before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

サクラサク @ トンガ

2008-01-26 04:58:07 | トンガ 青年海外協力隊活動記
今日は 教師にとって とても嬉しい情報をゲットしました。

トンガでは 今週から新学期がスタートしました。でもまだプランニング ウィークといって 学校に行くのは教師だけです。
でも まあ とにかく学校は 始まったわけです。

そこで、、、、
ついに してみました。
そうです。 我が愛しのエウア高校に電話をかけたのです。
というのも、昨年度末にForm5とForm6(5年生と6年生)が受けたTSC(トンガ中等教育終了認定試験)とPSSC(南太平洋共通試験)の 結果を聞きたかったからです。この2つの試験は高学年のForm5,6にとっては日本で言うセンター試験のようなもので、進級、卒業がかかっているし とにかく大きな試験で、1年間このテストを通るために勉強していました。

ドキドキしながら 電話をすると。。。。。
プルルル プルルル ガチャッ(受話器をとる音)
第一声 「アハハハハー」
・・・・ おいおーい 井戸端会議をちゃんと終えてから 受話器とろーよ・・・
でも こんなとこも 変わってなくて 嬉しかった。
しばらくガサゴソして
トンガ人「マーレイ エウアハイ (はい エウア高校です)」
私   「マーレイ コ きょうこ アウ (こんにちは きょうこです)」
トンガ人「アウエーーーー! キオコーーー!オイアウエーーー!キオコ エニ!
        (あらまあ!きょうこ! あらあらあら!これ きょうこだよ!)」
もう 受話器で大声で叫ぶから耳が痛い 痛い!
でも 受話器の向こうで 「アウエー!(あらまあ!)」とか「キオコー!」とか叫んでる懐かしい声が聞こえて すっごーーーーく 嬉しくなった。
で、もちろん受話器リレーが始まった。
「キオコがいないから 男性教師に覇気がないねーーって今ちょうど話してたとこよーーー!」とか 「はーい!男好き!」とか 「カーセーレー(便所野郎)」とか相変わらずみんなくだらない話で 本当 懐かしかった。

できることなら、受話器の向こうのエウアで 新しい年のスタートを みんなと一緒に向かえて 一緒に1年の学校の計画を立てたいな・・・・なんて思ってしまう。

で、で、で、本題の PSSC(6年生が受験)、TSC(5年生が受験)の結果・・・
結果は Grade1から10で評価され Grade1が最高得点です・・・

ジャカジャカジャカジャカ

ジャン!!

出ましたああああああーーーーーーーー!!!

Grade 1 をとった生徒がでましたああああああああ

それだけではなく
Grade 2 をとった生徒もいましたあああああああああああ

これはですねーーーーーー!とおおおおおおおおおおおおっても
すごいことなんですよーーーーーーーーーーー!
ちょっと エウア高校史に残るんじゃない?!ってくらい すごいぞ!!!
正直 私も 「あり得ないことが おきた!」と 受話器を持ったまま吠えてしまいました!!

つまり、政府系学校(公立学校のようなもの)の中で 我がエウア高校はどんな教科でもたいてい ビリなんです。 教育省の人も「エウア人は 怠け者だしねー」と言うほど、とにかく 「エウア人=決してトップになれない」というイメージを持っているトンガ人が多いんです!!!
正直 他の学校との共通テストをしても たいてい一位は他の学校の生徒がとっていました。

でも でも でも
やってくれたんですよーーーー!あたいの 生徒はーーーーーーーー
これはねー すごい すごい 快挙なんですよ!
校長先生にも 「キオコ、改めて あなたのHard workに感謝します」って言ってくれたよー うひゃー 感動!感激!

