妄念の凡夫

日々是称名

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹、文藝春秋)

2013-04-29 01:34:55 | 本と雑誌
「どうだった?」と聞かれたら、「悪くない。読んどいたほうがよい本だね」と答えるだろう。
 映画にしたらいいんじゃないかしらん。佳作だと思う。もちろんいい意味で。

 タイトル通りのストーリーだ。「巡礼」という言葉をウィキペディアで調べると、「聖地を巡るという宗教的行為」だそうだ。この物語において「巡礼」は、宗教的な意味合いを持たない。しかしながら、「巡礼」以外にしっくりくる言葉がない。「再会」というのが適切なのかもしれないが、主人公つくるにとって「再会」ではなく、巡礼でなくてはならない理由があるのだ。

 人生において誰もが出会いと別れを経験するが、心残りのある別れもあるものだ。これ以上書くとネタバレになるのでやめる。ともかく、その心残りに向き直って消化しようと思った主人公の心の動きを描いた物語なのである(どの村上作品でも主人公の心象風景の描写は細かいのだが)。

 また、この小説は名古屋人論でもある。もちろんそれがテーマではないのだが、小説を組み立てる重要な骨組みの一つである。『海辺のカフカ』ではわがふるさと香川県の退屈な風景が描写されていたように、名古屋にありそうなドラマに仕上げられている。主人公つくるが大阪生まれでは、このようなプロットにはならなかっただろう。
 
 そんなに残されていない人生において、私にも再会したい人間がいないわけではない。しかし、私の場合はもう会うことはないだろうと思っている。会って聞いてみたいことはほんの少しだ。ほんの少しのことを知ったところで、溜飲を下げることができたとしても、私に幸せな気持ちをもたらしてくれることはないことがわかっているからだ。


↓灰田の父親のエピソードは必要か?

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念佛一つで往生できるが、意味を履き違えてはいけない。

2013-04-22 00:00:36 | 仏教
法然上人御法語のブログ」より勝手に現代語訳。

後篇 第21 随順佛教 念佛往生義


 念佛して往生するに不足なしといいて、悪業をもはばからず、行ずべき慈悲をも行ぜず、念佛をもはげまさざらん事は、佛教のおきてに相違する也。





「念佛して往生するのに不足はない」という口のそばから、悪い行いをも憚らず、他の者へ行うべき慈悲も行わないで、念佛すら励もうとしないことは、佛教の掟に相違するのです。




 たとえば、父母の慈悲は、よき子をも、あしき子をもはぐくめども、よき子をばよろこび、あしき子をばなげくがごとし。佛は一切衆生をあわれみて、よきをもあしきをもわたし給えども、善人を見てはよろこび、悪人を見てはかなしみ給える也。よき地によき種をまかんがごとし。





 たとえば、父母の慈悲は、よい子をも、悪い子をも育てるといえども、よい子のことを喜び、悪い子のことを嘆くようなものである。佛は一切の生きとし生けるものを憐れみて、よい者も悪い者も浄土に渡していただけるのだが、善人を見ては喜び、悪人を見ては悲しまれるのである。よい土地によい種を蒔こうとすることと同じなのです。




 かまえて善人にして、しかも念佛を修すべし。是を、真実に佛教にしたがうものという也。





 よくよく考えてみましょう。善人となることを心がけて、しかも念佛を修めるべきなのです。これを、真実に仏教に従う者というのです。



日常の過ごし方

2013-04-21 02:41:58 | 仏教
「法然上人御法語ブログ」より勝手に現代語訳

後篇 第20 行者存念 十二箇条問答


 ある時には世間の無常なる事をおもいて、此の世のいくほどなき事をしれ。ある時には佛の本願をおもいて、必ずむかえ給えと申せ。ある時には人身のうけがたきことわりをおもいて、このたびむなしくやまん事をかなしめ。六道をめぐるに、人身をうる事は、梵天より糸をくだして、大海のそこなる針のあなをとおさんがごとしといえり。ある時は、あいがたき佛法にあえり。このたび出離の業をうえずば、いつをか期すべきとおもうべき也。



 あるときには世の中の常なることがないことを思って、この世がいくほどもないことを知りなさい。あるときには佛の本願を思って、必ず浄土に迎えてくださいと「南無阿弥陀佛」と念仏しなさい。あるときには人間に生まれることが難しいわけを思って、このたび虚しく終わることを悲しみなさい。六道を巡るなかで人間に生まれることは、梵天から糸を下ろして、大海のそこにある針の穴を通そうとするようなものといえます。あるときは、「遭いがたい佛法に遭った。このたび六道を離れる行いをしなければ、いつ決意するときがあるのか」と思うべきです。


