···と、ドラマや映画で、拓哉が誰かを生きる度に思う
「何を演ってもキムタク」と批判することがカッコいいと思ってるような愚かな輩もいるけど
そんな愚かな輩でも、ちゃんと顔を知っているくらい知名度がある、ってこと
例えば「演じる役ごとに変わる」とか言って、そんなにメジャーじゃない俳優を
通っぽくカッコつけて誉めてみる輩もいるけど
メジャーじゃないからよく顔を覚えてなくて
全く違う人に見えているだけのことではないか、とさえ思う
あるいは、ポスターや番宣だけみて
ドラマ自体をみていないか、みていたとしてもあら探ししながらドラマの上っ面しかみてないか、とかね
そして、拓哉が演じわけて、全く違う人になっていることを
ちゃんと感じとることができない見る目がない輩が
愚かな己を認めたくないがために、有名人を貶して優越感を味わう
ってゆー、感じなんだろうと思うんだよね
島崎章が、ずっと島崎章で
拓哉なことを感じさせなかった
髪型とか衣装の感じだけじゃないんだよね
目が違うの、表情を作るときの筋肉の動きが違うんじゃ、って思うくらい
拓哉では観たことないような顔をする
女性を相手にすると、なんとも言えない色っぽい顔するけど
それも役によって違うんだよね、照れてる表情とかも、ね
脚本では描かれていない島崎章のストーリーが
拓哉の中には存在しているんだろうなぁ
全身で全力で、その役を生きる
そんな、ある意味ちょっと不器用な俳優、木村拓哉が愛おしい
以前なら、ドラマが終わると拓哉に戻った顔が
スマスマで観れたんだけど
スマコンでバリバリオーラの拓哉にも会えたけど
今は木村さ~~ん、で見るしかないのがさみしいな
島崎章にもまた会いたいけど
久利生公平にもまた会いたいな
さて、また、リピって観よう
拓哉、だぁ~~い好きっ‼️