたとき。嶋田さんはニヤッとした顔をして近づいてきた。
「ほろひれさん、なんか手伝ってくんない」
 嶋田さんの歯には、タバコのヤニが染み付いていた。

 以来、嶋田さんにいろいろと教わるようになった。華光会というサンガについて。実務的なことは、まず嶋田さんに聞けばなんとかなる。そんな安心感があった。実際、色々と世話してくれた。京都の本部で勝手がわからず右往左往していると「何してんの?」と面倒見てくれた。
 世話好きな嶋田さんは、自家農園でのバーベキューパーティーや自宅での家庭法座を企画して誘ってくれた。西光義秀先生の謦咳に接して本音の仏教を聞くことができたのも、嶋田さんの人徳によるものだ。
 人に法を勧めるのに熱心だった嶋田さんだが、御自身のご法のことについては、かなり苦しまれたようだ。両膝の上にげんこつを握ったまま、思いつめた嶋田さん表情を、何度か法座で見かけたことがある。
 昨年の春くらいであろうか、ついに嶋田さんは後生の夜明けを迎えられたようで、柔和な顔つきで法座に臨まれるようになっていた。

 そんな矢先、嶋田さんにガンが見つかった。キング・オブ・キャンサーといわれる膵臓ガンである。そのことをわれわれ仲間に淡々と話すとき、すでに嶋田さんは諦めていたのだろう(それこそ本来の意味で)。早々に入院生活を切り上げ、自宅療養で通院しながら、法座に復活された。激ヤセしていたが、顔の血色がよく目つきもしっかりしていた。
 2カ月前の法座でも、休憩時間にタバコをスパスパやっていた。「いいんですか?」と聞いたら、
「今更やめたって治らないだろ。がまんするほうがストレスだよ」
と、いつもの調子で返してくれた。なんだ、ひょっとして回復するんじゃないの、思ったほどだ。
 しかし、嶋田さんの体は確実に蝕ばれていた。

 6月22~23日の講習会は、さながら嶋田さんの往生を記念した法要ともいえるものだった。生前に予約されたのか、お嬢さんに言いつけてあったのか、供物の最中が届けられていた。
 講習会は、増井信先生による『正信偈』の曇鸞大師と道綽禅師の部分の解説である。

天親菩薩論註解 報土因果顕請願
往還廻向由他力 正定之因唯信心

 そうだ。嶋田さんが私の人生に現れたのは、私に「南無阿弥陀仏」を勧めるため、還相されたからなのだ。
 嶋田さん、ありがとう。娑婆ではもう会えないけど、彼の地でお会いしましょう。


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3 コメント

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4月4日夕方、嶋田さんは自坊を訪ねて来てください... (茗荷谷のタヌキ)
2013-06-24 11:25:07
体調のこと、御法のこと、そのほかたわいもない話をしました。もういっぱい話してきましたので、いまさら言葉を費やすことはありませんでした。本堂でおつとめをしました。「嶋田さん、調声してください」と言いましたら、「私がですか・・・」と戸惑われながらも調声席へ。いっしょに讃仏偈のおつとめをしました。
2~3時間おられたでしょうか。夕食をごいっしょに・・・と誘うと、「何も食べられないんです」とお断りになられました。
泊まっていただこうと思いましたが、事前に「宿を取ってください」と申し出られていましたので、明日行かれる京都に行きやすい近鉄橿原神宮駅前のホテルを予約しておきました。電車に乗っていただく方が早く着きますが、約1時間の道のりを車でお送りしました。この車の中でも、ポツリポツリと話されました。「嶋田さん、世の中にまことなんて何もありませんよ。ただただお念仏だけですわ」と話すと、間髪を入れず「そうですね」とおっしゃって念仏されました。

おいでになれて駅でお会いしたときからホテルまでお別れするときまで、終止一貫いつもと変わらない嶋田さんでした。
後日、メールをいただきました。仏法について、山のお寺について、私の父について母について、いろいろな思いを書いてくださいました。

「お勤め嬉しかったです。身が締まる?阿弥陀様とともにお念仏させてもらいました。」と。

聞けば、嶋田さんの人生は波瀾万丈です。でも、初めて東京でお会いしたときから、私の目にはただ淡々と生きておられました。仏法聴聞のうえからは深い悩みを抱えておられた時期もあるようですが、そのときでも淡々と生きておられるようでした。癌とわかったときも淡々と、病院にお見舞いに行ったときも、淡々としておられました。この一年は、晴れた胸の内を、これまた淡々と話してくださりました。

東京在住中、嶋田さんに導かれて聞法し、催促されて法座を開かせてもらいました。ホント、人徳ありましたねぇ、嶋田さん。感謝でいっぱいです。なんまんだぶつ、なんまんだぶつ・・・
 東京支部ではお世話になりました。 (かりもん)
2013-06-24 20:31:52
 予感はあったとはいえ、突然の訃報に、凡情としては寂しいの一言ですね。法座の懇親会では、故人を偲び、参加者全員が、生前の思い出を語り合いました。みんなそれぞれが、それぞれのつながりをもっておられました。同じ話は誰もない。それがなんとも不思議でした。嶋田さんは、皆さんのココロの中に生きておられるのだなーと実感されましたね。すでに、南無阿弥陀仏として生きて働いてくださっているのだなーと。 
 京都にお出でになった時、最後に、近くの公園まで散歩、父と二人で、何もいわずにただ桜を見あげておられました。満開の桜が、風にふかれてきれいでした。出来上がった写真を送らせもらった、メールが最後となりました。よく考えたら、「散る桜、残る桜も、散る桜」との生きたお説法だったのですね。
南無阿弥陀仏
>タヌキ先生 書き込みありがとうございます。嶋... (はらほろひれはれ)
2013-06-24 22:14:05
>かりもん先生 講習会ではお世話になりました。お疲れのところ、大変ありがとうございました。我利我利亡者の私は、還相回向についてずっとピンとこなかった(というより、難儀やなーと思っていた)のですが、一人さんの功徳の回向をいまごろになって気づかされました。南無阿弥陀佛

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