確かにさー むっちゃしごきまくったし、過去問を全部網羅したハンドアウトを作って渡したり とにかく 対策は出来る限りやりつくした。
でも 生徒自信がやる気をださないと どんないい練習をさせたって意味がない。
試験直前になっても 全然やる気を見せない生徒達に 何度 説教したことか・・・「あんた達は一体誰の為に、何のために勉強してるの?自分のためでしょ?自分の将来のためでしょ!」とね。

でもね、試験当日、「キオコ!見て見て!こんなに勉強した!」って見せてきたノート。すんごい たくさん練習してたね。
「キオコ!この問題は こう答えるんだよね!」って自信満々の顔。
おどろくことに 全員の生徒がそんな感じだったからさ
あたしは それだけで 本当に 本当に 感動したんだよ。
「どんな点数でも どんな結果でも みーーーんなは私の誇りだよ」って試験の前に生徒に言ったっけ。

だから 本当に どんな結果でも 満足だったんだ。
でも まさか Grade1、2をとるとは。。。。

よく よく よく がんばったね・・・・

Grade1、2じゃなかった生徒達も、予想以上にいい点数だった。

一緒に 喜びを分かち合えたら どんなに 幸せか。。。。
一緒に試験勉強をして 休みの日も私のうちで勉強したり 私に怒鳴られながら課題をこなしたり もう とにかく一緒に戦ったね。
本当は みんなを 抱きしめたいけど 
それが できなくて やっぱ 寂しいけど。

でも 通知表をもらって 「お!日本語の試験いい点数だ!やった!きっと キオコもよろこんでるな!」って 思ってくれるでしょうよ。
あんだけ 手をやいたんですもん あなたたち。

でもそんなことよりも
どんな教科でも どんなことでも 全力を尽くして取り組んだ後の 達成感
それを わかってくれたら それでいいんだー
それが 一番 教えたかったことで 何度も何度も彼らに言ってきたことだから。

いい点数を取った子も あんま良くなかった子も
とにかく みーーんなに サクラが咲いたよ。

でも 試験の直前に 彼らの充実した顔を見た時点で 「サクラサク」だったかもね。

ありがとー 私の愛しい小猿ちゃんたち。
あんたたちのおかげで あたしの心にも サクラがさいたよ。 
おめでとう。



2年間海外にいた人の現実

2008-01-23 22:47:46 | トンガ 青年海外協力隊活動記
みなさんこんにちは。
2年間南国の人口5000人の小さな島に住んでいました。
先日 大学のサークル同期と会い 写真を撮りました。
さて 私はこの写真の中で どれでしょう?

巷では 私が「チャーリーとチョコレート工場」にでてくるウンパルンパに激似だという レベルの低い声が聞こえてきます。
そんなことは おいといて

もー 日本に帰ってきて1ヶ月になるのに、いまいち日本人っぽくない!!
私の顔は弥生系ではなく 縄文系らしいので つまり顔が濃いので 小学生の時も「グリーク(ギリシャ人)」とか「首長族」(今気づいたがこれは顔の濃さに関係ないじゃないか)と 皆に慕われていました。イジメではないはずです。きっと人気者だったのでしょう。

でも2年間 輝く太陽の光を浴びて のーんびりとした南の国の雰囲気をたっぷり堪能したおかげで 肌の色は黒いし 髪は2年分のびたし 以前にもまして、何人??!!という雰囲気が漂う。
それだけじゃなく、なーんか 垢抜けない。

この前びっくりしたのは、中目黒の駅で 黒人にいきなり肩をつかまれて
「Could you help me?」と言われたことだった。ふつう「Can you speak english?」だろう。ちょっと不思議だったが、まあ まあ おいといて、
とにかく 彼が道に迷っているというので 助けてあげた。
すると、「ありがとう!君はよく知ってるねー で、何処から来たの?」
といわれた。「え?東京出身です。」と返すと「いやいや、出身国だよ!」と言われ「日本です。」と答えた。
するとその黒人男性は「え!?君もしかして 日本人?!」 
「そうだよ!日本人!」
もうもう、いくら肌がちょっと基準値より黒いからってー エディーマーフィー(なんとなく黒人だから)大げさだなー
しかしそのエディ(仮名) まだまだ懲りずに
「そっかー 日本人だったんだー で どこの国とのハーフ?」

しつこいっ!エディ(仮名)しつこい! 思わず突っ込みたくなったよ。

まだ他にも
帰国後研修のためJICA広尾でうろちょろしていたら 技術顧問の先生に「あ!君か!いやーフィリピンからの留学生が道に迷っていると思って 今助けてあげようと思ってたんだよ!」
よかった。助けられる前に気づいてもらえて。もし「May I help you?」なんていわれていたら 相手が技術顧問の先生なだけに 気を遣ってカタコト日本語しゃべってしまうとこだったよ。

まだまだ他にも
先週行ったカンボジアでは カンボジア人、タイ人、フィリピン人、韓流スター(意味不明)に間違えられた。

まだまだまだ他にも
昨日あったダンにも 「きょうこは 日本人っぽくない」といわれた。

あー 日本人になりたい。そろそろ なりたい。
これが 二年間海外にいた現実なのか。日本人らしくなるのは大変だ。日本人になるために必要なことは 何だ?

