清水哲男の「増殖する俳句歳時記」というお化けサイトがある。別にお化けが出るというわけではなく、超人気サイトなのだ。毎日一句掲載され、その解説が行われる。
1996年に始まったと言うから、もう12年である。最初の十年は清水氏一人でやっていたが、最近は、zouhai とリニュアルし、毎日担当者が変わるシステムになっている。
今日の一句が下記のものである。解説をしているのは、俳人で高校の先生をされている今井聖氏である。
客観写生の眼が太字斜体の部分、つまり「発見」と重なる。この事こそ、十分間俳句の趣旨である。俳句を書くことを通して、眼力を培えないかということなのだ。
深見けん二
薄氷の吹かれて端の重なれる
薄氷が剥がれ、風に吹かれかすかに移動して下の薄氷に重なる。これぞ、真正、正調「写生」の感がある。俳句がもっともその形式の特性を生かせるはこういう描写だと思わせる。これだけのことを言って完結する、完結できるジャンルは他に皆無である。作者は選集の自選十句の中にこの句をあげ、作句信条に、虚子から学んだこととして季題発想を言い、「客観写生は、季題と心とが一つになるように対象を観察し、句を案ずることである」と書く。僕にとってのこの句の魅力の眼目は、季題の本意が生かされているところにあるのではなく、日常身辺にありながら誰もが見過ごしているところに行き届いたその「眼」の確かさにある。 以下 略
今井氏は、これは、奇蹟のような句であると作者の発見を愛でている。私は、こうした「眼」は、作者の資質だけではなく、鍛錬の賜物であるだろう と考えるから、また、こうした眼は 俳句だけに生きるのではなく、人生全体に貢献すると考えるから、教育の中に俳句を取り入れてみようと思うわけだ。
「増殖する俳句歳時記」ぜひご覧下さい。