日替わりトーク

☆過去現在未来☆

女の方が強い?

2019-10-29 08:51:45 | Weblog
ずいぶん前ですが、母の妹は病気でまだ70代のときに亡くなりました。 叔母のイメージは、「優しい人」に尽きます。 
私が幼いときに「家事見習い」と称して我が家でお手伝いをしていたが、母が厳しすぎて廊下の隅(だと思う)で泣いていたのを映画の一コマのように目に浮かぶ。
従妹と電話で話して「叔母さんは声も立ち振る舞いも優しくて、母に泣かされ可哀そうだった」と言うと・・・
従妹「母はそんなに優しくなかったですよ・気が強かった」。
え~?イメージが狂った!優しさだけしか覚えていないのに。
そう言えば聞き流していたけど、母が言っていた。
「あの子(叔母)は東京に憧れてうちに住み込んじゃって、毎日フラフラ出歩き危なくてしょうがないから厳しくした」。
あらま~! ダブルで聞いてみなくちゃ頭に入らない。
うちの母方は、女が気が強くて冒険好き?

叔母は仙台に帰り結婚してから大阪の郊外に移ったが、その息子(従弟)が20歳になったかならないかのときに東京に家出してすぐ、ボッタクリバーに連れ込まれた。 真夜中に泣きの電話を母に入れ、母はすっ飛んで行って全て解決。 父がそのときに一緒だったと思うが、一緒じゃなくても母は炎の50代・バリバリ元気で怖いもの知らず。 チンピラどもに負けなかったと思う。
従弟はもう40年以上も経った出来事なのに生々しくその恐怖を覚えていて、今でも母に感謝している。 家出した翌日に迎えに来た父親と一緒にションボリ大阪に帰りました。
母方家系は、男がイマイチかな(同じ家出でも僅か一泊)。
まだまだ知らなかったことが出てきそうだね。




伝説の人

2019-10-27 10:44:51 | Weblog
人1人亡くなるということは大変なことです。
諸方面手続きに遺品整理、葬式に49日。 母の弟たちにはまず電話連絡してから、全ての年賀状を遣り取りしている方々に喪中ハガキ。 親戚たちから心の籠ったお手紙とお香典を送っていただいたので、お返しの手配。 子供のころから知っている方々なのでカタログから選ばせたくない。 北海道・仙台に住む老いた叔父達それに大阪にいる従姉弟たちに忖度して(こういう使い方して良いのでしょうか)、ネットにへばりついて生活必需品セットにゴディバのチョコを送ることにしました。

変な取り合わせだけど、北海道叔父はとんでもない田舎に住んでいる・仙台叔父は奥さんに死なれて1人暮らし。 健康オイル・減塩醤油・海苔・フリカケ・パッケージに入っているオカズその他(忘れた)セット。 年取ると缶詰まで開けるのが大変なんですって。 それはそれで便利そうだから60代の従兄妹たちにも一緒にネット購入。 お香典を張りこんでいただいたので、田舎の人達のお口に合うかどうか高すぎて普段買わないゴディバチョコも添えます。

大阪の従弟は「オバちゃんには助けられお世話になっていました」素朴で一生懸命な字で2枚もの便箋。
仙台の従弟からも絵蝋燭を特別注文して送られてきました。
ゴッドねぇちゃんは弟妹はじめ、その子供達が受験・就職など東京に出てきても何かと世話して母が弟妹を訪ねてもやっぱり何かをしてあげていた。
自分では何一つ贅沢しないのに、こういう時に金を使った。
我ら一族にとって、母は偉大どころか伝説の人になっています。
(ゴディバチョコよりも虎屋羊羹の方が良いかなぁ)

お祈り

2019-10-23 09:03:43 | Weblog
神様や占いは信じない!タイプと思われるでしょうが、人間よりも大きな存在があると何となく感じます。 それが宗教団体となると、もうダメ。 教祖の収益目的としか思えない。 ただ祈ることが心の安らぎになれば良い。

BBは母親のMよりもお祈り熱心で、1日に何回もヒジャブを被り立ったり跪いたり良い運動になりそう。 私も子供の頃にお祈りをしていました。 忘れたけど、たぶん日々成長する過程で不安が大きかった。 そして・・子供のくせに何故か「死」が死ぬほど怖かった。 物心がついてから怖いことだらけで、親にも説明できない怖さは神様に頼るしかなかったのかな。