まあまあ そんな外見のことよりも
昨日 家族でトンガでとった映像をDVDにしたものを見ていた。


見なきゃよかったー

DVDの内容は 私の生徒の映像や ギター片手に「涙そうそう」の日本語版とトンガ語版を生徒と一緒に歌っているものや よさこいソーランの練習を放課後生徒とわいわいやっているのとか もう私の活動の全てがつまっていた。

まだ 見るタイミングじゃなかったよー

帰りたいなあ。私の居場所は そこなんだよ。自分で言うのもなんだが、生徒と一生懸命向き合ってて すんごく いい顔してた。おいら。
会いたいなあ 生徒に。 またみんなの前で 教壇に立ちたいなあ。みんな元気かなあ。先生は みんなのことが心配です。
「会いたくて 会いたくて 君への思い 涙そうそう」
なんて よく言ったもんだよ。

おーい 生徒たち。先生は今 みんなに会いたくて 会いたくて 涙そうそうだー

でも これが現実。 過去が大きすぎるから それを乗り越えるのは 大きなパワーが必要だー 
いつか あのDVDとちゃんと向き合える日が来るのだろうか。
きてください。がんばりますからー

異文化交流@きょんこ家

2008-01-23 02:01:44 | 日本での暮らし・考える事・思う事
今日は 我が家に イギリス人のダンくんが遊びに来た。
我が家に 外国人が来るのは2回目だ。
ちなみに記念すべき第一回目の訪問者は、親友のインド人の旦那様でした。これも先々週のことですが。

んで、ダンくんとは 4年ぶりの再会であった。まあ会うこと自体2回目だけど。

初めて会ったのは 私がバックパッカーで一人でアジアを大爆走していた時、ミャンマーのパガンという世界遺産の町で パコダの上から夕日を見ているときだった。一人旅をしてると 結構いろんな国の人と知り合いになる。ダンくんもその一人。ただダン君は そのころからイギリスで日本語を勉強し始めていて めっちゃ日本に興味があり 旅を終えて帰国後も  4年間 たまーに手紙やメールでやりとりしていた。
そんな ダン君が なんと日本の某有名大学に留学するというメールをトンガでもらい、私も帰国したので 再会にいたった。

どっかに食べに行ってもよかったのだけれど どうしても我が家に招待したくなった。
というのも、私自身、トンガではもちろん、バックパッカーで放浪している時、いろんな国の いろんな家族に 家に招いてもらって 一緒に夕飯を食べたからだ。そういう現地の人達の優しさ、ホスピタリティに 心が洗われ、本当に助けられてきた。彼らを見習って 私も外国人に優しさと元気を与えられる人になりたいって思っていたから、是非 ダン君を招待しようと思った。

結果、本当に招待してよかった!!!
ダンくんが 楽しんでくれたらいいな、日本の大衆文化を知ってもらえたらいいなって思っていたけど、楽しんでいるダン君を見て、私もすごく楽しかった。
しかも私以外英語を話せない家族なのに ダン君が来て お茶の間がにぎわうにぎわう!笑いに満ちたひと時を送った。
ダン君が帰るときも 「りんご持ってきな!みかんも!ゴマドレッシングも!」と家にあるものを どんどん手土産で持たせたくなった。

今まで 海外で 現地の人達が私を招いてくれた時 彼らが「本当に来てくれてありがとう!」って私に感謝してきたりり、手土産をたくさんくれたりする気持ちがすごくわかった。

私の国の文化の中で がんばっている外国人には 「ありがとう!」って言いたくなるんだよね。きっと。それは たぶん自分が自分の国を愛しているからなんだよね。
異文化交流ってのは 一方的なものじゃなく 相互的なものだ。
今回すごーく それがわかった。私自信得るものが大きかった。

