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「師走」の語源 除夜の鐘を遠くに落語で年越し

2016-11-26 19:23:33 | Weblog
あと、数日で12月。師走だ。

今は昔の話だ。
高校性の頃、勉強を怠けてばかりいたのだが、皆が居眠りしている古文の時間ばかりは好きだった。
東大美学科を出たというやる気のなさそうなオヤジの授業は、文法を教えないので好きだったのだ。
たとえ文法がテストに出ても、適当に書けば、まずは当たっていたから、ポイントは教えてくれていたらしい。

その古文のオヤジがある日の授業で、「師走」と板書して、不機嫌そうに「なんだか判るか」と誰に、とはなしに尋ねた。
嫌々ながら誰かが「しわす」と言う。
オヤジは不機嫌に「だから、何でこう書くんだ?」「師が走るのか。忙しくて。本当か。」
生徒はしんとして誰も答えない。大体、判るはずもない。起きている生徒の方が少ないし。
オヤジはぶっきらぼうに「これは当て字だ。」と言った。

ウトウトしていた数人の生徒は目が覚めたようだった。
どうやら東大美学科が、いつになく教えたい気分になっているらしい。
オヤジは「師走」の横に「年果つ」と板書すると、「師走、は、年果つ、の当て字だ。年が果てるのだ。今年は終わりなんだ。」と言った。
その時、起きていて良かった、とつくづく思った。何だか少し賢くなったと、得をした気分になったのだった。
いつも不機嫌なオヤジが、珍しく満足げにほほ笑んでいるような気がした。


横浜にぎわい座では、年越しは『新年カウントダウン寄席』を演るらしいが、横浜で年越しをするわけにもゆかない。
新宿末廣亭とか上野鈴本演芸場、浅草演芸ホールあたりは正月初席はやるが、流石に年越しは休むらしい。

今年は昔買ったカセットテープやCDを出してきて、古典落語のを聴くのもいいなと思っている。
五代目古今亭志ん生の『芝浜』なども良いだろう。
志ん生は語り口がお茶目な感じで好きだ。もしかすると少し酒が入っていたのかもしれない。観客の笑い声を聞くのもいい。
志ん生の生家は大身の直参旗本らしいが、気取ったところは少しもなく、「あたい」とか「まっつぐ」とか庶民の自然な江戸弁が耳に心地良い。
志ん生の噺を聞いていると、昔、筆者が東京に住まっていた頃の大家のことを思い出す。
世田谷で下駄やを営んでいた大家一家は、その言葉を聞くと明らかに江戸っ子で、周囲の住民とは異なる江戸弁を使っていた。
地方出身の自分は、下町の江戸弁というか東京弁は、標準語とか共通語とか言われる東京弁とは発音が似て非なるものなのだ、と心底驚いた。
何で正真正銘の江戸っ子がここに住んでいるのか、若かった筆者には理由が思い当たらなかったのだが、おそらく戦災で下町を焼け出され、世田谷に住み着いたものだろう。

ところで、ホントかウソか、江戸時代は年を越せば借金は棒引きになったとか。
少額の借金は取り立てる手間暇のほうが高くつくかもしれないから、驕りにして貸しを作っておいた方が得かも知れない。
『掛取万歳』という演目も良いそうだが、聞いたことがないので、これから探そう。

北国の年越しはしんしんと雪が降る予感。
雪が降り続く気配は、室内にいても判る。なぜなら、除夜の鐘の音や自動車の音が雪に吸い込まれてゆくし、深夜でも、心なしかほんのりと雪明りが感じられるのだ。

昔、蒸気機関車が走っていた時代には、ボーッという汽笛が空気の乾燥した雪の舞う冬空に吸い込まれてゆくのが雪国の風物詩の一つだったが、今では経験することもほとんどない。

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