Mも敬虔なイスラム教徒であるが、仕事に子育て家事ついでにショッピングと忙しい。 ダンナは定職に就いたし、自分の給料で買物ができる。 感心するほどセール品を見つけては嬉々として帰ってくる。 「ダンナはブラブラ買物するのが嫌いで不機嫌になるのですが、私は見るだけで楽しい」。 時間を作っては「そっちまで行ったの?」とアチコチ出かけ、お祈りカット。

BBも自分のお母さんのように、だいたい人生が落ち着いたら・・お祈り回数が減るかもしれないね。
私は、都合の良いときだけ八百万の神々様を頼りにしています。


姑嫁バトル

2019-10-21 09:55:21 | Weblog
母が亡くなってから・・そして・・兄嫁が認知症初期に入ってから・・兄の子供達と頻繁に連絡を取り合うようになりました。
それまでは母の強い性格で、甥だけが宝物・姪2人は気に入らない・我が息子はお客さん(居ても居なくても良い存在)。
長じた姪達は母宅に寄りつかなくなり、母から悪口ばかり聞かされていた。
ちょっと信じられないのですが・・・
子供達だけで婆ちゃん宅に遊びに行ったら、甥は大歓迎され姪達だけ「早く帰りなさい!」と言われて泣いて帰ったそうです。 母は元々兄嫁が気に入らず、何故か姪達まで目もくれなかった。
母と姪達が疎遠ということは、私とも疎遠。 別に気にしなかったし、親戚付き合いなんて元々興味が無い。

第一子である姪Mが「弟がこのごろ怒ってばかりいて怖い」。
え~~~!あんな優しいT(甥)がぁ???
婆ちゃんがTに乗り移った???
兄嫁は自分の息子だけを可愛がる婆ちゃんに怒りを感じて色々やっていたなぁと不思議な感じがあった。 圧倒的強さと金があった母は負け知らずだったが、兄嫁もなかなかの策略家。 色々な問題を引き起こした結果、ボケた方が負けた。 やっと勝った兄嫁もボケはじめ、ワケ分からない後遺症を起こした。

つまり、我が一族の誰もがこのバトルで互いを誤解していた。
これから何でも話ができそうな長女姪と仲良くしていきそう
次女姪は兄に似て口が重くあまり感情を現さないので話ができないが、それも誤解かもしれない。

悲しい生い立ち

2019-10-18 10:24:25 | Weblog
また風邪気味です。 嫁は職場から孫は学校から、誰のせいか分からないけど風邪菌が我が家に訪問する確率が高くなっている。 若者達が運んできた菌くんたちは今までは早く出てってくれたので、たぶん早く治るでしょう。

十数年ぶりに病院で調理師をしていたときに仲良くしていた2人から突然電話がかかり会いました。 Aちゃんはダンナと自分の実兄が心臓病で同時期に入院し、その上ダンナの実兄が障害者。 その前は中卒で家族を養っていた驚くほど可哀そうな身の上です。 ロクデナシの兄をはじめ気弱の母にも頼られて聞くも涙と思うが、明るくて信じられないほど性格が良い。

疎遠になったのは、もちろんフルタイムで仕事しながら家事のうえにアチコチ介護の山で余裕が無くなったが、子供達3人は成人してAちゃん似の性格良さで支えられているのが救いです。
その後ダンナも実兄も元気になったんですって!
今の医学はスゴイね。
もう1人のM子さんは、ダンナが幼いときから継母に近所で評判になるほどイジメぬかれて育った苦労人。 それなのに、とっても優しくて思いやりがあり今でも2人仲良く暮らしている。
恵まれない環境に育っても、こういう人達がいるのね。

イジメ教師達の話は、驚き桃の木山椒の木です(←死語?)。 カレーは最悪! 他人の車の上にジャンプを繰り返す教師は、脳みそがあるんだか無いんだか。 女ボスや手下どもは教職から永久追放・傷害罪で前科をつけ・刑務所がムリだったら精神病院に入院か通院させてほしい。
異常な元教師4人はツライ生い立ちだった?と想像しますが・・
また思い出した母の言葉「生まれながらに悪い子がいます」。


ゴールと目的の違い

2019-10-15 08:52:45 | Weblog
ずいぶん前に書き込みした元亭の言葉「ゴールを目指せ!」。
母の「目的を持ちなさい!」とよく似ていますが・・・
元亭のゴールは壮大なもの? 歩む人生の方角を決めろ!
母の目的は、些細なことであっても毎日を充実させなさい!
と解釈しています。