しかし ダンくんはすごい!!4年間のうちに 「つまらないものですが、これどうぞ」なんて言えるようになっていた!しかも「この和語は漢語で何ですか。」とも!だってさ、去年の9月に初来日だよ?4ヶ月でここまで・・・ 
あたしも もっともっと英語がんばるぞ!!と ダン君にパワーをもらった。

でも大事なのは言葉ではなく ダン君の人当たりの良さ、礼儀正しさ、ユーモアとかそういったものなんだよね。結局 人に好感を与えるのはさ。
様は 「気持ち」なんですよ。 まじで。

いやー いろいろ学んだよー!楽しかったー またどんどん外国人のお友達を呼びたいなあ。 肉じゃが、みそ汁、チキン南蛮、天ぷら、手巻き寿司、いなりずし、ぜーーーーんぶ 綺麗さっぱり食べてくれたよ!
エウア島で 島の人達が出してくれたものを全部食べていたら 島の人達が「KYOKO!! I like your eating!!!」と大絶賛してくれた気持ちが わかるね!

でも 一番びっくりしたのは 仕事から帰って来た父親が 「オー フーアーユー? アイ アム マサユキ。 コール ミー マッキー!」と言い出したことだった。 マッキーなんて 誰も呼んでねーだろー 油性ペンか?!
そのあと ダンが 律儀に「マッキーさんは・・・」と呼んでいたけど 当の本人は自分のあだ名がマッキーだなんて すっかり忘れてるもんだから スルーだし。

2年ぶり買い物天国!!

2008-01-10 03:24:36 | トンガ 青年海外協力隊活動記
どこの店にいっても同じ商品しか並んでいない。
天候の悪い日が続いて 船がでないと 島から物資がなくなる。
新品の洋服を売っている場所がない。
古着も日曜の朝市でだけ購入可。

そんな離島から 大消費社会 TOKYO に 帰ってきたのですっ!!!
帰国したら その翌日くらいからデパートに買い物に行くだろうと 思っていたが その逆で なんか 物がありすぎて 行く気がしない!
で、前にも述べたけど 2週間くらい ボーっと引きこもっていた。
2年間切らずに伸び放題だった髪も放置。美容院に行くのもめんどい。

が!ついに わたしは 一歩を踏み出した!いや 踏み出さなければならなかった。
トンガに行って6キロ太った体にあうボトムスは 自転車に乗ってこけて空いてしまった穴がチャームポイントのジーパンだけ・・・
帰国してから毎日それ履いてる。まじ毎日。
絶対 ジーパンも 私に嫌気さしてるね。  ジーパンにやる気が感じられないもん。 履いた瞬間に まず生地がやる気を出していない。
だから そう、私は 決意した。
都会のギャルなら 必ず参加するアレに行くことを。そう、おバーゲン様に!!

行った先→ 新宿ミロード。
でさ、すごいよ。まじ すごい。
1万2千円も使ってやった!!どーだ どーだ! で5着ぐらい買った!5着も買えた! すげー

しかし なーんかさ デパートに並んでる服 どのブランドも ぜーんぶ同じに見えるよ。どのブランドも 同じデザインを売ってるからさ 消費者は それを流行りだからって 買うしかないのよねー
あー 古着の方が いいよ。 古着には 物語があるもん。

でもさ やっぱさ Patagonia はいいよ! Ladysのブランドって やっぱ流行を追いかけてるからさー 今年買ったのは 来年には時代遅れになっちゃうし。

その点 アウトドア系のブランドはいい! 飽きない!

トンガに行く前に 貯金はたいて Patagonia の DUSパーカー買ったんだけどさー いいねーー やっぱいいねー 私の DUSちゃん。

あとねー ビルケン!いいよねー 家族には「そんなサンダルつっかけて 街にくりだすなんて・・・」といわれるけど いいのよ ビリケンだもん。

あとねー 「お父さんはセレブと名乗れるが お前はセレブではなくデブだ」といわれたけど いーの いーの 24時間デブは地球を救う。

今日テレビで 小林昭一さん(何をしている人か忘れてしまったのが残念)という70歳くらいのおじいさんが 「僕は 民主主義じゃなくて 貧主主義だよ」と言っていた。
ちょこっと貧乏が 幸せを感じさせるのだというようなことを言っていた。
戦後の混乱期を経験した人が言うから 重みがある。
豊かだと 物を使い捨てて 新しい物へと走る。 
貧しいと 物をすごく大切に感じる。そういう心こそ豊かなんだろうな

