目白大学 鈴木章生研究室 

地域人になろう!
目白大学社会部地域社会学科の教員が、地域や社会の出来事や疑問に対するメッセージをお届けします。

史学会80周年

2005年11月28日 | 出来事
26、27日と立正大学史学科、史学会80周年記念大会が開催された。70周年はなかったので、80周年は用意周到に準備して開催にこぎつけたようだ。高嶋先生お元気そうで何より。坂詰先生のティラウラ・コッタの話は良かった。20数年前にも聞いたと思うがその頃の話はほとんど覚えていない。すみません。今回は、ばっちりです。
27日は通常の大会発表。高尾さんの発表は面白い内容でした。資料がどのように活かされていくか、高尾さんの個性があふれていた発表だったと思いますね。難点は少し話が大きくなり過ぎた感じがあったことでしょうか。町の構成と特徴にポイントを絞っても良かったのでは。貴重な資料だけに今後に期待できる内容だったと思います。


富士講調査

2005年11月23日 | フィールドワーク
23日、かねて計画していた調査にでかける。富士講関係資料の調査だ。ついでに富士山五合目までいって見た。まだ、それほど寒くはなかったが、山の稜線を駆け上る風の音に少しばかり驚きを感じた。夏の登山客でごった返すなかでは到底知ることのできなかった山の音か。
夕方、新しくオープンした山梨県立博物館を訪ねた。博物館の研究をしているが写真撮影はダメかと尋ねたら、あっさり断られた。中の展示構成は時代順ではなく、テーマ別というのが大きい特徴であろうか。見せるための映像、電子機器は10数年前開館した両国の大きな博物館とは比較にならないぐらい進歩した印象をもった。機会の進歩は激しいからな。
解説のスタッフや体験学習でのスタッフなど皆赤いブレザーを着ていた。目立つ。それゆえ、もう少し優しい目で見て欲しい。「ガラスに触るな!」といわんばかりの恐い目をしてにらみつけていたのが印象的だった。まだ、開館直後ともあって堅い感じがある。
調査の成果?まずまずかな。でも、再調査が必要!

交通史研究会 第3回例会

2005年11月23日 | 交通史研究会
19日は神奈川県立歴史博物館で交通史研究会の第3回例会を開催した。司会進行役で奔走したが、とりわけ神奈川県博の学芸員の方には特別展の開催という忙しいなかいろいろご協力をいただいた。感謝します。
お茶の水女子大大学院のTさん、東大情報学環・・・のYさん、報告ありがとうございました。22名のご参加をいただき、活発なご意見を頂戴しありがとうございました。
近代の東京名所の立地条件や社寺参詣の問題を課題として掲げることに、やはり大きな意味があるなとあらためて認識をしました。それにしても前からわかってはいましたが地理学の世界もコンピュータの活躍が大きいようで、データの解析処理などコンピュータがフル稼働でした。歴史学の方でも地図作成ではシールを貼りまくった記憶がありますが、今もそれに近いのがなんとも情けない。頑張りましょう。
次回は、1月28日です。交通史に関心のある方はご一報ください。
神奈川県立歴史博物館の「聖地への憧れ」展。簡単にいうと東国の熊野信仰に関する展示ですが。とてもよく出来ていた展示で、学芸員の力量がよく発揮されたいい展示でした。
関係者がいい展示というと、一般受けしないということが多々あるようですが、日曜で終りのようですが、人の入りがどうのこうのではなく、いい展示はいい。
資料も初公開のものや珍しい資料が多く、学術的にもしっかりしていた。
楽しいかといわれれば、テーマパークや遊園地ではないので楽しくはないが。歴史に触れる楽しさがわかっている人ならば、その質の高さはわかるのではないだろうか。

