孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

忠臣蔵、名場面。

2015年12月06日 | 日記
師走に入り、今年も残すところあと4週間を切った。

あのバカバカしいハロウィン騒ぎが終わったと思ったら、今度は世間はクリスマス一色になる。

しかし、私が毎年、年の瀬を感ずるのはクリスマスでも紅白歌合戦でもなく、それは「赤穂浪士」である。「ああ、今年も12月14日がやってきたなあ、と感慨深くなるのである。

忠臣蔵の話には、討ち入りまでいろいろエピソードがあってテレビドラマや映画でも、扱うエピソードはまちまちである。私の好きなエピソードは、赤埴(あかばね)源蔵の「徳利の別れ」や岡野金右衛門の「絵図面取り」、そして「南部坂雪の別れ」である。



「徳利の別れ」は、討ち入りが決った赤埴源蔵が兄に別れを言いに来たのだが、あいにく留守であったため、義理の姉に兄の羽織を拝借したいと申し出て、その羽織を相手に一人で酒を酌み交わして、別れを惜しむという名場面だ。

「絵図面取り」は、吉良の屋敷の絵図面を手に入れようと、岡野金右衛門が屋敷の絵図面を持っている大工の棟梁の娘に近づき、色仕掛けで(本気だったのか・・)見事絵図面を手に入れる話。

そして、「南部坂雪の別れ」は、大石内蔵助が、野内匠頭の未亡人・瑤泉院(ようぜいいん)に最期の挨拶に向ったところ、下女の中に見慣れない顔の女がいることを察知した内蔵助は、吉良のスパイだと用心し、討ち入りなどまったく考えていないと嘘をつき、藩の資産使途の明細だと、巻紙を手渡して帰った。



瑤泉院は、内蔵助は情けない男だと落胆するのだが、その夜、巻紙が実は討ち入りの連判状であることが判り、内蔵助を非難したことを涙をながして悔やむのだった。

他にもたくさんの話があるが、私のナンバーワンは、「垣見五郎兵衛」との掛け合いである。

討ち入りの武具を携えた内蔵助一行は江戸を目指して箱根の宿まで来た。その頃、日野家用人の垣見五郎兵衛の一行が江戸に向っているという情報を得て、垣見五郎兵衛とその一行だと名乗って宿に泊まった。

運悪く、本物の日野家用人、垣見五郎兵衛一行が同じ宿に到着したので、宿屋の主人は困惑して、「すでに垣見様は到着なさっている・・」と本物に言ったので、本物の垣見は逆上してそいつに会わせろと言うのだった。

大石の部屋に入って、向かい合った二人は、お互いに自分が垣見五郎兵衛であると主張する。垣見は、「お主が本物の垣見五郎兵衛なら、関所の通行証を持っているであろう。それを拝見したい。」と申し出た。

すると、内蔵助は落ち着き払って、木箱から書状を取り出し頭を下げて垣見に差し出す。垣見はそれを受け取り、中身を確認すると真っ白で何も書かれていない。驚いて内蔵助の顔を見た垣見は、脇に置かれた行李の蓋に書かれた浅野の家紋である、丸に鷹の羽に目が留まった。

隣の部屋には、バレた場合は垣見を切り捨てようと、同行の赤穂浪士たちが刀に手を掛けて息を殺している。



垣見は、浅野の家紋からすべてを察し、「確かに通行証を拝見した。これで偽者は拙者の方だと言うことが明らかになった訳だ。お名前を騙りましたる段、ひらにご容赦を」と謝った上、「拙者が用意したニセの通行証は、どうか貴殿が処分してくだされ」と言って、本物の通行証を内蔵助に手渡すのだった。

内蔵助は本物の通行証を恭しく受け取り、深々と頭を下げた。

垣見五郎兵衛は、「御武運をお祈りしますぞ。」と心で呟いて部屋を出て宿を引き揚げるのだった。テレビだったか映画だったか忘れたが、内蔵助を里見幸太郎が演じ、垣見五郎兵衛を西田敏行が演じていたのが良かった。



困り果てた宿屋の主人が立ち去ろうとする本物の垣見五郎兵衛に向って、「あのぉ・・、一体どちらが本物の垣見様でございましょう・・。」と言うと、垣見は、「男前の方が本物に決っておろうが!」と言い放って立ち去るところが面白く記憶に残っている。

以前は、この時期になるとよくテレビで「忠臣蔵」を放送していたものだったが、昨今はなぜかさっぱりだ。忠臣蔵に対する愛着がなくなったとしたら、実に残念なことであると思う。


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