日本は物がたくさん溢れてるけど こんなにたくさん溢れる必要があるのだろうか。けど そういう物質の流れの上にいろんな人達の生活がある。
貧主主義で必要なものを必要な分だけ生産しましょう なんていったら仕事を失う人であふれちゃうなあ 

まー とにかく 私は 少しずつ 買わなくてはいけないものを買い始めてる。
例えば そう ファンデーション。
2年間で 地肌の色が 変わってしまったし、もうすぐ大学同期の結婚式だし。
で、マツキヨで店員さんに聞いてみた。
私 「海外にいて 日焼けしてしまって いつも買ってる色じゃ あわない気がして」
店員 「じゃ この色がいいですよ。つけてみますか?」
私 「そうですか。でも すぐまたフィジーに行くので また日焼けしそうなので もう少し暗い色ありますか?」
店員 「これが 一番 暗いお色です」

なにいーーーーーーーーーー!
まさか 一番暗いお色ファンデ が似合う色まで日焼けしていたとは・・・!!
ええーーー でも こんなに物が溢れてるのに 色黒さん 向けの 暗いお色ファンデは なんで売ってないのさ!!
地黒の人は 一生 おてもやんで過ごせと言うの?!

でも 仕方ないから メーカーが出してる一番暗いお色ファンデを試しに塗ってもらう。

店員 「あんまり 違和感ありませんよ」

・・・・・あんまりって!?ちょっとはあるんかい。

店員 「今のお肌のお色ですと このお色で大丈夫ですね。」

・・・・・大丈夫じゃなくても このお色しかないやん! 

ってことで そのファンデを買ったんだけどさ
今日 朝 塗った後 よくかがみ見たら 塗り損ねたおでこと 塗った後の肌と 明らかに色が違う。 顔面二層式。 あーあ もう なんでもいーや


帰国して

2008-01-08 00:10:26 | トンガ 青年海外協力隊活動記
2週間くらいが過ぎたみたい。 何かしてても時間がたつのは早いが 何もしてなくても時間がたつのは早い。

12月10日にトンガを出て 2週間ほどフィジーとサモアを旅して12月22日に帰国しましたー



なんか ほんーーーーーーっとに やる気が起きず 引きこもり生活。風邪もひくし JICA広尾センターでラーメン無理して食って吐くし そんなこんなで気がついたら 年が明けていた。

あー 「燃え尽き症候群」とか「リエントリーショック」とかとか 人々が形容するのに まんまとはまっているのでしょうか? うーん

帰国前エウアの家で 猫の手だけではなく ヤモリの手さえ借りたいほど忙しく 毎日徹夜の日々だったので 帰国して時間がある今、まとめきれなかった資料をまとめなければいけないのだが、
トンガでのことを 整理するということは、これまで現実だったことが もう現実ではなく、思い出として扱うということになり
なんだか そんなの 耐えられそうになくて なあーんもしてねー
トンガの写真とか なんか見たくないもん。

思い出じゃないんだよなあ。
違うのだよ。 あたしの2年間は。 思い出なんかじゃないんだよー
じゃあ なんなんだ。

日本に帰って驚いたこと。

水道水が飲める。 水道からお湯が!? シャンプー リンスをするだけで髪の毛がシルクに。テレビがちょー薄い。 電車の中であんなにたくさん人がいるのに皆が無言。 誰からも声をかけられない。 行きかう人々がみな女優のよう。でも なぜかみな 同じ格好 同じ髪型。 

でもさー 一番驚いたのは 行きかう人が皆挨拶なしにすれ違うことだよね。
あたしなんて 東京の某市で 引越すこともなく20年以上住んでるのにさ
近所歩いてても だあーれも 声かけてくれないからね。
てか あたしも 皆知らん。 誰? さびしぃーよねぇー T・O・K・I・O。
ジュリーも悲しむよ。 今のT・O・K・I・O は空なんて飛ばないからねー

