before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

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しまった。

2012-06-24 18:48:35 | 日本での暮らし・考える事・思う事

ブログを更新しなさすぎて、テンプレートが勝手に初期化されていたー

このところFacebookのみ使っていたので、ブログをすっかり更新していませんでした。

2月末から仙台に異動になり、主任に昇格して、復興支援関係の仕事を担当しています。

毎日深夜残業できついですが、あたしゃ、今、東北でがんばっとります!

という近況報告まで!(^^)

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またまた石巻にいってきます。

2011-10-09 02:23:18 | 日本での暮らし・考える事・思う事

タイトルの通りです。

地震後 東北に行くのは今回が3度目。
もっと行きたいけど 仕事の忙しい時期は東京を離れられないので。。。

今は繁忙期の一歩手前。
少しですが余裕があるので行ってきます。

今回は 瓦礫撤去、泥撤去などのハード面でのボランティアではなく
メンタルケアや地域の人の手による地域コミュニティ復興のアイデアシェアといったソフト面のボランティアです。

私の協力隊の同期コロンビア派遣の友人が 今働いているNPOの活動です。
http://www.standup2015.jp/event/ishinomaki.html

それをお手伝い(役に立つのかどうか、、、)しにいくというか、私自身もお勉強させていただくつもりで行きます。

今日は そんな関係で 東大に震災関係のシンポジウムを聴きに行ってきました。
非常に興味深かったです。

東北以外の地域に住む人は、まずこういうシンポジウムやセミナーに足を運んで ご自身の情報をアップデートし
引き続き東北への意識を向け続けることが大事かなーと思う今日この頃。

また帰ってきたらシンポジウムのお話をアップします。

祝日の日曜日、月曜日に ボランティア休暇を一日プラスして火曜日まで行ってきます。
寒そうだなあ。東北。

仮設住宅の人、寒くってしんどいだろうなああ。。

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ミャンマーでの事件と坂本竜馬

2011-10-01 02:56:57 | 海外ニュース

びっくりしました。。。

ミャンマーで、、、しかもあの平和なバガンで あんなことが起きるなんて。信じられません。
もちろん、世界各国でこういう事件は起きています。
でも自分はバガンがどういう場所か知っているだけに にわかには信じがたいのです。

ニュースですら 「ミャンマー国において外国人観光客が犠牲になる事件は稀」と報道していますから、、、


私は ミャンマーが大好きです。

私だけでなく ミャンマーに行ったことがある人のほとんどが この国を好きになります。

第二次世界大戦時 日本軍の作戦で最も無謀で悲劇的な結果を迎えたといわれるインパール作戦でミャンマーに出兵し
あの「白骨街道」を体験した人でさえ、日本に帰還後 現地でのミャンマーの方々の優しさを思い出し
ミャンマーに再訪される方も多いと本で読んだことがあります。もちろん、帰らぬ人となった戦友を偲ぶことが一番の理由ではあるかと思いますが。

とにかく、

ミャンマー という言葉を聞いて

一般の日本人は

・かつてはビルマと呼ばれていた
・軍事政権
・アウンサン・スーチー

この3つのキーワードしか思い浮かばない人が かなり多いのかなと思います。

某大国から経済制裁もうけていますし 国内の様子(政治や事件以外の一般的な様子)がなかなか世界に発信されないので

「謎の国」「ちょっと こわい?国」 

というイメージがある人もいると思います。

でも ミャンマーに住んでいる人たちは そんなイメージとは全く別な方たちなのです。

確かに 軍事政権のみならず 多民族国家なので民族問題もありますし まだまだ解決していかなくてはならないことが山積みですが
軍事政権がすすめている民政移管はすごい勢いですすんでます。
昨年20年ぶりに行われた総選挙以降 政府は少しずつ民衆に歩み寄っています。
つい最近(昨日)イラワディ川のダム建設の国家事業は 民衆の意向を反映していなかったとして大統領がその建設を急遽ストップさせましたし。
(このダム建設に出資し利益を得る予定だった某国がどう反応するかはわかりませんが、、、)

そして 何より

ミャンマー人の国民性つまり
古き良き日本人が持っていたであろう
 「心の美しさ」「敬虔さ」「他者に対する優しさ」は
上記の様々な課題を抱え続けているこの国の歴史に左右されずずっと 変わらず在り続けているのです。

これは きっとミャンマーに行ったことがある人、もしくは日本でミャンマーの方と交流をしたことがある人にしかわからないかもしれません。

私も 一応 20才から世界各国を回っていますが その中でもミャンマーの人の優しさと笑顔はトップレベルだと思っています。


なのに

今回のようなたった1人が起こした事件で 大きくその国全体の印象が変わってしまうことがある。

私などは、1つの事件で ミャンマーのイメージが変わってしまう程度の浅い関わりではないので
 「どの国にも悪い人もいれば いい人もいる」と思うにとどまりますが 
ミャンマーを知らない人にとっては 「危ない国だ!」としか思えなくなってしまう人もいるかもしれません。

それが 残念です。

たった1つの事件、たった1つのミス、たった一つのボタンの掛け違いが 国と国との外交を大きく左右してしまうこともある。

今は 国と国をつなぐ仕事の一端を担っているので 自分も身が引き締まる思いでした。

仕事上に限らず 国家関係、人間関係で 一度失った信頼を取り戻すのは本当に難しいと思います。

でも一度 失った信頼を 再度取り戻せたら きっとその信頼は以前よりも数倍 強固なものになっているはずです。


今日 ミャンマー人の知り合い達からさっそくメールがきました。

「事件のことを知りました。自分の国で起きた悲しい出来事、
なんとお詫びしていいかわかりません。日本の皆さんに本当に申し訳ないと思っています。私自身も非常にショックです。
 このようなひどいことが起き 本当に悲しく そして皆さんに申し訳ないです。」

という内容が つづられていました。

なんだか、、、、感動しました。

自国で邦人が事件に巻き込まれたことに対し このような「お詫び」のメールをしてきてくださったのは ミャンマー人が初めてでした。

この事件はミャンマーだから起きたわけではない。
世界各国 どこにいたってこういう事件に巻き込まれる可能性はあるのです。
日本にいるほうが その危険性は高いかもしれません。

それでもこうやって 「自分が日本に行った時、みなさんは誠心誠意 つくしてくださった。だから自分もそれに応えたい。」と
あたたかい心をとどけてくれる。

私はやはり ミャンマーの方たちが好きで、もっともっと知っていきたいと思っています。

そして国のために毎日一生懸命がんばって いろいろ活動している同世代のミャンマーの方たちを間近にみると
自分もがんばらねば
と思うのです。

日本のような国には やはり「自分の国を良くしよう」という切実な思い、ハングリー精神が欠如してしまっていると思います。
BRICsの1構成国であるインドや、大きな社会的な変革期を迎えようとしているミャンマー。
そういう国の方たちと 日々仕事で接していると

根本的な 「エネルギー」の差を感じます。 つまり 日本のパワーはとても低い。対してインドやミャンマーは「これからだ!必死の思いで 向かっていくぞ!」という思いを感じるのです。

