はぶて虫のささやき

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(旧:はぶて日記)

映画評1108 ~ ドミノ

2023-10-27 | 映画評
今日は「ドミノ」です。

ベン・アフレックと「アリータ バトル・エンジェル」のロバート・ロドリゲス監督がタッグを組み、行方不明になった娘を探す刑事が“絶対に捕まらない男”を追い、事態が二転三転していく様子を描いたサスペンス。
アフレックが主人公の刑事ダニー・ロークに扮し、“絶対に捕まらない男”を「クラッシュ」「ブラックホーク・ダウン」など様々な大作・話題作で活躍するウィリアム・フィクトナー、占い師のダイアナを「エリジウム」「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」のアリシー・ブラガがそれぞれ演じる。

主演:ベン・アフレック
共演:アリシー・ブラガ、J・D・パルド、ハラ・フィンリー、ダイオ・オケニイ、ジェフ・フェイヒー、ジャッキー・アール・ヘイリー、ウィリアム・フィクトナーなど


<ストーリー>
公園で一瞬目を離した隙に娘が行方不明になってしまった刑事ロークは、そのことで強迫観念にかられ、カウンセリングを受けるようになるが、正気を保つために現場の職務に復帰する。そんなある時、銀行強盗を予告するタレコミがあり、現場に向かったロークは、そこに現れた男が娘の行方の鍵を握っていると確信する。しかし男はいとも簡単に周囲の人びとを操ることができ、ロークは男を捕まえることができない。打つ手がないロークは、占いや催眠術を熟知し、世界の秘密を知る占い師のダイアナに協力を求める。ダイアナによれば、ロークの追う男は相手の脳をハッキングしていると言う。彼女の話す“絶対に捕まらない男”の秘密に混乱するロークだったが・・・


予告編を見た限りでは、どんな映画なのかよくわからなかったのだけど、実際に見てみて、さらに「わけわかんねえ!」映画だった。

内容としては「インセプション」みたいな感じだけど、「インセプション」が相手の夢に忍び込んでアイデアを盗み取ろうとするものだけど、今作は「ヒプノティクス」という能力を使って「脳をハッキングする」という設定になっている。

ところが、この「脳をハッキング」というのがよくわからなくて、主人公ロークから誘拐された彼の娘(実際はローク自身が娘を隠したもの)の居場所を聞き出すために、デルレーンをボスとする組織がいろいろと画策するのだけど、やっていることが意味不明だ。

脳をハッキングできるのだから、直接脳から記憶を取り出せばいいと思うのだが、実はロークは自らの記憶を消している。

えっ?

じゃあ、記憶がないのだから、居場所なんかわかるわけないじゃん、と思うはずなのだが、組織がやっていることは、ロークの記憶を取り戻させること。

「記憶を消した人の記憶を取り戻す」って、どういうこと?

しかも、組織がロークに対してやっていることは、ロークの記憶に直接働きかけるのではなく、体育館のようなところに机とパソコンを並べた組織の連中が、広い敷地の中にセットを作って、その中でロークに幻覚(虚構)を見せて、その中からヒントを得ようとするもの。

つまり、冒頭から終盤までの出来事は、すべて虚構であって、ロークはただその中で動き回されているだけ。

だから、ロークの仲間と思われていた刑事の同僚も、その後同じく「ヒプノティクス」の能力を持つが組織から脱退したという占い師(催眠術)のダイアナも、すべて組織の人間であり、みんなでロークを騙していたわけだ。

しかも、ローク自身がその組織の一員だったわけで、ロークと実は奥さんであるダイアナとの間にできた娘が、相当強力な能力を持っていることがわかったため、組織がその能力を利用しようとしていることを阻止しようとして、ロークが娘を隠した、というのが真相である。

う~ん、設定としては何となくわかるような気はするのだけど、となると不審な点がたくさんでてくる。

ロークとダイアナが逃げまわっている時に、組織がロークに対して、ダイアナを電話で殺させようとしたのはなぜ?

ロークがなぜか命令に従わなかったからよかったものの、これもあらかじめ仕組まれたことなの?

だとしたら、ここはまったく不要なシーンで、ただ単に「ダイアナはロークの味方だよ」と観客を騙すためだけのシーンであるとしか思えない。

さらに、ロークが娘を隠したところは、かつてお世話になった養父(里親)であるメキシコ人のところなんだけど、こんなの人の脳をハッキングする・しない以前に、調べれば簡単に割り出せるだろう。

まったく探さなかったのはなぜ?  組織って自分で考えることのできないアホばかりなの?

とにかく終盤までの出来事が、すべて虚構だということで話は進む上に、すべてが後出しジャンケンのようでスッキリしなかったのだが、ラストで一応の結末を迎える。

ロークとダイアナの娘が、時間が経つことにより能力を自分のものにするようになったため、逆に組織の連中を騙して、お互いに殺し合いをさせ、デルレーンには自らを撃つように仕向けて殺し、無事ハッピーエンドを迎える・・・・

・・・と思っていたら、エンドロール後に再び映像が流れ、死んだと思われていたデルレーンが、直前に養父と入れ替わっていたので、彼だけ無事だったというシーンが流れる!?

はあ???

「ヒプノティクス」って、人の脳をハッキングする能力であって、相手と瞬時に入れ替われる能力ではない。

それが、どうして自分だけ助かることができたの?

だいたい、デルレーンに自害させたと思っていたら、実は養父と入れ替わってましたって、強力な能力を持つ娘なら、すぐに気が付くだろ?

そんな娘も騙すことができた、というのであれば、同士討ちさせる前に、その能力を使えばいいだけ。

何のために、こんな意味不明なシーンを追加したのか、さっぱりわからない。

このシーンこそまったくの蛇足で、このせいで物語そのものが意味不明になっている。

監督は、「ヒプノティクス」の設定をすっかり忘れていて、ただの(?)超能力だと勘違いしてないか?

ゼッタイそうに違いない!

ネットでの評価もいろいろあったけど、海外ではかなり不評だったのは、こういういいかげんな展開のせいだと思う。

ということで、年末にもう一度振り返ってみたいので、評価はちょっと厳しく「D」にします。

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