日替わりトーク

☆過去現在未来☆

今年もありがとうございました

2013-12-30 11:36:22 | Weblog
今年はバリ島にニューヨーク訪問など、韓国どっぷりだった生活から少し離れた感じになりました。 NYは良かったが、やっぱり高い! 
イチローがまだシアトルにいたときNYに遊びに行き 「楽しくてしょうがない♪でも鈴木家が破産するかも」。 それからン年後にNYに住むようになってから再びインタビューを受け 「そんなこと言いましたっけ?住んでいると買い物とかやりたい事が無くなっちゃうんですよね」 という感じのコメントをしていました。

特にマンハッタンのホテルは高いし・買い物は天井知らず・一流レストランがずらり・ミュージカル・ジャズ・オペラだけではなく、独特の小劇場もありエンターテイメント方面は底知れない。
イチローが破産するかもと言わせたほどの豪遊は想像もつきませんが、また行けたら良いなと思います (体調を整えましょう!)。

今年も駄文にお付き合いいただいて、ありがとうございました。
正直、ブログがこんなに長く続けられるとは思いませんでした。 エサを貰うとヤル気が出る性分で、アクセス数が伸びたときは嬉しかったです。 それと・・・いくら丈夫で元気でも・・・知力が落ちたら一巻の終わり。
気になることがネタになり・ネットで調べ・辞書をひき・周りの物知りさん達の話を参考にして、会話では出なくなった言葉を纏めるのは頭の体操になったのはもちろん、とっても充実した時間になりました。

来年は皆さまにとって良い年になりますように。

笑えない

2013-12-28 12:21:40 | Weblog
なんだかんだ勝手なことを、思い込みと勘違いを交えながら好きなように言っていられるのも、日本が平和で自分が健康だからであります。

30年以内・70%の確率で、関東方面に直下型大震災が起こる?
5年以内と聞いたこともあったし、もう運を天に任せるしかないですね。
せっかく用意した地震グッズ無しで中心部に居たりして、どうすることもできません。
ただ予想不可ではなく、震度5前後の前触れ地震が何回かある?
識者たちが懸命に研究していますが、自然の力には叶いません。

これはもう覚悟を決めて、何があっても後悔しないように生きたい。
最近見た漫才で
「子供達にお金を残しちゃダメ!生きてるうちに使い切りなさい!」
「使い切っても・・・まだ生きてたら・・・ドーすんの?」
笑っても笑えない。
さ~~~どうしましょう。

抗議隊

2013-12-26 11:45:51 | Weblog
アメリカ・グレンデール市に建てられた慰安婦の像に、来年早々やっと議員団抗議隊が行くそうです。 グレンデール市長は日本からの1000通を越す抗議メールに頭を悩ませ、「認めなければよかった」。 韓国に招待されたり賄賂とまでいかなくても、市に多大な献金があったのかな。

それにしても日本政府関係対応の遅いこと。 何を言っても無駄どころか、かえって 「待ってました!」 と反日に火がつくのは明らかであるが、アメリカまで巻き込んで何にも言わないわけにはいかない。
地方議員ばかり10名ほど行く絵は、ほっときたいが手が空いちゃったし行きたくないな~?

中国が親分だったら、日本は弟分。 弟が兄貴より文明開化が進んで、豊かになるのが我慢できない。 昔はあれもこれも教えてやったのに。

韓国一般庶民唯一の希望は、わが子らに教育をつけて出世させること・玉の輿に乗せること。 教育をつけた若者達が世界に目を向けて国を向上させているが、結局は自分だけが出世できたら、役得満杯の時代劇スタイルが良い。
営業・ロビー活動が得意で世界に羽ばたいていそうに見えるが、潤うのは上流階級ばかり。 インフラ設備が悪く、トイレは詰まるし停電はあるし道が悪い。 中流は子供達の留学費に四苦八苦して下流は飢えない程度の暮らしぶり。

そもそも植民地政策が巨悪の根源であり許されないが、スペイン・ポルトガル・オランダ・イギリスはどーよ。 アメリカの黒人奴隷っていたよね。
非人道的な時代でありました。

だんだん国が豊かになって思い出すのが、弟・日本。
儒教の国は、親はもちろん兄も尊敬しなければならないのです。
(尊敬されるような国になってね

年賀状

2013-12-24 12:40:07 | Weblog
何回も書き込みしていますが、字を書くのが苦痛なほど苦手です。
そもそもコンプレックスを克服しよう!という根性が無いので、習字教室は1ヵ月でやめ、独学できるペン習字のノートも買っては放り出しの繰り返し。 特に社会人でいたときは、恥ずかしい思いをたくさんしました。 PCが普及してきて、本当に嬉しかった。