博物館見学会 最後の公演会

2005年11月14日 | 博物館
日曜日は大学で博物館学芸員課程の資格講座を履修している学生と博物館の見学会に出かけた。埼玉県立民俗文化センターの第128回民俗芸能公演である。
センターは昭和55年に開所したのでちょうど25周年記念にあたる。しかし、県の方針によってセンターとしての活動は今年度で打ち切り、埼玉県立博物館との統合が進められている。埼玉県内の無形民俗文化財を広く調査し、記録し、研究をしてきたその功績は大きい。芸能や祭礼、職人の技術、これらにまつわる道具や工具などの有形資料も収集してきた。なくなってしまうのは残念だが、年間2万人の入館者ということを聞いて、また駅からも20分歩く立地条件を考えると仕方ないのかなと思うところである。
「博物館には金がかかることを当然と思うな」というのが石原都政の方針として自分たちも元博物館の学芸員としてうるさく言われてきたが、実はお金も人も不足しているという現状が一方にあることを誰も認識していない。人が入らないから廃止だとかお金がかかるからやらないというのはどうも納得がいかない。じゃ、何のために作ったんだといいたい。
民文センターの活動は、地域の人びとと何度も交渉し、保存のため、記録のための映像化や舞台公演の実現などを実施してきた。第128回という公演の数も単純計算すれば年に5回をこなしたことになる。これって、すごいことだと思う。何度も何度も頭を下げ、出演のための地道な打ち合わせと、交渉を繰り返して実施した学芸員の努力は本当にたいへんである。地域の芸能保持者らの協力あっての公演会の開催であろう。こうした地に足をつけた博物館の活動拠点がひとつまた消えるというのは実に淋しい限りだ。
地味かも知れないが、民俗・芸能をメインに活動を続けてきた民文センターの果たした役割は大きいものがあったはずである。拍手!

明日は推薦入試

2005年11月11日 | 大学
秋は行事がいっぱい。先日は学園祭が終った。フィナーレを飾る恒例の打ち上げ花火も小雨のなか無事成功。良かった、良かった。
明日は推薦入試が行われる。志願者はどれくらいだろうか・・・・・・。
学園創立は83年目を迎え、短期大学部と中学・高校は長い伝統がある。しかし、大学は平成6年開学以来12年目と若い。
人文学部に始まった大学は現在、人間社会学部、経営学部、外国語学部、保険医療学部の5学部である。毎年成長を続け、大胆な改革を実施してきており、5年前のカリキュラムはどの学科にもない(らしい、全部調べたわけではない)。時代のニーズに応え、常に新しい知識や考えを学生に提供しているのが目白大学なのである。
さらに、来年度からは看護学部が新たに加わる。岩槻キャンパスはますます保健医療系に特化され、一方、学園本部のある新宿キャンパスは社会学系となる。

私は現在、人文学部地域文化学科伝統文化研究コースに所属しているが、来年度からは人間社会学部地域社会学科(今年9月文科省設置認可)に就任する予定。
何を教えるかって?
私が担当する科目の目玉は「江戸東京学」かな。巨大都市東京の歴史と文化の特性を把握し、東京の現在と未来を考えるのがねらい。多分、日本で科目としてうたっているのは目白大学だけかと。
でも、新学科最大の特徴はフィールドワークを取り入れた「現場主義」。行動力と主体的に興味関心を持って課題を見つけ、解決できる学生に育ってもらいたいというのが、教員としての希望。どんどん学生を連れて東京の街中を歩いてみようと今から楽しみに思っている。
「これ、なんだろう」「これ、おもしろーい」ってポンポン口から出て、「よし、調べてみよう」ってすぐに反応があるといいんだけど・・・・・・。
明日も早い。

盆も正月もなくなったか

2005年11月09日 | 民俗
非常勤講師で民俗学を持っているのだが、今日のテーマは年中行事。
題して「盆と正月」。
年中行事のなかには、1年を両分するような対をなす行事が数多くあり、とりわけ、盆と正月など日本人の生活に大きく関わる行事に、両分性を強く認めることができるヨ、
という内容を行った。

民俗学という講義は、身近な話題が多いので学生にもときどき意見を聞いたりしている。自分の実家ではどうやっているかとか聞いたりして、参加型授業を実施したりしているんだけれど、最近は質問に反応する学生が少なくなったのが残念である。

