この週末は、1年間の山村留学:暮らしの学校「だいだらぼっち」の感謝祭。
だいだらぼっち祭り、という。
30回目を迎える。
ということは、やはり今年は30周年なんだな、と改めて感じる。
この祭りは、30年前に、当時の母屋の棟上げを祝して開催された。
当時の母屋は、こどもたちの手作りだ。
来る日も来る日も作業にいそしみ、半年かけて建設した母屋は、立て替わるまで、こどもたちの、いや、われわれのシンボルだった。
新しい母屋に立て替わって10数年になるが、その母屋の魂は今に引き継がれている。
今年の祭りも、卒業生や保護者、村の人々など120人ほどが集まった。
私たちの教育活動を支える強い想いが、全国から持ち寄られた。
夜は、持ち寄りおつまみとそれぞれの近況を肴に、これまた持ち寄りのお酒をおいしくいただいた。
しかも朝方まで。
▼恒例の「だいだらぼっち劇場」。もう、ほんとにすごい演技だ。
▼五平餅でおもてなし
▼いつも変わらぬこの雰囲気
この祭りは何がすごいかというと、1泊2日の企画運営すべてをこどもたちが手掛けること。
うまくいかないことも多かったけれど、そんなごちゃごちゃが心地よいのだ。
こどものたちの場は、常に混沌としている。
スッキリ整理されてしまっては、不自然というものだ。
こどもたちが、自然体で遊び、語り、悩み、笑う場。
そんな場が、過去も、今も、そして未来にも、求められているのだろう。
だいだらぼっちの母屋こそ、その「場」なんだと想う。
▼団結踊り
秋晴れの空の下に歓声が響いた。
恒例の「団結踊り」も、30本締め、である。
代表 辻だいち
だいだらぼっち祭り、という。
30回目を迎える。
ということは、やはり今年は30周年なんだな、と改めて感じる。
この祭りは、30年前に、当時の母屋の棟上げを祝して開催された。
当時の母屋は、こどもたちの手作りだ。
来る日も来る日も作業にいそしみ、半年かけて建設した母屋は、立て替わるまで、こどもたちの、いや、われわれのシンボルだった。
新しい母屋に立て替わって10数年になるが、その母屋の魂は今に引き継がれている。
今年の祭りも、卒業生や保護者、村の人々など120人ほどが集まった。
私たちの教育活動を支える強い想いが、全国から持ち寄られた。
夜は、持ち寄りおつまみとそれぞれの近況を肴に、これまた持ち寄りのお酒をおいしくいただいた。
しかも朝方まで。
▼恒例の「だいだらぼっち劇場」。もう、ほんとにすごい演技だ。
▼五平餅でおもてなし
▼いつも変わらぬこの雰囲気
この祭りは何がすごいかというと、1泊2日の企画運営すべてをこどもたちが手掛けること。
うまくいかないことも多かったけれど、そんなごちゃごちゃが心地よいのだ。
こどものたちの場は、常に混沌としている。
スッキリ整理されてしまっては、不自然というものだ。
こどもたちが、自然体で遊び、語り、悩み、笑う場。
そんな場が、過去も、今も、そして未来にも、求められているのだろう。
だいだらぼっちの母屋こそ、その「場」なんだと想う。
▼団結踊り
秋晴れの空の下に歓声が響いた。
恒例の「団結踊り」も、30本締め、である。
代表 辻だいち