妄念の凡夫

日々是称名

ミャンマーの仏国土

2015-10-25 15:39:46 | 日記

 引き続き、NHKスペシャル『アジア巨大遺跡』第2集「ミャンマー・バガン遺跡」を観た。

 アンコールワットとほぼ同時期に作られていったらしいが、ここでは今も仏教が生き続けている。

 もともといろいろな宗教があったらしい(密教とおぼしき怪しい宗派が主流だったという)が、11世紀半ば、バガン王国の初代王・アノータヤーが上座部仏教(NHKは小乗仏教とはいわなかった)を取り入れ、国教とした。パガンでは、納められた税をもとにパゴダ(仏塔)が建設され、その建設に携わった民に賃金が支払われ、民はそれをもとにコミュニティのためのパゴダを勧請していった。遺跡群には3000を越えるパゴダや寺院があるというが、権力者が建立した巨大なのものは数えるほどで、ほとんどが一般民衆が作ったものだそうだ。なぜそれがわかるかというと、それぞれ碑文が残されており、きちんと記録されていたからである。

 パゴダはインドでは仏塔(ストゥーパ)であるが、日本では五重塔、卒塔婆へと変化している。たしか、鎌倉時代の絵伝(「玄奘三蔵絵」)では、木の柱(卒塔婆)を拝んでいる玄奘が描かれている。しかし、それは描いた人の勘違い。ホントは、煉瓦で築かれた仏塔を拝んでいたのである。

 パゴダの形にも意味があって、土台は下界、回廊は人間界、膨らんだ塔の上部は天界、尖った最上部が涅槃を現している。なぜパゴダを拝んで祈るのか、それは、今の自分がどこにいるのかを確認するためなのだ。それが、日本だと墓石の隣に刺された木の板になってしまい、オバケ屋敷にはつきものの飾り付けにしか見えないが(一反木綿が出てきそう)。

 さて、バガン王朝がなくなった現在でも、民衆の信仰は生きている。来世に今よりもよいところに生まれるためである。富める者も貧しき者も、そのために「功徳」を積む。バガンでは「功徳主義」が千年以上も貫かれているのだ。寺院に1000万円の寄付をするのが当然という実業家の社長。我が子や恵まれない親類の子のために100万円の貯金をして得度式を受けさせる土産物屋の夫婦。そのお父さんは「迷いのない涅槃に近づけたのだから、お金は全然惜しくありません」と、子供の得度のあと自らも得度した。

「私の功徳が5000年続きますように」碑文に書かれた願文がナレーションされたとき、涙があふれて止まらなかった。


神仏習合は悪いことなのか?

2015-10-24 14:21:47 | 日記

 録画していたNHKスペシャル『アジア巨大遺跡・アンコールワット』を観た。

 ハイテクを駆使した科学的な調査が進められ、12世紀なのに東ローマ帝国のコンスタンチノープルや南宋の臨安をも凌ぐような巨大都市が形成されていたらしい。

 その反映の礎は、精緻に考えられた水利システムにあったらしい。山から水路が引かれ、中継地点には溜め池が掘られ、アンコールワット近くには巨大な貯水池(バラク)が築かれた。そのおかげで乾期でも水に困らず、「年に3回米が収穫できる」と元朝の中国人が記録に残していたそうだ。

 日本の鎌倉時代にカンボジアでは、人口150万人の巨大都市が、海から遠く離れたアンコールの地で栄え、巨大な寺院群が作られていったという。なぜ、そのような繁栄があったのか? それは、平和だったから。

 ジャヤバルマン7世という王が、対立する部族と融和を図り、通商と農業で平和を維持するために、「ジャヤブッダマハーナタ」を各地に奉納したという。それは、各民族が奉る神々を内包した諸民族融和のための象徴としての「観音(観自在)像」だったということが、上智大学・石澤先生の研究でわかったそうだ。ジャヤバルマン7世は、仏教徒の王だった。仏教の寛容・融和の精神が王の治世の繁栄を齎したという。遥か後のEU統合の立役者といわれる歴史家のジャック・アタリ氏は、ジャヤバルマン7世を尊敬していて、初代にも王の肖像を安置していた。諸民族融和の精神が、今世紀半ばまで戦争ばっかりだったヨーロッパの統合を成し遂げる力だったのだ。

 この番組を観て思ったのは、神仏習合も悪いことではないのかもしれない、ということ。他民族の神を否定・排斥して新しいものを信じさせるのではなく、その神も中に取り込むことで融和を図る。

 飛躍するが、インドで時代が下るほど密教化し、数多くの諸神が取り込まれていったのも、そういうことなんじゃないか。だから、大きな乗り物・大乗という運動なのだろうと思った。

 ただ、他者への絶対的寛容さは、真仮の廃立ができていないと「なんでもいい」に堕してしまう。方便と真実の転倒だ。その堕落が現在の日本仏教なのかもしれない。

 融合型の平和は、やがて宗教的純粋さを求める動きによって破壊されてしまう。

 ジャヤバルマン7世の2代あとの王はヒンズー原理主義者で、アンコールワットでは廃仏が行われ、多くの仏像の頭部が切断されたり、顔面が削り取られたりした。その後しばらくしてアンコールの王朝は衰退し、やがてシャム族の侵入を受けて滅び、19世紀に西洋人に発見されるまで、ジャングルの中で無人の廃墟となってしまっていたという。

 


キンキラキンにさりげなく

2015-10-15 09:09:44 | 日記

 本来、仏像はキンキラキンだそうだ。お釈迦様が涅槃に入られる前、お体が黄金に輝きまばゆい光を放った、というところに由来するらしい。

 しかし、芭蕉的・亀井勝一郎的な美意識の影響が強い日本人の感覚からすると、経年劣化で金箔が禿げ落ち、それがテカって漆黒の光を放つようになった像のほうが、なんだかありがたく思える。弥勒菩薩の半跏思惟像とか阿修羅像とか釈迦三尊像とか……。もし、できた当時のキンキラキンで原色バリバリ、アイラインやお髭もきりっと入った色合いが再現されたら、さぞかし興ざめするかも。不動明王など密教の諸神も、私からすれば気持ち悪く見えるだけなんだけど(心頭滅却度が足りない)。

 人間の思いは勝手なものである。末代の私としては、諸仏がいまでは「諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅為楽」の化身となられていると味わいたいものだ。