「日本の夜明けぜよ」

という 坂本竜馬の言葉が思い出されます。

今は

「インドの夜明けぜよ」「ミャンマーの夜明けぜよ」

とくに後者は社会的な変革期を迎えようとしているので まさにその通り。

一国の 歴史に残る大きな過渡期を間近で見つめることができることは本当に刺激になる。

目が離せません。

私は 多くの日本人にとっていまだ「未知の国」であるミャンマーの情報を もっともっと伝えていきたいなと思う今日この頃なのです。

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夏の思いで③ミャンマーを旅する

2011-09-24 01:31:30 | 海外旅行・短期海外滞在

ミャンマーに行ってきますた。
8年ぶり 2度目のミャンマーです。

夏休みと振休みと土日をくっつけて10日間の旅なのです。
久しぶりのLong tripなのです。
もちろんスーツケースやキャリーバックではなく、バックパックを背負った旅なのです。

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何故 ミャンマーかというと、実は直近で担当した仕事が ミャンマーの案件だったからです。

この仕事、今までの中で一番準備期間が短く、テーマも難しかったので、
朝の4時まで働いたり、2時間しか寝ないで事前打ち合わせの出張に行ったりして本当に大変だったけど
結果 「大成功」だったし この仕事やっててよかったって思えた案件でした。

そしてそのプロジェクトを通して、たくさんのミャンマーの方々と知り合い、
一定期間一緒に過ごし、いろんなことを学びました。
優しさ、笑顔、礼儀正しさ、複雑な国の状況、思いやり、、、、などなど

そして すっかりミャンマーのファンになりました!
8年前、学生の時に訪れた時も ミャンマーの人々の優しさに触れ 大好きになったけど
今はそれ以上です。

ということで、同僚1名とバックパック背負いミャンマーに行くことにしたのです。

現地では 一緒にその案件を担当した同僚のミャンマー人の友人に あれこれ手厚くお世話をしていただき 
本当に最高の旅でした!その友人には心から感謝しています。

ただただ、もう 楽しかった! 

私が旅に求めるもの、「楽しい」と思うのに必要な要素は
1.現地の人と たくさん関わって たくさんの笑顔に出会う
2.文化、歴史、宗教を学ぶ
この二点が旅には必要不可欠。

今回はミャンマー人の同僚のおかげで もうこの二つが旅にたくさん盛り込まれて
最高でした!

今の仕事をしていなければ 出会わなかった同僚。
出会わなかったミャンマーの方々。
そして 増えることのなかった知識。

感謝感謝です。


ミャンマー、お勧めだけど、秘密にしたい(人気が出すぎると困る 笑)国です!

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◆行った場所

①ヤンゴン

②バガン

③ミャウンミャ (友人の実家がある)

①ヤンゴン

(シュエダゴンパゴダ @ ヤンゴン)

②バガン

(世界遺産バガンのパゴダからの眺め @バガン)

③ミャウンミャ

(ミャウンミャののどかな風景@ミャウンミャ)

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◆絵になる風景◆


(雨上がりの街 @ ヤンゴン)



(緑の中の微かなピンク @ ミャウンミャ)


(ポップでキッチュなディスプレイ @ヤンゴン)


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◆私好みなキッチュな神様たち◆


(迫力満点 @ スーレーパゴダ ヤンゴン)


(木曜の仏陀onガルーダ @ シュエダゴンパゴダ ヤンゴン)


(たくさんの仙人 @ シュエダゴンパゴダ参道 ヤンゴン)


(「お捨てなさい。。。」 @シュエダゴンパゴダ参道 ヤンゴン)


(Yes we can! @シュエダゴンパゴダ ヤンゴン)

**********************************************************
◆粋な車と電車◆


(みどりのくるま @ バガン)


(ミャンマー語のナンバープレート@ ヤンゴン)


(自然とくるま @ ミャウンミャ)


(ながくつづく線路 @ヤンゴン)

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夏の思いで② OLらしいラグジュアリー旅行

2011-09-18 13:39:43 | 日本国内旅行

今年の夏は もりだくさんです。

今年は 職場の同僚の お姉さまたちに誘われ 週末を箱根の会員制リゾートで過ごしました。

2泊3日のプチ旅行ですが 

1泊目 http://www.resorthotels109.com/hakone-hisui/

2泊目 http://harvestclub.com/Un/Hotel/Hs/

と宿を変えるという贅沢さ。 何が贅沢って、この二つの宿はどちらも会員制で 実は同じ敷地内にあるのです。
1泊目と2泊目で宿を変えなくてもいいといえば いいのですが
敢えて二つの宿を楽しむという贅沢さ!

↓ 1泊目の宿 これに和室4畳と 露天風呂が部屋のベランダに(写真撮るの忘れたーー!)ついていたよ!!!



1泊目の宿では まず大浴場の温泉露天風呂に入りにいって ゴロゴロして そのあと 「福風」(URLこちら) という和食屋さんにいって
むちゃくちゃおいしい鯛のお刺身丼と天ぷらを食べて~
今度は 部屋についている露天風呂に入りました。

部屋の露天風呂に入って パジャマを着て パウダールームから出ようと思ったら、

「ダダダダダっ!!」という 足音。

ん?
きっとお酒好きの同僚のおねえさんが 冷蔵庫に入れておいたカルピス梅酒をとるためにテンションあがって冷蔵庫まで走ってるんだろうな と思っていると

「きょうこちゃーーーん 大丈夫?」 と別のおねえさんの声。

「はーい! 今出ますー」といって 扉をあけようとすると

ガコガコっ!

扉があかない!

鍵がかかる扉じゃないのに?!

はっはーーーーん

さてはイタズラ好きのお姉さんたちが私を閉じ込めて遊んでるな?! と思い

「あーけーてーくーれえーーーー」 なんてふざけて扉を力づくであけようにも 同い
年の同僚が必死で押さえていてあかない。

えーー 何? なんすか? もうみんな酔っぱらってるの?!

3分後ようやく扉が開いて リビングに行くと部屋が真っ暗。

その真っ暗の中には、、、

まあ バースデーケーキが

私のお誕生日を 同僚の美女たちが お祝いしてくれたのでした 

ありがたやあ~ ありがたや~

翌朝はこれまた ゴージャスにルームサービスでブランチ!!!



隣接した宿に移動して チェックイン。
さっそく この宿の温泉を堪能し またゴロゴロ ゴロゴロ。
おねえさんたちは マッサージを受け おしゃべりをし のんびーり まったーり 過ごしました。

台風真っただ中の週末だったので 外には出れずホテルに缶詰めだったけど
ホテルが豪華なのでまったく退屈せず おいしいコーヒーなど飲みながら
日ごろの仕事のストレス、疲れを 癒しました!

この日のお夕食は グレイン (URL こちらというおしゃれなビストロで
ここで食べたお料理がこれまたサイコーー!自家製パンもおいしかったああーーーー

夜遅くまで おしゃべりは続き 翌朝はチェックアウトギリギリまで寝て 朝の温泉を楽しみました。

この日のブランチは ラリック美術館のカフェ (URL こちらで これまた おシャレにいただきました

おそらく
こんなに OLっぽく ラグジュアリーで 大人な時間の過ごし方をした旅行は人生初でございました!!!

職場のお姉さま達は お美しく 素敵な方たちなので 非常に乙女度がアップした二泊3日でございやした。

みな同じ職場なので 深夜残業ばかりの毎日で 肌荒れ クマ 全身疲労 という同じ悩みを抱えているので

同じリズムでのんびりできて 本当に 体力回復することができ

一日に3回は温泉に入ったのでお肌がツルツルになりました!

