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孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

昔からあった「トレース」・・

2015年08月21日 | 日記
東京五輪のロゴのパクリ疑惑は、その後も彼の過去の作品にまで疑惑の目が向けられ、ついにデザイナー側が社員が他人の作品を「トレース」していた事を認めるに至ったようだ。


それにしても、盗用とかパクリではなく、「トレースした」とは、何ともオシャレな言い訳の仕方ではないか。

最近では、デザイン事務所が手がけた作品だけでは物足りないのか、ネットの世界ではデザイナーの容姿まで、お笑い芸人をパクッているのではないかと、「ネタ」にされているから面白い。



人の噂も七十五日、というからそのうち忘れられて、「そんなこともあったね・・」と言うようになるのがオチだろうが、朴李(パクリ)本家の中韓二国と同レベルなんだ、という印象を欧米に植え付けたとすれば、それは恥と考えるべきだと思う。



私が米国から帰国したのはもう30数年前のことになるが、東京に着いたとき街のアチコチから、ピコ・ピコという電子音が聞えてきたのを不思議に思った記憶がある。

何だと思って、一緒にいた友人と音のする喫茶店に入ってみると、サラリーマンたちがテーブルに100円コインを高く積み上げて、ゲームに集中している光景が眼に飛び込んできた。

噂には聞いていた「インベーダーゲーム」というもので、私はゲームそのものには何も関心がなかったが、「こんなものに夢中になる大人たち」には非常に興味が湧いたものだった。

その後も数ヶ月、我々の仲間内で言うところの「米国ボケ」が酷くて、何でもかんでもアメリカではこうだ、日本は遅れている・・と考えがちだった。

今思い出すと苦笑いしてしまうが、家の周りを散歩したときなど、水田の稲の苗が数十センチに伸びていたが、なぜこんなに間隔で植えるのだろう、もっと密植すればいいものを・・だから日本はダメだ・・とか真剣に思ったこともあった。

「ボケ状態」が治らず、何も手に付かずにいた時、テレビを見たら、その頃始まったばかりの「クイズ100人に聞きました」というクイズ番組が人気を博していた。


5人ずつ2組の参加者たちがクイズに答えて、賞品を争うクイズ番組で、例えば「都内の大学に通う学生100人に聞きました。答えは7つ。今やってみたいアルバイトと言えば何?」などという、実際に調査したかも定かでないが、大体こんな形式の問題をだされて、回答者は「家庭教師!」などと答えると、スタジオにいる観客たちが、「ある!ある!ある!・・」と大声で声援するのだ。



100人に中のその回答をした人数が得点になって、合計点で2組が競うゲームだった。それまでと画期的に違う番組だと思わせたのは、一つには「司会者の態度」が要因として考えられた。

親の七光りで俳優の道に進んだ関口某は役者の才能はまったく開花しなかったが、この番組の司会者に抜擢され、そのざっくばらんな態度が番組の売り物になり、一躍茶の間の人気者になったようだった。

実際、このクイズ番組以降、彼は役者の仕事などしなくなったようだが、そんなことより、私はこの番組を始めてみたときは大変驚いた。

なぜなら、それはそのままそっくり、当時私が滞米中に見たアメリカのクイズ番組の「パクリ」だったからだ。それは、「Family Feud」(ファミリー・フュード」と言うタイトルのクイズ番組で、Feud とは、feudalism (フューダリズム)つまり、封建主義から派生した言葉で、「不和」とか「抗争」といった意味である。

言い換えれば、「家族争い」というクイズ番組になろうか。私がこの番組を滞米中に見たときの印象は、やはりざっくばらんな司会者の態度と進行の仕方であった。テーブルの片手をついて、気さくに解答者たちに話しかけジョークを飛ばす雰囲気は、実にアメリカっぽくて、好きだった。



関口某という司会者も、このままのカタチを真似して、テーブルに肘をついて、腰に片手を載せて偉そうに話して、オリジナルを「トレース」していた。

この番組を見たとき、「何だ、こりゃ・・・」と吐き気を催すような嫌悪感と共に、強い失望感を感じた記憶が鮮明に私の脳裏に焼きついている。

どうも、このことが原体験となって、私はそれから以後、ずっとこの俳優崩れの男が嫌いであり続けているようだ。

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