目白大学 鈴木章生研究室 

地域人になろう!
目白大学社会部地域社会学科の教員が、地域や社会の出来事や疑問に対するメッセージをお届けします。

新1年生

2010年04月04日 | Weblog
春の嵐の翌朝、まだその余波が残る2日に入学式は挙行された。
わが大学は大宮ソニックシティが毎年恒例の会場。卒業式に比べて華やかさにはやや欠ける入学式だが、それでも緊張感と期待感で新しい学生を迎える側の興奮は大きい。
最近感じるのは、茶髪、腰パン、ピアスが減っていることである。普通の感覚からするといい傾向なのだが、ただ破天荒な若者が全く姿を消すのもさびしい。カブキ者が少なからずいて、世の中に対して「俺だ!」と息巻いているのがいてくれた方がエネルギッシュでいい。なんて思うのは教員としてまずいかも。

3日は1年から4年までのオリエンテーション。就職が厳しいといことでさすがに在校生の学生諸君は不安を隠せない表情であった。また2年生、3年生はゼミの発表もあって悲喜交々といった感であった。

問題は新1年生だった。
どのような経緯があるにせよ、入学間もないこの時期にしてはどうも目に輝きがない。慣れない環境のなかでの緊張と疲れかもしれない。だから簡単に断定するつもりはないが、それにしても覇気が感じられなかった。何人もの教員が最初が肝心とずいぶん尻を叩いていたので、後半ようやく背中を伸ばし、顔をあげて人の話を聞くようになったかという感じであった。

「大学って何をするところ」を説く前に、「なぜ大学に来たの」、「何がしたいの」と問いたい。彼らにはこうした基本的な問いがおそらく自問自答にもなっていないのだろうと推察している。少なくとも学科長以下全教員が顔を並べ、挨拶しているのだから何かを感じてほしいから、ついつい教員は熱く語る。その向こうで新1年生の多くは冷めている。
この空気は一体何だろうか。

朝10時から夕方5時までのさまざまなプログラムはそうとう緊張と疲労をもたらしたであろう。でも、教員もまた同じで、朝から夕方までオリエンテーションで説明をしている。
入学式からオリエンテーションのこの日というのは、ある意味それは儀式であり日本の文化である。いい加減な気持ちでやるものではないし、きちんと前を向いて聞くことがまずは大切であろう。新1年生には、ど派手な格好のイケイケの学生はいなかったが、私は誰、ここはどこといった感じの学生の多さに教員一同驚きを隠せなかった。

ゆとり教育のなかで過ごしてきた学生である。だからだとは言いたくないが、目に輝きが感じられないのは一体なぜなのだろうか。
入りたい大学でなかった? 大学だけは行けと言われたから? 
いつも受け身で主体的に学び、何かを吸収しようという気持ちはないのか。

新しい世界で興味も関心もおおいにあるであろうなかで、若者らしい緊張感と不安感すら見えない。全部ではないにしても109人の全体の雰囲気はとても新しいスタートを切った若者の姿には見えなかった。これが現実なのであるから、受け止めていくしかないか。
ある教員は「やめろ」とまで言った。これがどこまで効果をもたらすのか。

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