クマのない ツルツル顔 を久しぶりに見ました(^^)  私だけでなく みんなのツルツル顔も(笑)

繁忙期を乗り越え 10月からの第二次繁忙期に備え 自分たちへのご褒美ができた旅でした。 たまには こういうラグジュアリーな旅行もよいものですね

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夏の思いで① 愛しの松本くん

2011-09-17 22:46:33 | 映画とか 音楽とか 本とか 絵とか

ついにキターーーッ!!

一年ぶり、
待ちに待った あの人との再会!!

そう、男の中の男!トータス松本の野外ライブです!

2009年夏 ウルフルズ解散ライブ 「ヤッサ09」
2010年夏 Rock in Japan Fes 二日続けてトータス出演

そして 今年は

2011年夏 「歌う!トータス松本烈伝」

http://www.harima-web.jp/gallery/2011/09/retsuden.php/#maintop
 http://www.tortoisematsumoto.com/news/2011/08/-presents-4.php


に 行ってきました!

トータスの夏のライブに行くのも今年で三年目。

夏が来れば 友人ナゴと トータスに会いに行くのは もう当たり前のような習慣となりつつある。



はーーーーーーーーーっ!!!!!

今年も やっぱ かっこよかったっす!!!!!!!

なんすかね。
あのソウルフルな声!!
おもろいトーク!!

好きです! 大好きです!!



もう 踊りまくり 跳ねまくり 騒ぎまくり 歌いまくり で へとへとな一日でしたが

もーーーーーーー 楽しかった! サイコーーーに 楽しかった!!

天気が悪く途中で大雨になったんだけど、

トータスが
 RCサクセションの「雨上がりの夜空に」を 雨の中いきなり歌いだして

びしょぬれになりながら
 「どーしたんだ!! Hey Hey BABY!!」 と 飛び跳ねて 踊りまくって 
もーーーーーキャーーーーって感じで


惚れました!

あんたに 惚れた!! 

かっこよかったーーーーー

やっぱ 忌野清志郎をリスペクトしてるアーティストは かっこいい!
奥田民生とか 斎藤和義とか ハナレグミとか UAとか 泉谷しげるとか、、、そして もちろん トータスとか!!!

アンコールが二回あって、

最後の曲は 私がトータスを好きになったきっかけの曲 「笑えれば」でした。

浪人時代 つらくって 精神的に折れそうだったとき 偶然テレビでこの歌を聴いて 涙がボロボロ落ちながらこの曲を聴いて
励まされた。

JOCVに2回おちたときも

事故に遭った時も

人生のつらい節目で励まされた歌。

トータスは 

東北の地震で つらい思いをした人、大きな被害を受けた地域、そして東北だけでなく日本全体がつらく悲しい状況にあるけれど
それでも やはり ぼくたちは前に進んでいる。 この曲を聴いて みんなで前にすすんでいこうやないか!!

みたいなことを 言って 歌いだした。

東北のボランティアとかで感じたこととかも重なり

あたしゃ泣きました。

「誰もがみな いつも 満たされない思いを 胸の奥に抱いたまま 歩き続けていく

 とにかく笑えれば 最後に笑えれば 今日一日の終わりに ワハハと笑えれば」




そう 人生なんて 苦しいこと いやなこと なっとくいかないこと 理不尽なことの 連続だけど
一日の終りに ワハハって笑えれば それは最高の幸せ。

お金があっても ワハハって心から笑えなくっちゃ 不幸せ。
お金がなくても ワハハと心から笑えることができるハートがあれば 幸せ。

そしてそして  最高傑作 「ハッピーアワー」 !!!




「あたらしい朝がきて 歩きだす 次の場所へ
負けへんぞ ちょっとやそっとじゃ  今日は昨日とつながっている」

なんちゅー いい歌じゃ!!!

東北のみなさん、 日本全国のがんばっている皆さん、悩んでいる皆さん、落ち込んでいる皆さんに
このハッピーアワー聴いてほしい!

いやーーーー 最高のライブだった!!!
大雨で途中 1時間くらい休止になって 私たちもずぶぬれになったが 予定終演時間を1時間半くらい過ぎてまで
たっぷりパフォーマンスしてくれたトータスにすっかり心奪われ

翌日 ナゴと 熱気冷めやらぬまま カラオケで RCサクセション  ユニコーン  ブルーハーツなどを熱唱!
しかし トータスの歌はトータスが歌わないと意味がないので カラオケでは歌わずでした。

夜行バスで東京にもどりましたが夜中 松本くんの歌声を聴いて過ごしました~

今年も 最高のハッピーアワーを松本くんとナゴとすごせて  バンザーーーーイ♪!!!

来年も トータスに会えるなら日本全国どこへでも行きます!

トータスありがとう!

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変なおともだち

2011-09-02 00:01:55 | 日本での暮らし・考える事・思う事

わたしの周りには 個性的で おもしろいおともだちが多い。

普通の社会人なら 躊躇してしまうことも

平気でやってしまう人が多い。

たぶん協力隊に行けばそういうエネルギーのある人と出会える確率が高いからだと思う。

8月30日は 私のお誕生日でした。

自分の誕生日を若干忘れていて
その日の仕事後に 本当に 「なんで敢えて誕生日に?!」と 人が聞いたら笑うような
くだらん用事を入れてしまった私。

ここ数年 誕生日は海外で過ごすことが多かったので
なんだか久しぶりに誕生日を国内で過ごす。
去年はカンボジアにいたなあー

久しぶりに国内で過ごす誕生日なので過ごし方がよくわからない。
だから なんとなーく誕生日だなーって思って一日が終わるのかなーなんて思って

職場の同僚と ランチタイムにCoCo壱でカレーを食べてたら

職場の近い Kりんちゃん(トンガの協力隊仲間)から電話があり

Kりん 「きょんちゃん 今なにしてる?」
きょ  「え?CoCo壱でカレー食べてる。」
Kりん 「わかったー」

といって 数分後に ケーキを持って 汗だくのKりんちゃんが CoCo壱に入ってきた。

こんなことは このCoCo壱店舗史上初めてだろう。
真夏に 汗だくで ケーキを届けるOLが乱入。。。

つーか 
もし私がオフィスに携帯を忘れてたらどうしてたんだろう。
もし 電話に気がつかなかったら?
もし この日 外勤務だったら?出張だったら?休暇を取得していたら?

いったい どーしてたんだ?! 君は!!

と聞いてみたら 「えー だって事前に電話したら サプライズじゃないじゃーん。」

そうだけど!!
そうだけども!!!