教員「自分の実家では盆・正月はどうやっているか知っていますか?」
学生「家では盆も正月もやりません。正月に雑煮を食べるくらい。」
教師「コンビニで、お盆のセットを売ってるのを、知ってる人はいますか?」
学生「・・・・・・」
教師「お盆の時、仏壇から位牌などを出して、棚に並べたり、キュウリやナスで馬を作っ   たたりするのを知ってる人?」
学生「何それ?」

年中行事の両分性どころの話しではない。
日本の伝統文化はどこへ行ってしまうのか。

それでも、授業後の感想コメントを読むと、結構反応があるのがせめてもの救い。
地域社会での行事や組織は崩壊し、家の行事も父の威厳も家族団欒の時間も無くなってしまった。
嗚呼、悲しい!

悲しみの中で

2005年11月05日 | 出来事
昨夜遅く、妻の叔母が亡くなった。ずっと病気療養中であったが、ついに来るべき時が来てしまった。骨髄腫であった。
一時は治まったとまでいわれ、わずか10分程ではあったが、私たちの家まで自分の車でくることもしばしば。それが、今年に入ってから入退院を繰り返し、とうとう逝ってしまった。最期の顔はやつれ果て、病気と懸命に闘った様子が窺えた。
同居する妻の母親、つまり義理の母とは二人姉妹である。二人はずっと仲良しで、家も近く、家族ぐるみの付き合いをしてきた。時には私たちの上の子どもの保育園のお迎えもしてくれた。
先週、下の息子の小学校が決まった。病床のなかからずっと心配してくれていて、お見舞いに行った義母との会話はいつもお受験の話であったようだ。叔母は我が子の合格を聞いて「おめでとう」をささやくように言ったという。あれから1週間ほどしか経っていないのが嘘のようだ。
病気がわかってからおよそ5年。泣き言を言わない、決してあきらめない、前向きの人であった。少なくとも私たちにはそう見えた。
今は、悲しみの中にいる。

いきなり泣き言

2005年11月05日 | 大学
そろそろ寝ようかと思いきや、いきなり携帯メール。
「書けなかったら来年もお願いします」だとぉ。
最初から泣き言いなさんなよ。就職も決まってるんだろ。根性入れて書け!
ここで歯食いしばってがんばったなら、卒業後、上司にいじめられようが、同僚に越されようが、残業してたくさん書類をつくるはめになっても、多少の困難には耐えられるよ。
「あの時、がんばったよなぁ」って。
だから、自分に負けずにコツコツがんばりや。

はじめの一歩

2005年11月04日 | 大学
ホームページをしこしこ作るよりは、ブログで好きなことをツラツラ書いた方が精神衛生上良いと判断。では、改めまして。
はじめまして、目白大学人文学部地域文化学科助教授の鈴木章生(すずきしょうせい)です。江戸東京博物館の学芸員から大学の教員になって2年と7ヶ月が過ぎました。横浜からさいたま市岩槻までの道のりは遠いけれど、大学の回りの田舎風情は気に入っています。シラサギが優雅に飛んでる景色。さすが、さいたま。そうそう、さいたまスタジアムも近いぞ。
この2年半ほど慌しく時間だけが過ぎたようですが、着実に大学の組織の一員(こういうのを「大学人」というようです)になってきたと感じる今日この頃。
ところで、私の専門は歴史。江戸の生活文化を中心にやってます。先日、4年生のゼミ生の卒論中間発表が終ったところで、11月は卒論の追い込みだ。4年間で一番充実した日々を過ごすことになる。教員も下書き原稿のチェックで大変だ。でも、大学は明日から学園祭なんだよね。「気ぃー抜いたらあかんでぇ、みんな」。
桐栄祭っていうんだけれど、留学生の作る餃子とチヂミは本当に美味しいよ。日曜6時からの花火もすごいぞ。目の前のグランドから打ち上げるから迫力が違う。
この週末は是非、岩槻までどうぞ。