早くからゴールを目指していた元亭に「何をして良いか分からないモン」は大迷惑を被った。
彼の学者になりたい希望のために、平凡な普通の家庭どころか当時の豊かなアメリカで初めての貧乏生活(戦後復興時に育ったが福祉を受けるほどじゃない)。
母はその日の計画を決め、全ての家事をしたあとに家計簿・・
そして愛犬を撫でながら晩酌が楽しみでありました。

母に習って些細でも出来るだけ楽しい目的を持って外出・約束事が無ければ午後3時ぐらいに帰宅して風呂掃除・姉を先に風呂に入れ私もそのあと続く。 たちまち大家族になってしまったので、風呂待ちにストレスを感じていたからヒマなもんが明るいうちに先に入ります。 それから少々の雑用をして、缶ビール。 食事の後片付けをしたら・・録画しておいたドラマ鑑賞。
アイパッドでカードゲームに時代小説の読書をしたら眠くなる。
気儘なようでいて、好んで作ったルールになってしまった。
今は雑用が増えて大変ですが、こういう日々のパターンに幸せを感じ、いつまでも続くとイーなぁと思っているのですが。


もう飼わないけど・・・

2019-10-13 09:34:36 | Weblog
子供のときにいた犬は狆との雑種でテリ、知人から譲り受けた雄犬です。 当時は狭い庭に犬小屋があって、綱だったか鎖で繋がれていた(昔はリードなんて洒落たものは無い)。 散歩は子供達の役目で、綱を放して隠れんぼをして遊んだ。
雄犬だからよく塀の下に穴を掘って脱走。 あれっ?うちの犬?と思ったが、その頃は犬も独り歩きをしていた。 他家からテリに子供の認知を迫られ、子犬達を貰ってくれる家を探すのに母は苦労した。 それ以来、母は雌犬を飼うようになり犬は絶やしたことがない。 独裁者は何でも言うことを聞き、しかも従順に従う犬が好きだった。

テリは味噌汁かけご飯や残り物に焼き芋の皮とか戦後間もない粗末な食事であったが16歳まで生きた。 次のプードルの名前はリリ(以来ずっとリリです)ドッグフードなんて!あんなマズイもの!!!食べたことないのに決めつけて、やや贅沢になってきた人間食にオヤツをあげて10歳生きたかどうか(覚えていない)。 次もプードルだったが、体が弱くペットショップが「取り替えましょう」と言ってきたのに、「一度飼ったらもう家の子です」とセッセと病院に連れていったり入院させて丈夫になった。 それでも癌で11歳のときに亡くなった。

また次の犬は初めてのダックスフント、ボランティア団体から譲渡され家に来たときは推定10歳。 たぶん、この犬が母に一番大きな幸せを与え、そして奪った。
年老いた母に都合の良い理想のワンコだった。 まるで宝物のように可愛がり、ボランティアさんに散々注意されたのに肉でも甘いものでも欲しがるものは何でも与えてしまう。
犬は可哀そうな生い立ちであったが、母のもとで人生(犬だけど)最大な幸せを得て2年足らずで死んでしまいました。 短い足なのにはちきれんばかりのグラマーになり、死ぬ前日までお腹いっぱいゴハンを食べていた。

我が愛猫のハナは頑なに人間のものを食べなかった。 キャットフードも「昨日まで好きだったのに」ころころ変わり、ペットショップを見つけてはアチコチ買い物をしていた。
BBに追い回されるようになったこの数年から人間食までダイニングテーブルで一緒に食べるようになって、まるで子供に戻ったように遊び人馴れしてきたのはビックリです。 きっと、こんな生活がしたかったのね。
でも、動物の健康のためには人間贅沢食は良くないです。


シニア50%???

2019-10-11 10:09:08 | Weblog
嫁M「テレビのコマーシャルは足腰膝痛いを治す薬やサプリメントが多いですね」と言うので、日本は高齢化して人口の30%・そのうち40%がシニアになるかも。
M「い~え! 50%に見えます!!!」。
え?日本人はそんなに老けて見えないでしょ。
M「手を口にあてて笑う・静かに喋る・地味な服装に態度」。
まぁ派手な人もウルサイ傍若無人もいるけど。
「インドネシア人はみんな大声奔放・カラフルな服装です」。
そうだね。 だから50%のシニア人口に見えるの?
若いMから見ると、みんな年寄りに見えちゃうのか。

M「お母さんは元気ですねぇ」
ん~今のところはね。 同級生で動悸息切れが怖くて遠くに行けない人もいる。
台風被害に遭ったN子はジャズ教室には来るけれど、すっかり意気消沈。 災害の場合、燐家に及ぼした家の損傷には責任を取らなくて良いそうです。 それでもご近所、お互い火災保険の補償で何とかなりそうなだけでもホッとした。 ただ家の修理補償費用は焼け石に水。 そのうえ家じゅうの水漏れまで発生し、泣くに泣けないやけっぱち。 「疲れたぁ~」を連発しています。