・・・

いやー こういう無鉄砲なおともだち大好きです。

おばさんになっても おばあちゃんになっても こういうお友達たちと 無鉄砲なこと や くだらないこと アホなことを 全力でやっていきたいなー
と思いました。

Kりんちゃんが男だったら 確実に恋に落ちていたね。

Kりんちゃんの あったかいハートに感謝。

いつも日本で誕生日を迎えないので、なんだか携帯メールや電話でお祝いされたり プレゼントをもらったりするのは
なんだか新鮮です。

正直 「まあ 私なんかの誕生日を祝うほど 暇な人はおらんがね。」なんて思っていたけど

意外とみんなお祝いしてくれるので こんな私の誕生日をお祝いしてくれるあたたかい仲間たちに心から感謝。

誕生日は 親と友達に感謝する日だなあ。

とくに わたしは みんなの優しさと愛で 命を繋ぐことができたので。

もう31歳になっちゃいましたが

生んでくれてありがとう。

そして31年という人生の中で 私に笑顔をくれ続けているともだちみんなに 

ありがとう。

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小包に愛をこめて送れる人。

2011-08-21 03:36:05 | 日本での暮らし・考える事・思う事

みなさん、まずは、これ ↓ を読んで 素直にやってみてください。

************************

あなたにちょっとやってもらいたいことがあります。

バカにせず 必ずやってください。

必ずですよ。

ではいきます。

「はい、まず右手を頭に載せて!」

「乗せましたか?」

「ちゃんと乗せましたか?OK?」

「では その手を右回りに回してください」

 

・・・・

 

「よしよし あなたはよくがんばってるよ ^^」

************************

↑ は 私のトンガ時代の協力隊同期Aちゃんが 送ってくれた小包に入っていた言葉です。

「名言セラピー」という本のページをコピーしたもののようなんだけど、
私は この文章の言うとおりに 何も考えず 頭の上に手を乗せて 右回りに回したんだけど
右回りに回しつつも 意味がわからず、、、

ん、、、で 次はどうしたらいいんだ???

と読んでいったら 

「よしよし あなたはよくがんばってるよ^^」という一文にたどり着き

うぁぁぁ・・・・ と なんだか グッときて

そして その「よしよし あなたは・・・」の文章の横に「←きょんちゃんに伝えたい言葉です♪」との Aちゃんのメッセージが手書きで書いてあるのを見て

手を頭に乗せながら 涙が出ました。。。

実はAちゃんからの小包は 一ヶ月半くらいまえに届いていたんだけど、
私は7月一杯まで 徹夜残業や休日出勤、出張続きで 自分をコントロールできなくて
部屋もゴミ屋敷、洗濯もままならず全部クリーニング、食事も三食コンビニという生活で 
プライベートのスケジュール管理もできず メールも読んだか読んでないかわからなくなり 自分に届いた手紙や荷物を開ける気力もなく 毎日 出勤することに必死だった。

だから 小包も今になってようやく紐をほどいた。

自分をマネージできないダメダメな私にいつも優しさと愛情をくれるAちゃん。
小包には 栄養ドリンクやお菓子 韓国のお茶(私が好きなやつ)がたくさん入ってた。

小包には 愛が たくさんたくさん詰まっていた。

私が事故にあったあとも、Aちゃんは一緒に泣いてくれたり 心の底から 「大丈夫」って言葉を送ってくれた。

いつも助けられてばっかりだ。

情けない。


今の仕事は 繁忙期(5月~8月)は 人間らしい生活ができないし
いろんな意味で負のストレスが ドシッ ドシッ と 襲ってくる。
負のストレスや 嫌な出来事が続いて 卑屈になったり 嫌な気持ちを持ったりする日が多い。

日本語教師の時は、自分の理想(=生徒の為に いいと思ったことは全力でやる。)に向かって突き進めばよかったし
それを校長を始めとした同僚はもちろん、何より生徒がしっかり受け止めて理解してくれたから ピュアに頑張れば頑張っただけ成果が出た。

けど、今は ピュアにがんばったら逆に評価されないことも多いから
「心を込めすぎずに仕事をしよう。そうすれば後で傷つかないもん。」なんて 保守的になったりする。
傷ついても 落ち込んでないフリをしたり はたまた やさぐれた感じで諦めたり。。。

そんな自分が嫌いだけど

とにかく 最近は 何も考えず 心も込めず 目の前の仕事を黙々と一生懸命やってきた。
実際 一生懸命やらないと終わらないし。

仕事のスキルがアップしたとか
国内外の政治関係のVIPと接する機会が増えたとか
残業ばかりで給料が増えたとか

そんなことで 自分が頑張ったことを評価してもらえたとは思えない。

やっぱり 「ありがとう」って 笑顔で言われることが 何よりのご褒美。
日本語教師の時は 毎日3時4時まで残業だったし、しかももちろん残業代は出なかったけど
でも 学生たちの笑顔や 校長や同僚の理解があったから どんだけ辛くても 苦じゃなかった。本当に。

なんなんだろうな。。。

なんて思いながら ようやく繁忙期が終わりに近づき 今日 数カ月ぶりに部屋を掃除し 小包も開けたら
Aちゃんからの 言葉。

トンガで一緒に苦楽を共にしたAちゃんから
「よしよし きょんちゃんは よく頑張っているよ。」
って本当に頭を いい子いい子されたみたいで

涙が出た。

トンガでの協力隊時代から 4年が過ぎた。
あの頃から 私は何か変わったのかな。成長したのかな。

よく わかんなくなってきたけど

自分らしく生きているのかどうか わからない。
海外で働いていたときは 「This is MY life!!」って胸を張って言えたが
今は 悩むなあ。

「人生で “笑うこと"が一番大切だと思ってます!」

これが私の生き方だけど 最近は トンガの時みたいに心から笑顔で笑うこと あっただろうか。

この前 一緒にお仕事をしたミャンマー人の通訳さんと話していたときに
その通訳さんが 

「私は 心が落ち着かなかったり 疲れたりしたときに ブッダの言葉を読みます。そうすると心が落ち着くんですよ。
今日も電車の中で ちょっと嫌な事があったので ブッダの言葉が書かれている本を開いて 一節を読みました。気持ちが落ち着きましたよ。」

と言っていて

そういえば、私 ブッダの言葉が書かれた本を3冊くらい持っているけど、いつも読もう読もうと思って読んでないなあ。と思い 家に帰って読んでみた。

確かに これはいいかも。と思い それ以降 心がざわついたときには読むようにしている。


Aちゃんが教えてくれた 「いい子いい子」は、 

今の職場の同僚や 疲れている友人達に さっそく教えようと思う。

日々の忙しい生活の中で 忘れてしまいがちな 他者への優しさ。
Aちゃんは いっつもそれを教えてくれる。
私の先生のようなヒトだ。

自分が辛いとか 苦しいとか言う前に 周りの人に優しくしよう。
自分が笑える様になる前に、周りの人を笑顔にしよう。

私の大好きなAちゃんのような女性になるために!

疲れている皆さん、肉体的にというより精神的に疲れているみなさん!

まずは手を頭に乗せて 右回しにまわしてくださいね!

そうです、あなたも 一生懸命がんばっています。すごいことです!いっぱい 「いい子 いい子」しましょう!