けどさ エウアなんて たった2年間すんでただけなのにさ 島中の人たちが あたしのこと知っててさ すれ違うたびに いや すれ違わなくても 遠くに棒人間くらいの大きさで私を見止めるたびに みな「キオコ エー」って叫んでくれるんだよ。日本人がみんな山登れば「やっほー」って言いたくなるのと同じもんよ。
小さな島だからさ ちょっと歩けば すーぐ 声かけられて 世間話が始まるのよ。道端で。
無言で歩くなんて あり得なかった生活を2年。
なんか みんなが無言で歩いている 東京砂漠を なんだか異様に感じてしまう。

南の島トンガのそのまた離島エウアで過ごした2年間ってなんだったのかなーと
考える。いろんな答えがあるけど
うーん 日本での生活と比較して答えるなら

生きてた。

っちゅーことかもしれん。

なんか トンガでの生活は あたしは「生きてた」んだよ。 たぶん。

もちろん 東京でだって この通り元気に生きてますけど
でも なんか 肉体的な意味じゃなくて 精神的な意味で 今 「生きてる」って感じが なんとなく 湧かない。 薄い。
おいしいレストランでたらふく食べても かわいい服を買っても カフェでケーキ食べても SO WHAT???

エウアでは レストランも かわいい服も ケーキも なかったけどさ、
毎日 毎日 くだらないことで トンガ人と大笑いして 大喧嘩して 仕事もバリバリして 生徒に大激怒して たくさん食べて みんなで昼寝して だれが 一番さいしょに うんこするか とか どーでもいい話を真剣にしたりして なんかさー

生きてたんだよ。 絶対。
あたしだけじゃなくて 周りにいたトンガ人、仲のいいJOCV、みーんな 生きてて
生きてることが 仕事で 生きてることが 生きてるだけで 楽しかった。

トンガでとった写真を見ると 確かに日本にいるときより 太ってるし 汚いし 髪の毛ぼさぼさだし 新庄選手並みの 黒さだけどさ
いー顔してんだなあー あたし。


私を知っている人は ご存知だと思いますが 基本的に 私は 「やりたい」と思ったことには もうわき目もふらず 全エネルギーを注ぐ 猪突猛進タイプで
高校受験のときも ハンドボールがやりたいからって 滑り止め受けずに ハンドボールが強い国立一校しか 受けなかったし
大学時代もも JOCVに参加するのだ! と 就職活動一切しなかった。
よそから見たら
「あら あの子 また勝負に出て、大丈夫?」といった感じだろうが
当の本人は
例え 失敗しても また なかなか夢が叶わなくても 全力で走ってるから
最高に楽しいし マゾだから 苦労も嬉しい。
だから これまでの人生 いっつも「今が一番!!」って言い切ってこれたけど

なんか 生まれて初めて 過去がとても恋しいっす。
トンガにいた時に流行った曲を MP3で聞いてたりすると ふっとトンガ人の友人や 生徒の顔が思い出されて 涙が出てきちゃうのさー
よく トレンディードラマで 大人になった主人公が 久々に大学の同級生とあって「あん時はよかったよなー」なんて言う場面があるけど(あるのか?)
正直 これまで そんな発言 ぜんっぜん 理解できなかったけど
生まれて初めて 「あん時にもどりたい」って思ってしまう。

もちろん 「あん時」ってのは あん時ね。島っ子ライフん時。

まー 過去をさらに振り返ると 学生時代世界を放浪して 「国際援助って必要ないんじゃん?!」なんて思って これは自分がやってみなきゃわからん っつーことで 青年海外協力隊として海外に出ることが 自分の夢になったわけでして、

3回目の受験で合格し 不合格通知に涙した暗黒時代に終止符がうたれ「夢が叶ったー!」という気でいたけど

2年間 実際の活動を終えて、かつ 自分のやろうと思ったこと全部をやりきってすべて 終わった今が、夢が叶った瞬間なのかもしれぬのぅ。

だから 正直 今人生が終わっても いいな。
極論だけど。

でも あたしは まだ死にません。当たり前か。
これも 人生、人生。 This is how life goes on.... 

ぼーっとしてたら 本当に トンガでのことが 単なる思い出になってしまうよー
トンガでの2年間を ゴールじゃなくて スタートにしたいの。 あたし。

だから そろそろ 進まなくっちゃー

写真 : 真冬の日本に 到着したよ フィリピーナ
     両親の言葉 「近くに来ないで」