義姉は何の取り柄も無さそうな普通の専業主婦だけれど、字がホレボレするほど上手です。 父が現役時代、義姉に年賀状書きのアルバイトをさせました。 親戚・友人・知人・会社関係・取引先など、ン百枚。 達筆にスラスラ書いている義姉を横目に、私は悪戦苦闘。 それほど枚数が多くないのに、少しでもマシに書こうと 「嫌な時間」 をかけた。

今はなんて便利なのでしょうね。 ソフトを組み入れると、絵も字も選べてスイスイと年賀状ができる 「楽しい時間」 になりました。 受け取る側は自筆じゃないのが誠意を感じられないかもしれませんが、悪筆人の苦労をお察しください。


人生は旅

2013-12-21 13:08:29 | Weblog
テレビでたまたま耳にした言葉、たぶん誰かの受け売りで言ったのでしょうが年端も行かない小娘が 「人生は旅だからぁ~」。 小癪にも心に残ってしまいました。 旅が好き、そして今までの人生も好きです。
選んだ道が思いがけない方向に行ってしまっても、それはそれで面白かった。

母は実父と離婚を決意して、九州の旅館を経営していた男性と再婚話があったそうです。 東洋思想が蔓延していた時代に3人の子持ちが望まれたとは不思議ですが、養父が押しかけてきて御破算になった。
そんなに魅力的な女性だったんでしょうか。 とっても信じられません。 母は真意を見せない人で、今はボケも混じり解明不可ではあります。

もし九州男性と再婚していたら、私も九州で育てられ・まったく違う人生になっていたでしょう。 でも性格は変わらないと思うので・大人の顔色を伺いながら・環境を見渡しながらも我を通し、良くも悪くも身勝手に生きていたと思います。

自分が幸せじゃなければ、人様に良くできない!
人様に良くできるように、幸せを求めて旅を続けます。

正月それぞれ

2013-12-20 12:24:17 | Weblog
クラスメートのY子さんが 「クリスマスやお正月は大変・家族だけじゃなく親戚まで来るの」 と言うので 「引退宣言したら?」。

母の70代は元気いっぱい。 料理は得意で手早いから、お正月は何の疑いもなく実家に集まってお祝いしていました。 ところが 「もう正月の支度はできないので長男一家に任せる」 と突然の宣言。 数回ほど兄宅に集まって結局は気に入らなかったのか 「各自自由にすること」。 それがエスカレートして 「これから正月はお父さんと2人だけで温泉宿に行く」。 父は 「老いたら妻に従う」 方針だったので、伊豆方面や近場の宿を早めに予約していました。 私は犬と姉のお守りで留守番役。 兄一家5人も気楽にマイ正月をしていたようです。 

父が亡くなってから母はどこにも行きたくなくなり、一応は正月料理を用意したが、作ったものは雑煮ぐらい。 これから高齢化に未婚化が進み、1人正月をする率30%強になるそうであります。

Y子さんは 「主人と2人だけで温泉なんかつまらないし、料理が好きでみんな喜んでくれるから・・・」
まぁ好きにしてください。

旅が大好き

2013-12-19 13:09:54 | Weblog
パク・クネ大統領のことを 「クレイマーおばさん」 「告げ口外交」
何かと批判されているようですが、「女はダメ!」 「大人のカレシが必要」 とか、東洋発想は悔しいですね。 私は、裏でオジさん達に操られている気がしてならないのですが・・・政治は独裁国家じゃない限り1人じゃできないし・・・中国に対しては子分根性が染み付いているのが最大の問題だと思いますが、難しいことは分かりません。
せっかくお友達になれたのに、このまま進まないように願うばかりであります。

今年はNYにハマり来年も引きずって行くつもりですが、韓国のようには気軽に行けない。 費用も時間も5倍はかかる。 元気をもらえるけど、元気じゃなければ楽しめない。 遠いだけで本気の不安を伴うのはお年のせい (東洋は甘えさせてくれるし)。 

やっぱり旅が大好き。 今年はイチローのおかげでNYまで行くことができました。 自分で自分を年寄り扱いして遠出はムリだと決めつけていたけれど、まだもう少し大丈夫かな? ひしひしと押し寄せる感動の旅は 「生きてて良かった!」 と思うほどです。
旅と出会いはキッカケが必要ですね。 無理が可能になります。

何でもあり!