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けっきょく

2011-06-26 23:17:15 | 日本での暮らし・考える事・思う事

今週末も 休めんかった、、、

昨日は休日出勤で 21:00まで働いてしまった。
平日は23:00過ぎに仕事を終えるのが常だが、
休日出勤は18:00までには帰宅するのが 自分の中のルールだったのに、、、、

もちろん 昨日もハッピーターンを一袋とコンビニのコロッケのお決まりの夕食。

ハッピーターンは ただいま ハッピーパウダー増量中
だから 私もハッピーになれるはず。

ただ 「何これ、前より塩っ辛くない?」と、私の同僚は増量されているハッピーを邪険に扱う。

家に帰って たまった洗濯物を片づけ、
先週の出張後、そのまま開けたまま放置して 部屋のど真ん中に堂々と横たわっていたスーツケースを片づけ、
ゴミなども回収。

いつもだったら 汚くても 疲れが勝り 片づけなんかできないが、
昨日はどうしても掃除しなくちゃいけなかった。

だって、翌日にお茶のお稽古があるから、着物広げる時に床が汚いのはNGだから。

で、結局 片づけだして、明日のお稽古の準備をして、洗濯物干して、アイロンかけて、ってやてたら 夜が明けていた、、、、

1時間半寝て 起きる。
急いで 着物を着て お茶のお稽古へ。
今日は入門・習事という御許しを受けたので(細かい説明は省きます。お茶の資格のようなもの?かな。) その講習会も兼ねていたので
休めない。

けど、着物着て、湿度のある空の下 まる一日お稽古は途中で気を失いそうでした。
頭が かなりの大工事だったよ。ガンガンガンガン。。。。

んで、17:00頃 帰って着物を脱いで
明日から続く外勤、出張、打ち合わせに備えて 夏のスーツを買いに行く。

夏のスーツはもちろん持ってるけど 今年は訪問先でも(とくに ●●省、、、)クーラーきいてないし
裏地付きのスーツじゃ 無理!!

スーツ買って、出張用の先方への手土産買って、、、

って気が付いたら 22:00帰宅。

もう。

いや、、、


ちきしょー

明日からまた こんな日々が続く。

来月が終わるまでつづく。

でも 負けない!
気力で乗り切る!

もう 

やけくそだーーーーーー!!!

んで 来月は習い事は ちと控えます。まじで倒れるよ。。。

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また この季節がやってきた

2011-06-25 03:03:18 | 日本での暮らし・考える事・思う事

 

ふ~ろ~にはいって~ ねるだけ~

ねむることさえ で~きない~

おもいだすことが できない~

ねむることしか できない~

 

・・・・・・


今年もまた この季節がやってきた。。。

↓ ↓ ↓

いちねんまえのわたし

今年は 3月の地震後に 私たちの実施しているプログラムは全部キャンセル OR 延期になった。
先の読めない日本国内の不安定な状況は 年内には解消されるわけではないので、
今年は きっと一番の繁忙期である6月、7月もプログラムはほとんどないんだろうなー なんて同僚と話していたんだけど

大間違いでした。

3月、4月に延期になったプログラムが今のタイミングで
どどどーっと再会決定となった。

しかも実施日まで ほとんど仕込みの期間なし。

去年と同じ忙しさじゃん。。。。

まいにち まいにち 働きすぎです。

外勤も多い。

出張もある。

休日出勤もつづく。

夕飯を家で食べたのはいつだろう。

部屋をそうじしたのはいつだろう。

洗濯が山積みだよ。

頭いたいー

なんか 時々 手足がしびれるー

これ マジにやばいんじゃん?って思ったら

同僚の何人かが同じ症状。

よかった。あたしだけじゃないのね。、、、、、 って 安心していいのか?!

今週は 風邪ひいて 微熱がずーっと続いてたけど 休めんかった。

明日、本当はとある研究会に参加する予定だったけど 休日出勤決定。
明後日は お茶の夏期講習だけど、行けるかな、、、怪しい。

乙女として 夏を楽しみたい。

最近の楽しみは、深夜残業時に食べるハッピーターン。これ食べるとハッピーになる。
疲れてるわ。
私。

今日、
先週に私が担当したプログラムの事後作業に入っている通訳さんが 「この文章読んでください!感動しますよ!」ととあるホストファミリーさんの感想文を持ってきた。

「私のうちに滞在した◯◯くんは すばらしい子でした。一緒に過ごして 彼から教わることがたくさんありました。
 私の息子が ◯◯くんに “言霊”という言葉を教えました。すると ◯◯くんは “僕ハ マタ日本ニ来ル。絶対来ル。僕ハ このおうちに マタ来ル。”といったので家族全員で涙を流しながらその言葉を繰り返しました。」

という内容で 目頭が熱くなり

「遠い◯◯という国から はるばる日本まで(そしてこのタイミングで)来てくれたことに 本当に感謝します」と書いてあって

就業中に 泣けてしまった。

地震の後、海外から日本に招くプログラムは全てキャンセルになり、若干日本の状況が落ち着いても 相手国から「実施不可」という回答をもらい続けていた中
実施にこぎつけるまでには それはそれは長い道のりだったわけで
かつ
自分の中でもいろんな葛藤や迷いがある中 ただただ 目の前の仕事を片付けて 片付けて 片付けて、、、、。

そしてなんとかそのプログラムを無事に一つ終え、 ホッとするまもなく次のプログラムの仕込みにとりかかっていたんだけど

なんか 一瞬気が緩んだ。

その後 何度か その感想文を呼んで ウルウルした。

いろんな 思いがあるのです。

癒されたい。

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いい男ー

2011-06-21 00:46:28 | 映画とか 音楽とか 本とか 絵とか

13:20 過ぎからの 松本くんの ハーモニカ演奏を聞いたら 惚れちゃうよ。





こーいう人を 「いい男」っていうんだよねー

でも 民生も好きだわ~

もーすぐ会えるー 兵庫まで会いに行きますー

それまで 倒れずにがんばろー

今週は月曜から 限界超えてます。。。
頭が割れそうに痛いー 

来月半ばまで忙しさはつづくが それが終われば松本くんに会えるからがんばる

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石巻で思ったこと

2011-06-12 01:50:04 | 日本での暮らし・考える事・思う事

5月2日から7日まで 石巻に行ってくるよーという記事をアップしてから、はや1ヶ月。

あっという間に 時間が過ぎてしまいました。

石巻から帰ってきてから、

心が不安定で ちょっとブログを書く気になれなかったことと

さすがに仕事が山積みで、毎日深夜残業の日々。

週末は、寝貯めするか 3つの習い事のお稽古やらで ずーーーーーーーーーーーーっと休むまもなく今日に至ってしまった。

明日は、1ヶ月ぶりの 一日全く予定なしの日。選択しなきゃ。掃除しなきゃ。

さすがに 心も落ち着いたので 石巻で思ったことを書いてみようと思う。

深夜バスで石巻に着いた日には、石巻に住む、大学時代の友人と再会することができた。
「おめー ここ危ねえんだぞ!よく来たな!?」と怒られながらも
久しぶりに友人の顔を見て安心した。
友人のお母さんが作ってくださった ナッパ。野菜ジュースもいただいた。
まだ、何も貢献出来ていないのに、いろいろご馳走になってしまって申し訳なかったけど、
友人ご家族のあたたかさ、やさしさが ナッパと野菜ジュースと友人の顔から伝わってきて えらく感動した。

以降、私は6日間、石巻に滞在し、ボランティア活動をしたわけですが、
前回の宮城県亘理町での3泊4日のボランティアの時とは、感じたことや 心に迫ってきたものは違いました。

これは別に、被害の大きさの違いを比較して言っているわけでは決してありません。
実際 石巻も亘理もどちらも相当の被害を受けていたし
また もし、たとえば、被害が小さいものであったとしても、少しでも誰かを苦しめているのだから、被害は「大小」というスケールでは測れませんし。