高校の忘年会はケントスに行こう!と言ったら、N子はケントス卒業したみたいで行く気がしない 
え?え~?え~~~?ありえない。
こうやって同世代が心身弱られては・・・困る。
いつもとっても若いN子が早く元に戻りますように。
(中年に見えた若さだったのに、シニアとカウントされてしまうかも)


母の家計簿

2019-10-10 09:38:39 | Weblog
母を独裁者呼ばわりしたが、良い独裁者でした。
母の言うことを聞いていたら間違いなかった。 昔の女性なのに独立心が強く、先を読んでいたと思う。 昭和初期に活躍?して「女が頑張るより男を利用した方が早い!」と効率的?
一度決めたら迷いなく突き進んだ。
姉が軽い障害者であったのに当時は特殊学級なんてないから、普通小中学校に強引に入れたのは読み書き算数が出来ない人にしたくなかった。 しかも家にいて何にもしないのは生きている甲斐が無いので、障害者枠で働かせた。
おかげで姉は好きな所に1人で外出できて、楽しんでいた。

母の言うことを聞かなかったので、私はアチコチ躓いた。 それでも間違えたから、息子や孫がいるのだと思うと不思議な気持です。 若い頃は選択の連続で迷走して、やっと母の言うことが聞けるようになったと思ったら介護生活。

気に入った教えは「とにかく目的を持つ!その時が真実!」。
そのせいか、1人でその辺をブラつくのは性に合いません。
目的地に目的を持って何かをする・習い事でも発表会を目指す。
指が震えるのにピアノ発表会・歌が下手でもジャズコンサート。 そこに辿り着くまでの過程が好きです。 加齢とともに真実(考え方)が変わるのも分かってきた。 よく母に「アーする!コーする!と言ったじゃない!」と責めて悪かったなぁ。 「変わるのヨ!」と言われて、信用できない!と思ったりしたが仕方なかったのね。
今は、ソウしよう!と思ったときにソウした方が良いと思う。

母が生きていた目的目標は、もちろん金勘定です。 1日の締めっくりで家計簿をつける。 計算器を使わず広告の裏紙で計算。 それは日記替わりにもなって母の人生そのものだった。
もちろん旅行も好きで楽しんでいたが、頻繁にあることではない。 毎日を充実させたのは、やっぱり家計簿。
(しまいには計算が合わなくなって、可哀そうだったけど)


犬はどうなるでしょうか

2019-10-07 09:16:26 | Weblog
先月は僅か2週間の差で、愛猫が先そして母が亡くなった。
鬱病になりそうだけど、2人とも(1人と一匹ですが)長寿で不足ない歳だったことに救われています。 良いことも悪いことも、全ては思い出として浄化される。

心配なのはまだ生きている人間のことです。 兄嫁は兄の葬儀のときにフツーに見えたし母の葬儀のときも過去のイザコザなど忘れたように話ができた。
甥が「初期の認知症で同じ話を繰り返す・犬にゴハンをあげたことを忘れまたやってしまう・母と犬の健康管理が心配」。 職場に近いこともあって週末のほかは義姉宅に居ると聞いて、なんて甥は苦労を背負って生きなければならないんだろう?と気の毒に思います。
遺品整理のときにテークアウトの寿司を持って訪ねていったら、本当にヘンだった。 同じ話を繰り返す。 犬は激太り。
まるで母の初期症状に似ているが、母の場合は「あの独裁者が人に頼るなんてありえない!」という気持の方が大きくて気がつくのに数年かかった。

義姉も母に習ったのか・大人しくて人の良い兄のせいか、経済力もないくせに独裁者になりたがった。 姪達のことは知らないが、甥は2度も結婚に反対され(まるで韓国ドラマ)、1度目は若かったし女性が気弱でダメになったが2度目の女性は気が強く負けなかった。 今は2児の母として更に貫禄ついて見た目もドッシリ揺るぎない。
義姉は言うことを聞かない自分の息子を一番嫌っていたが、今は一番世話になっている。 
もう過去は忘れに忘れたほうが、みんなと仲良くなれて良いかもしれないね。 それでも甥妻は同居する気が無いらしい。
「犬を引き取ろうか?」と聞いたら、今は義姉の唯一の生き甲斐が愛犬リリだそうです(義姉よりも犬が心配)。