2013-12-17 12:31:31 | Weblog
病院から帰り道に近況報告のために飲み屋さんに寄りました。

「NYのポリスに道を聞いたら、アゴで方角を示されたよ」 と言ったら
H君は 「それは差別じゃないか」 「自分もイギリスで差別を感じた」
し~ん。 次の話題に移りました。

私はアメリカで暮らしていたとき、差別は感じなかった。 あったのかもしれないが、「変な人・感じ悪いなぁ」 で済んだと思う。 日本人同士でも上からモノを言うヤな人・見るからに育ちと現況が不幸そうな底意地悪い人もいるし。

だんだん思い出してみると、NYは 「人を甘やかさないし甘えない」。
100歳ぐらいのお年寄り(白人女性です・念のため)が地下鉄にヨロヨロ乗りこんでも、誰も席を譲らなかった。 覚悟の上で公共乗り物に乗ってきたんでしょ!って感じ。 私も遊び疲れた幼い息子を抱いて大荷物を持っていても、席を譲られなかった。 昔の話で平和な今は違うかもしれないが、基本精神は変わっていないのかな。
いっぺんに3人は倒せそうな大柄ポリスは、街を守るため。
道に迷ったら、暇そうな住人に聞くこと。

HISの長年住んでいる地元スタッフは 「この街は何でも有りうる」
年寄りだからと甘やかされないのは、良いのか悪いのか迷いますなぁ。
(年寄り扱いされないのは、確かであります)

ケセラセラ

2013-12-15 12:25:01 | Weblog
脳梗塞で倒れたO君のお見舞いに行ってきました。
O君は私達が来る日を楽しみにしてくれて、「リハビリが終ってからロビーでずっと待っていたが疲れて病室に戻ったところです」 と奥さんに言われました。 実はこの奥さん、同じ高校の後輩であります。

O君が車椅子で登場。 少し痩せましたが、見るからに身なりを整え髪を撫で付けて顔色も良い。 ワッと喜んだけれど、そこは想像通り無言でした。 右手が不自由になり足も動脈が詰まって切断するかどうかまで言われたそうですが、幸いに回復途上。 口が利けるようになるまで、あの長島さんのように時間がかかると思います。

怖ろしかったのは、O君は定期健診もしっかり受けて血圧も高くなかったし健康であった。 ただし、喫煙者で不整脈の気がありました。
歯を磨いて寝床に行こうとしたときにパッタリと倒れた。 家族がいなかったら、どうなっていたでしょうね。 救急車を呼んでも搬送先が決まるまで、かなりの時間を要したそうです。

とにかく喜んでもらえて良かった。 でも倒れてから3ヶ月、あと3ヶ月で病院を出なければならない。 これからは通院リハビリになると思いますが、「若くて元気な奥さんで良かったね!」。
はてさて、私がパッタリ倒れたら、誰に何日後に発見されるのでしょう。
自由と孤独は隣り合わせ。 ♪ケセラセラ♪ 天に身を任せます。

病院見舞い

2013-12-12 12:09:10 | Weblog
みんなで相談して、脳梗塞で倒れた高校仲良し仲間O君のお見舞いに行きます。 ところはリハビリ病院、車椅子生活になってしまったので喜んでもらえるかどうか内心ヒヤヒヤでありますが、長期入院するそうだし奥さんの許可も得ました。

病院見舞いは久しぶりで、何を持って行こう?と話し合ったが、花を含めてジャマになるものより見舞金だけ!と決定。 男子側に迷いは無かったが女子側としては、お花はダメかなぁ・プリンとかヨーグルトは?
「好みじゃないかもしれないから様子を見よう」。

O君は4月生まれの同年齢、中堅企業の社長から会長にまでなった。 役がついた頃から忙しくなったけれど、年に数回の集まりには万難を排して参加してくれた。 付き合い良すぎるのが体に悪かったのか、上り詰めるまで相当の苦労があったと思います。

父は退社してから入退院を繰り返したが、母は友人・会社関係にいっさい知らせなかった。 母がまだ元気なうちは私と交代で父に付き添い、最後の入院になってしまった時は、私だけ弁当持参で1日付き添った。 どうしても理解できないが、兄夫婦にまで 「来なくて良い!」 と言ったのです。 父の悪ガキ時代の学友達は、さすがに嗅ぎ付けて病院に飛んで来たら・・・
病院ボケしたように見えた父は 「ちょっと待ってもらってくれ」 と言って、寝巻きでも身なりを正し鏡を覗いて薄くなった髪をとかした。 その様子は今でも目に浮かびます。 弱った姿を見せたくなかったのね。

さて・・・O君の反応は・・・今から心配。