では何故、亘理町のときと感じたものが違ったのかというと、

・滞在日数が倍だったこと
・滞在先が地元の方々のおうちの近くだったこと
・友人の故郷だったこと

に起因するのだと思います。

6日間の活動中、石巻のあちこちに行きました。

数日間かけて活動したおうちの人たちと いろんな会話をしました。

ご近所の方たちとも 交流がありました。

毎日 30人ほどのボランティアと一緒に寝泊りをして いろんなことを話して 活動しました。

いろんなことを見て、知って、感じた結果、

これが自分の友人の故郷で起きていることなんだと思うと、どんなに頑張っても涙がこらえられませんでした。

涙の理由を考えたんだけど、

それは 「かわいそう」とか そういう類のものじゃなくって、

自分の友人や その家族、 その友人、お手伝いをしたおうちの人、その家族、その友人、この町の人、みんなの身にこれが現実として起きていて

そして、自分ができることなんて この大量の泥やその他のものの、ごく一部を片付けることだけで、

被害の大きさからしたら 役に立っているのか 立っていないのかわからないくらいのことしかできないってことが苦しくて、

それ以上に、

ここにいる方達が抱えている苦しみや悲しみ、ストレス、怒り、無気力感などを、 どんなに頑張っても分かってあげることができない ということが
本当に 苦しくて 情けなくて 泣けてきた。

自分は家を失ったことも、家族や友人を災害で失ったことも、愛する町を失ったこともない。
だから、ここの方達の苦しみを想像することはできても、本当の意味でわかることはできない。

そんなことわかっていたことだけど、

なんだか 石巻に滞在して、心の底からそう思った。

石巻の方とお話ししているときに、「他人にとっては”瓦礫”でも、私にとっては それは家であり、生活であり、思い出であり、、、”瓦礫”じゃないんだよね。」と仰っていて
本当だなと思った。自分だったら、絶対に「瓦礫」なんて呼んでほしくないなと。

5月5日は こどもの日だったけど、 いろいろな意味で 軽率にお祝いできないなとも思った。


私は 今までテレビやネットのニュースで、胸を痛め 涙を散々流してきたけれど、現実は その 数千倍、数万倍以上の涙を以てしてでも足りないんだってわかりました。

東京にいると、

3月の地震後のピリピリしたムードが もう ほぼ無くなってきていて 普通の生活が動いている。

ニュースも 3月、4月よりは 東北について扱う時間が少なくなってきている。

だから、「もう 東北は落ち着いたんじゃん?」なんて思ってしまう人もいるとおもう。

でも、

東北では まだまだ まだまだ まだまだ 力が必要だし、 落ち着いたのは 東北以外の人たちだけだと思う。

まだまだ まだまだ まだまだ 人の力も、時間も、お金も 全然足りていないと思う。

だから なんというか、 とにかく 機会があって 気持ちのある人は 東北にいってボランティアをして欲しいと思う。
本当に そうしてほしいと思う。

日本人として、同じ日本人が向きあって、戦っていることを 実際に見てほしいし、知ってほしい。


私は 東京に戻ってきてから、
キラキラ輝く新宿のビル群を見ると なんだか泣けてきてしまいました。
東北の状況とは まったく別世界で もう日常が完全にもどってきている東京に
なんだかついていけなくって 整理ができませんでした。
相変わらず 「東北の方達の苦しみを 少しでも私たちが背負えたらいいのに、、、、」と思いながらも、実際はやはり同じ境遇じゃない私たちが気持ちを察することなんてできないわけで、
なんだか 苦しいし 悲しいし 申し訳ないし、、、というのもあった。

でも 石巻で知り合ったボランティア仲間の人にその話をしたら
「自分もそういう思いを抱えていたけど、でも石巻で活動して思ったけど、東北の人は苦しみや悲しみを背負ってほしいなんて思っていないんじゃないかな。
ただ、一緒に手をつないで前に進んでほしいって思っているんじゃないかな。」

と言っていて、その人は私よりも長い期間石巻にいて、石巻の人たちともたくさん仲良くなっていたので、この言葉には とても納得しました。
この人の意見も この人、私、またその他のボランティアが 希望する答え に過ぎないのかもしれないけど、
でも 「なるほど」と思いました。


私は また東北にボランティアに行きます。 今は仕事の繁忙期なので 夏あたりに。

泥だしボランティアでも  炊き出しボランティアでも 仮設住宅サポートのボランティアでも、観光促進に寄与するための観光であっても
とにかく 完全に復活するまで 行き続けたいと思います。

亘理町でもそうでしたが、

石巻でも、住民の方たちが 本当にあたたかくて、話しかけてくれて、ボランティアの私たちのためにお茶やジュースをふるまってくれたり
「おれんとこ来たからには 絶対昼飯はくってけよ!くってかないと とっつかまえるからな!」と 顔をくしゃくしゃにしていうお父さんがいたり
「活動中 トイレに行きたくなったら、いつでも うちのトイレ使いなさい!うちのトイレは大丈夫だから!」と 女の子達に声をかけてくれるお母さんがいたり
活動後 歩いて帰っていると かならずすれ違う人たちが 「ご苦労様!」「ありがとうね!」と言ってくれたり

本当に 素敵な場所です。

美しい場所です。

笑顔もあります。 少しずつかもしれませんが 生活が動き始めています。

そういう元気な面も 東北以外の人たちには知ってほしいと思いました。

あと、やはり世界各国から 一般ボランティアが来ていました!
カナダ、スイス、フランスなどなど。
なかには 「この震災を知って 会社に3ヶ月休みをもらって やってきた。」というヨーロッパ人がいて、毎日真摯に活動をしていて 尊敬をしました。

あと、今回は NPO団体の活動に参加したわけですが、このスタイル、結構効率的だと思います。
GW中は 各自治体のボランティアセンターはパンク寸前だったらしいので そういう大型連休時には 個人がボランティアセンターから仕事を割り振ってもらうよりは、
ボランティアセンターが いくつかの団体に大まかに仕事を割り振り、その各団体が ボランティアを募集して 委託された仕事を割り振るという作業をすれば
元締めのボランティアセンターの負担はかなり軽減されると思います。

ちなみに私の参加した団体は、今も活動中です。


私たちができることは、日々の生活の中で 東北の現状を忘れずに 各人が無理のない程度で できることをする。

規模の大きいことをすることも大切かもしれないけど、同時に 長期にわたり 少しずつでも続けることも大事だと思いました。

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こんどは宮城県石巻に行ってきます。

2011-05-01 00:57:00 | 日本での暮らし・考える事・思う事

ということで、亘理町の次は 石巻に行ってきます。

活動期間は5月3日~5月6日。
実際は移動の関係から 2日の朝から7日の午後まで石巻にいます。

GWは たくさんのボランティアが集まるということで、
各地のボランティアセンターが ボランティアを捌くのが不可能になるということだったので、
GWは
①ボランティアをせずに東京にいる
②NPO、NGOなどの団体を通して参加する(=現地のボランティアセンターには迷惑をかけない)
このどちらかにしようと思っていたところ、
予てから注目していたNPO団体の「泥かきボランティア」に採用されたので、行ってきます。