 ひとたび悪道に堕しぬれば、阿僧祗劫をふれども、三宝の御名をきかず。いかにいわんや、ふかく信ずる事をえんや。ある時には、わが身の宿善をよろこぶべし。かしこきもいやしきも、人おおしといえども、佛法を信じ、浄土をねがうものはまれ也。信ずるまでこそかたからめ、そしりにくみて、悪道の因をのみつくる。



 一度、三悪道に落ちれば、途方も無い時間を経ても、佛法僧の御名を聞くことはない。ましてや深く信ずることができるわけもない。あるときには、我が身の過去世からの善い行い(佛法を求めること)を喜ぶべきです。賢いのも卑しいのも、人は多いといっても、浄土を願うものは稀です。信じることも難しく、佛法を誹って憎んで、悪道へ堕ちる種だけを作るのです。


 しかるにこれを信じ、これを貴びて、佛をたのみ、往生を志す。これ偏に宿善のしからしむる也。ただ今生のはげみにあらず。往生すべき期のいたれる也と、たのもしくよろこぶべし。かようの事を、おりにしたがい、事によりておもうべき也。





 しかし、佛法を信じ、佛法を貴んで、佛をたのみ、浄土へ生まれることを志すということは、ひとえに過去から佛法を求めてきたことによるものなのです。折にふれて、ことによって思うべきなのです。


自己嫌悪

2013-04-09 00:21:50 | 日記・エッセイ・コラム
 矛盾に満ちた言葉である。自分を嫌っている自分は何様なのか?
 同じ人間の中に善人の自分と悪人の自分がいるわけじゃない。そのときそのときで都合のいいようにコロコロ変わるずるい私があるだけだ。
 自分の過ちに気がついて(つかされて)、愚かだったと懴悔するしかない。頭を項垂れるのみだ。

 具体的に書き留めておこう。
 自分のメールアカウントに届くメールはほとんどが宣伝などのジャンクである。放っておくと自分に割り当てられた容量が満杯になるので、たまにまとめてサーバーから削除していた。
 今日、その作業をしていると、ふとジャンクではない未開封のメールを見つけた。
 「訃報」だった。闘病されていたNさんご令室の逝去を知らせるメールだった。すでに1ヶ月以上経過している。
 普段使うメールソフト上では見られなかったのに、サーバーには残っていた。何かの手違いで、それだけ消してしまっていたのだろうか……。そんなことを考えても詮なきこと。
 知らぬことは恐ろしいことだ。しかし、それを恐ろしいと思うのも愚かなことだ。


『日本の路地を旅する』(上原善広、文春文庫)

2013-04-02 01:16:36 | 本と雑誌
『新潮45』の記事を読んで、いい物書きさんだなと思っていた(『新潮45』(2011年11月号) 特集:「最も危険な政治家」橋下徹研究)。
 出自である「路地」(被差別地域のこと。中上健次がそう呼んだらしい)を淡々と静かに、人間味のある筆致でルポを描き上げていた。同情するでもなく、糾弾するわけでもなく、路地のことを卑下するわけでもなく、驕るわけでもなく、クールに足で聞き歩いた話を積み上げていく、かといって単なるレポートではない。
 単行本が幾つか出されていたが、敷居が高く、なかなか手に取れなかった。どギツイ話が多いんじゃないだろうか……、だがそれは杞憂に過ぎなかった。
 しかし、読後感が爽やかというわけでは、決してない。読み進むうちに、ケガレを生業とする人の働きがあるおかげで半世紀も生きながらえてきたのに、いまもそれに胡座をかいている自分に対する嫌悪がムクムク沸き上がってきた。喉元まで上がって胸がつかえている。
 私の故郷にも差別はあった。見合いの釣書には、かならず「母の里」という項目がある。親指を折って「4」を示す仕草や「二個一」という言葉で特定の地域を忌み嫌う言い方を、父母の会話で聞いたことがある。同じ小学校の区域なのに、「あの地域は違うんや」といわれたこともあった。農業高校に通って解体されたブタの頭をバックに記念写真を撮っていた父ですら、明らかに路地を差別していたと思う。
 学校時代に同和教育などほとんどなかったので、差別問題は大人の間の隠語のようなものだった。だからずっと無関心。初老になって初めて、現実を描いた本を手にとることができた。恥ずべし。
 とはいえ、自分に何ができるのか。せめて、人を先入観だけで判断することはやめよう、と思う。

 眠くなってきた…‥。最後に引用。


「この時代に被差別があるかといわれれば、もうないといえるだろう。それは土地ではなく、人の心の中に生きているからだ。しかし一旦、事件など非日常的なことが起こると、途端に被差別は復活する。被差別というものは、人の心の中にくすぶっている爆弾のようなものだ」





↓近江牛がなぜブランドなのか……、歴史的な考察もすごい。



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