亘理町でも思ったんですが、人の手はあればあるほどいいと思うんです。
まだまだ手付かずの場所がたくさんあるから。

でも それを取りまとめる各地のボランティアセンターさんは 本当に大変です。

例えば 100人の個人ボランティアがやってきたら、その100人に対して対応しなくちゃいけない。
中には 「せっかく来たのに 仕事を割り振ってもらえない!」と文句をいうボランティアさんもいるそうです。
なんだか変ですよね。
仕事がないっていうのは それだけたくさんの手がある、もしくは復興活動が順調ってことなのに。
そういう苦情なんかにも対応しなくちゃいけないボランティアセンターさんは大変です、、、、。

だったら、NPO,NGOなどの団体を通して参加すれば、その団体には100名単位のボランティアがいたとしても
実際に ボランティアセンターさんとやりとりをするのは団体の担当者1名だけになるので、ボランティアセンターの負担は減るのではと思います。

もちろん、これはGWなど ボランティアがたくさん集まるときの話であって、通常は 個人でもどんどんボランティアに行ったほうがいいと思います。

今度は NPO,NGOがどういうふうに関わっているのかもお勉強させていただきたいと思っています。

自分にとって こういうのに参加するのは ご飯をたべるのと同じくらい当たり前のことなんだけど、
東海沖地震が起きたときは 自分たちが主体になって東京を建てなおさなくちゃいけないんだからいろいろノウハウも身につけるってことを
頭の片隅にいれえおかなくちゃと思います。

これは 私が亘理町のボランティアに参加したとき、某区の福祉協議会のご担当者がおっしゃっていたことですが。
 

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宮城県亘理町での活動

2011-05-01 00:00:52 | 日本での暮らし・考える事・思う事

某区福祉協議会が募集した「宮城県亘理町災害支援ボランティア」に同僚と一緒に応募をし、
4月16日(土)~4月19日(火)まで活動をしてきました。

19日(火)の夜に東京に戻って、翌日から出勤しドタバタと働いていたのでアップするのが遅くなりました。

いろいろと思うところがあります。

今回は、行き帰りのバスのアレンジは某区がしてくださった。(現地に着いた後は、その福祉協議会の職員さんは亘理町のボランティアセンターの運営補助に入るので、活動自体は自分たちが自主的に行う形でしたが。)
そのお金は福祉協議会をサポートしている方々が納めているものなのだから、
私の義務は、現地の活動を報告すること。

でも、活動中あまり写真を撮る気持ちになれなかったし、

撮ったとしても、その中に個人宅が映っていると やはり公開するのを躊躇してしまいます。

でも可能なかぎり 津波の威力や被害の爪あとを 共有したいと思います。

一番必要なのは、長期的に東北が注目され続けることだと思うので。

↓線路に流された瓦礫






宮城県亘理町の状況ですが、

4日間という短い滞在で、全容を把握できるわけもないので、多少現状と違う部分もあるかと思いますが、
私が4日間で見た状況や様子をまとめてみます。

津波に来た地域は、テレビで見るような状況。いやそれ以上。

しかし 津波が到達しなかった地域は、少しずつ普通の生活が始まっています。上下水も電気も復旧し、スーパーや飲食店も営業をはじめています。
東北に物資を優先的に送っているので、水、ヨーグルト、納豆といった関東ではなかなか手に入らない物資も整っていました。

津波が来たところには 何も無い。 津波が来なかったところは、少しずつ日常が始まっている。

ある一線を境に、この二つの全く違う世界が 同じ場所に存在しているのです。

津波の被害に遭う前の景色を知らない私でも、被害の状況を見ると 苦しくなり怖くなりました。
そして テレビの報道だけでは感じられない被害の規模。
見渡すかぎり荒野になった地域に佇むと、
「復興までにいったい何年かかるんだろうか。そもそも、本当にこれほどまでの規模の被害を 復興へと導けるんだろうか。」
と、不安になりました。

しかし、同時に 安心した部分もあります。

まずは、宮城の人たちが思った以上に元気だったこと。笑顔も見受けられたこと。
もちろん、無理をしているんだと思う。頑張らなくっちゃ、笑顔でいなくちゃって無理をしているところもあるんだと思う。
でも、その無理した元気と笑顔すら見ることができないんじゃないかと思っていたので、
たとえ無理していたとしても 元気と笑顔が出始めていることに安心した。

あとは、経済が回っているということ。
スーパーにはお惣菜がたくさんあったし、ほかほか弁当や回転寿司も営業していた。
亘理町よりも北にある地域の状況はわからないけど、亘理町は通常の生活ができるくらいの物資はあった。

そして、何よりも安心して感動し、驚いたのは

日本全国から、老若男女がボランティアに集まっていること!!!!

私たちは 某区福祉協議会を通して亘理町までやってきたんだけれど、
実際に亘理町に行って、活動しているボランティアさんと話をしてみると、
皆さん、自家用車、深夜バス、電車などを使って自力で来ている方たちばかり!!!

震災の影響で入学式が延期になっている新大学生もたくさんいた。
中には、一人でやってきた女子大生もいた。
大手企業にお勤めの方もいたし、67歳のおじさまも。

私の知りうる限り 北は北海道から 南は長崎まで。

一番驚いたのは、高校三年生!!
これにはびっくりした。
同じ高校の同級生二名が、ボランティアに参加することを決め、
学校の先生に話したら、こんな状況だから行ってきなさいと、先生に後押しされたんだとか。
学校も欠席扱いにはなっていないそうで、学校のサポート力、「可愛い子には旅をさせろ」という精神に感動した。
何よりもすごいのは、彼らの親。
よく出したなと思う。すごいなと思う。

年頃なのか、口数は少ないコ達だったけど、泥だらけになって頑張っている彼らを見て 日本もまだまだ捨てたもんじゃないって思った。 

↓ お昼休み中


亘理町での活動は
泥だしがメインでした。
体の上から下まで泥だらけ。
泥の中から魚が出てきたり、かなり匂いがキツイときもあったけど、
グループのメンバー(当日仕事を割り振られて 即席のグループができる)と一緒に、依頼主(家の持ち主さんなど)と話をしながら
作業をしているとあっという間に一日が終わる。

気がつけば 泥の山が無くなっている。

人間一人でできることなんて ちっぽけなことだ。

でも 「何かやろう!」と思っている人たちが日本全国から集まれば
家から泥がなくなって、泥まみれの家が綺麗になって、家の持ち主の気持ちが明るくなる。笑顔が出る。
そして、
東北以外の地域に住んでて 「自分も力になりたい、自分には何もできないのか、、、、」と自分の無力さに苦しんでいた私たちの気持ちも明るくなる。


私の愛するトータスが言っている。
「日本は強い国。みんなでがんばれば 絶対に乗り越えられる。日本の力を信じてる」

こういったセリフを、今回の活動を通して 素直に信じられるようになった。

自分は元協力隊員だから 自分の周囲には協力隊関係の「熱い人」、「誰かの為に自分を犠牲にしてお手伝いをすることが当たり前の人」達が多い。
でも、そういう人たちが、協力隊関係者以外にもこんなにたくさんいるんだってこと、知らなかった。

私の職場では
ボランティア休暇を取得して東北に災害ボランティアに行ったのは私たちが初だったので
「なんだかんだいって、みんな冷めてるのねー」なんて思ってたけど、

日本人、意外と すごいじゃん。

数年ぶりに日本人好きになった。

テント生活も ボランティアの人たちで助けあって過ごしたので 困ったことはなかったです。


とはいえ、いわゆる普通の女子には キツイと思います。
バックパッカー経験者とか、超体育会系女子とか、途上国でのボランティア経験アリとかの女子なら 問題ないかと。


日々 ニーズは変化していきます。

泥かき以外にも 物資仕分け、り災証明書の問い合わせに対する受け答え業務などなど。

実際に私も、「一人暮らしのおばあちゃんと一緒に寝る」というのも担当しました。
一夜だけでしたが、身寄りの無いおばあちゃんが余震が怖くて眠れないというので 一緒に寝るというもの。

震災直後は まずはライフラインの確保のみだったニーズが、
これからは細分化される。

だけど、日本の人たちが それぞれ得意な分野で支援をすれば 絶対乗り越えられる。

日本の力、日本人の心意気を感じた4日間でした。


私も まだまだ まだまだ 支援活動を続けます!

なんだかんだいって、まだまだまだまだまだまだまだまだ時間がかかります。
まだまだまだまだまだまだまだ 人の協力、力、義援金、支援金必要です。
一番大切なことは、東北の人たちが本当に心から笑える日まで 支援をやめないこと。注目をし続けること。
これに尽きます。


最後に 某区の福祉協議会の方たち、一緒に活動したボランティアの皆さん、亘理町のボランティアセンターの皆さん、自衛隊の皆さんに心より御礼申し上げます。

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宮城にいってきます

2011-04-15 21:24:32 | 日本での暮らし・考える事・思う事

毎日 ニュースを見て、新聞を見て、グっとこみ上げる。

涙が出る。

自分には何が出来るだろう。

募金は自分が払える金額 MAX支払った。

救援物資も たくさん送った。

関東でできるボランティア(泥撤去や物資仕分け)もやった。

でも、もっともっと力になりたい。

これまで 海外の途上国で 現地の人達のために 自分の全てを捧げるような生き方をしてきました。

だからといって 日本国内のことを軽視してきたわけではありません。

「困っている人や 悲しんでいる人 厳しい状況にいる人がいたら 一緒にがんばりたい。
そして一緒にがんばった後 一緒に最高の笑顔で笑いたい。」

それだけのシンプルな動機で 活動してきただけ。 
自分にとっての最高の幸せは、一緒に頑張った人たちとキラキラとした笑顔で笑いあうこと。

舞台が途上国だったのは、そういった厳しい状況にある人たちが 途上国に多いから。

ただ それだけのこと。

国際協力をして、国内協力をしないのは、私のポリシーに反するのです。

これまでやってきたことと 同じことを 国内でもしたいのです。

そして よく考えたら 私のこれまでの人生

◆風呂なし生活 → 経験済み
◆テント生活   → 苦ではない
◆電気がない生活 → 日常茶飯事

こういったこと 当たり前だった。

つまり、私はいわゆる日本の一般女子よりもサバイバル生活に慣れている。

・・・・・

行きましょう。

東北に行きましょう。 

外部のボランティアを多く受け入れる体制が整い、
とにかく人数が必要な今となっては、 もう 行かない理由が見つからない

そう思って

JOCA災害救援ボランティアに登録

東京都民ボランティアの応募にチャレンジ

などなど 現地に行くルートを探していましたが
JOCAは登録したはいいが、応募人数が多いのか 「待ち」の状態
都民ボランティアなんて、説明会(100名募集)にweb応募しようと、応募開始日にwebサイトを開いたら大量のアクセスが集中してサーバーダウン。
1時間画面の前でねばるも、応募すらできぬまま 締め切られてしまった。

なんだかなあ。

行きたい気持ちが強いので、なかなか行くことができないと 消化不良になってしまうけれど、まあ、希望している人がたくさんいるということは よいこと。

長期に渡る援助が必要なのだから、焦らず タイミングを測ればいいのさー と思っていたところ、

これまで一緒に宮城入りのルートを探していた職場の同僚が

「これ 応募してみます?まあ 無理だろうけど、、、」

と言って 持ってきた募集案内。

都内のとある自治体の募集。

活動場所: 宮城県亘理町
期間:    3泊4日
募集人数: 5人


5人!?

「都民ボランティアの説明会 100名枠のところ、応募することすらできなかったんだから 5名枠は まあ無理だね(笑)」

とはなから諦めつつも、FAX応募だったので、都民ボランティアのweb応募とは違い、「応募すること」はできるので 応募してみた。

私も同僚も 元青年海外協力隊員だったので、一筆 その旨 書いておいた。あと、泥撤去ボランティアと物資仕分けの経験アリとも。

締切りは翌日だったので、不採用通知がくるのは明後日かしらねー そしたら また別の団体探さなくっちゃねー

なんて言いながら、仕事後 その同僚と一緒にアウトドア専門店に行って ウィンドーショッピングしていたら同僚の電話が鳴った。

「お二人 採用です。」

とのこと。

応募締切りまで まだ1日あるのに、 その締切りを待たずして私たち二人とも採用が即決されたのは

ズバリ

「元協力隊員なんですよね。厳しい環境での生活には慣れていらっしゃいますものね~ (笑)」

という理由だそうです。

民主党の仕分け事業以降、世間の目は協力隊に対して冷たかったのに、
こういうとき重宝がられるのね。
世論って 不思議。

ということで 見事 5名のうち2名の枠をゲット。

テント生活、風呂なし生活なので、バックパックに寝袋、マット、水、コンロを詰め込み 準備OK。

明日から火曜日までの3泊4日。
月曜日と火曜日は ボランティア休暇を取得した。
東北には うちの団体の支所があるので、支所の方への寄せ書きも作った。
支所の方が手伝っているボランティアセンターが 私たちの行く亘理町の近くにあるので 寄せ書きと差し入れを持っていくのだ。



協力隊で学んだこと。

それは

現地の人の目線で、現地の人手動で、現地の人の気持を思いやることの大切さ。 

そして

焦らず 丁寧に 慎重に 常に思いやりを持って 相手の立場で動くことの大切さ。

そしてそして

決して無理をしないこと。
一番大事なのは 自分が健康で無事に活動を終えること。それが一番 迷惑をかけないために必要なこと。

2年間の協力隊生活で学んだ上記のことを、活かそうと思う。

たぶん それが 私にできること。

元協力隊の 私ができること。

同じにおいのする 元協力隊の同僚と二人で 行ってきます!


やっぱり 協力隊のOB OGって価値観があうから いいね! OB OGってだけで 結束できる。


現地までのルートが確保できなかったり、
仕事の都合がどうしてもつかなかったりして 東北に行きたくてもいけない人たちがたくさんいる。

そういう人たちの分も 心を込めて 東北の方達のお手伝いを 微力ながらさせていただきたい。

微力だけど 微力がたくさんあつまれば 巨大な力になる。


みんなが それぞれが できることをやればいい。
東北に行かなくったってできることはたくさんある。

ただ 私は 人よりサバイバル生活に慣れているから 行くだけ。
そして 日本国民の税金で協力隊という活動をすることができたのだから、日本に恩返しする義務があるのです。私たち 協力隊には。  と 思う。

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